SSブログ

「日本人はおとなしい」という集団的自己暗示からの離脱を [社会]

7/11追記:この宝暦一揆をテーマにした小説についての後継記事「260年前になぜ6万人もの農民が集まれたのか(その2)」 2021年8月追記:関連エッセイ「『ガラパゴス』状態の日本のデモが暴政継続を許す」
-------
 #エンパワーメント #empowerment 昨年11月の記事の後継記事です。
運動圏で非暴力抵抗、直接行動の形態を提案すると、たいてい「一般市民の反発が・・・」などの反論で通らない。背景にあるのは、「日本人は従順でおとなしい国民性」という暗黙の「合意」である。そのような「合意」が存在することは、次のようなグーグル検索の結果(ヒット数)も証拠になるかも知れない。
"日本人は従順":82,000 件(左の図)、"日本人は臆病":78,500 件(右の図)、"日本人はおとなしい":103,000件(図はなし)。
これらとほぼ対義語と思われるフレーズに対しては、
"日本人は反抗的":14,900 件(左の図)、"日本人は勇敢":42,100 件(右の図)
となっており、明らかに自己評価が前者の消極的な性質に傾いているように思われる。

obedient.jpgtimid.jpg
kurumeshishi-book-swb.jpgしかし、少なくとも過去においては決してそうでなかったことは、江戸時代を通じて約3,200件を超える「百姓一挟」が起きているという歴史を見れば明らかだろう。久留米市のいわば「公式歴史書」とも言える「久留米市史」第2巻(久留米市発行、1982年)は、全国的にも有数の規模の一揆と言われる「宝暦一揆」(久留米藩大一揆)を詳しく記述しているが、その章の冒頭の部分を引用しよう。
青木虹二の 『百姓一揆総合年表』 によると 、江戸時代を通じて約三二〇〇件を超える「百姓一揆」の発生が知られている。これに都市民の蜂起である「打ちこわし」と、一村規模で村政の指導権をめぐって起こった紛争といわれる「村方騒動」(むらかたそうどう)とを加えると、約六九〇〇件に近い闘争が発生しているといわれる。このほかに「欠落」(かけおち)、「走り」などという小規模な逃亡は除くとして、一揆にまで至らなくても農民が蜂起を意図して「寄合い」を持ったが、事前に露顕し処罰されたような事件や、未発見の百姓一揆・村方騒動があることを考えると、総発生件数は全く見当もつかぬほど多いことになる。
この、フランス革命に先駆けること35年、1754年3月に発生した「宝暦一揆」の経過を、同書の表52から抜粋する。(「」内は原文のまま)

続きを読む


コメント(0)