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中国などに与えた被害に完全に目を瞑る太刀洗「平和」記念館 [反核・平和]

tachiaraiheiwakinenkan.jpg(3/7 末尾に少し加筆しました。)
筑後平野のど真ん中に「太刀洗平和記念館」という町営の施設がある。これは、この地にあった太刀洗飛行場にちなんだものである。これは戦前、軍の国内の主要な飛行場として、日中戦争や、大戦末期には特攻隊の出撃基地として、戦争で重要な役割を果たした。

この記念館には当時を偲ばせる数多い品々や、多くの特攻隊員の遺影が展示されている。上映されるビデオでは、「頓田の森の悲劇」と呼ばれる、米軍のB29による空襲で小学生31人が犠牲になった事件も語られる。しかし、展示は全体として、施設に冠された「平和」という言葉にふさわしいと言えるものではない。

ビデオでは、なんと、「今の平和があるのは特攻隊員のおかげ」と結ばれる。また、空襲による被害は語られるが、この飛行場、つまり軍事基地によって中国などアジア諸国が受けた被害については全く、一切、語られない。まるでここから飛び立った飛行機は中国大陸には一発の爆弾も落としていないかのようである。

IMG_1028tr.jpg実際には、「太刀洗飛行場は大陸への『中継基地』として大活躍」したのである(筑前町史 下巻122ページ.左の写真)。太刀洗飛行場から大陸へ飛び立った軍用機の多くは、おそらく上海の大場鎮飛行場に降り立ち、そこから、おそらく「重慶爆撃」にも加わっただろう。「重慶爆撃」は、都市無差別爆撃として、「ゲルニカ」に続くものとされている。(ただし、ゲルニカがもっとも多い推定でも死者2,000人とされるのに対し、重慶爆撃の犠牲者は1万人を超える。)

展示の「目玉」は、館内の空間では圧倒的な存在感の零戦であり、その「雄姿」である。ミリオタ好みとさえ言えるかも知れない。

このような一面的な展示では、むしろ戦争は美化されてしまいかねない。日本の被害しか知らず、加害の事実、歴史に対する無知が、今の排外主義、中・韓に対するヘイト言動の根にある。過去の過ちをリアルに認識できなければ、また同じ過ちを繰り返してしまう。同町の教育委員会になんとか意見を言いたいと思っている。
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1401577.gif8/15追記:写真の「筑前町史」の文字部分です:
同年一月、大刀洗は「西部防衛司令部」となり、傘下保有機数一八〇機(一九コ中隊)の本部となった。これは陸軍航空部隊の一三パーセントを占めていた。因みに大刀洗のみでは偵察四コ中隊(五月に一コ中隊追加配備)三六機、戦闘三コ中隊二七機の合計六三機が配備されていた。
 同年七月七日、日中戦争勃発。宣戦布告なしの本格的な戦いが始まり、飛行第四聯隊にも出動命令が下り、主力は戦闘機で飛行第八大隊を編成し派遣した。その後、偵察機大隊主力も出動し、上海は大場鎭飛行場に進出した。同時に大刀洗飛行場は大陸への「中継基地」として大活躍、多い時は二〇〇機を超す飛行機が駐機し、中国大陸に向かった。ほかに、大万洗は戦闘機・軽爆撃機操縦下士官の戦技基本教育部隊となった。

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