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殺傷力による防衛と市民力による「代替防衛」 [反核・平和]

科学者会議福岡支部の「談話会」で6月30日に話題提供をした内容を、文章にまとめました。「9条を活かす九州ネットワーク」という、福岡をベースとする市民グループの不定期誌に掲載するためですが、「版元」は著作権を主張しないので、発行前ですが、このブログで公開します。いわゆる「防衛論議」に少しでも役立ててもらえれば有難いです。pdfでも公開しています。*10/4追記:この文章を、さらに国内の暴政に対する「防衛」にも拡張して、『反戦情報』に「防衛力としての、暴政の抑止力としての市民的抵抗」のタイトルで掲載してもらいました。(ネット公開です。上をクリック)
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殺傷力*による防衛と市民力による「代替防衛」

           豊島耕一(元佐賀大学理工学部・物理学)

自国の軍隊が防衛軍になるか侵略軍になるかの数学的確率は半々である

なぜ人は、またどの国の政府も、「攻められるかも知れない」という心配はさかんにするのに、逆に自分の国が外国を「攻めたらどうするのか」という心配は、なぜ全くと言っていいほどしないのだろうか?少し考えれば、いや、ほとんど考えなくても分かることだが、自分の国が他の国から攻められる確率と、逆に自国が他国を攻めてしまう確率は、「場合の数の確率」(先験的確率)としては全く等しい。(筆者はこれをわざわざ数式化して「証明」している[1]。「センター試験」の数学の問題にちょうどよいレベルである。)思うに、まわりに国がたくさんあって、自分の国は一つしかないので、なんとなく「攻められる」確率が高いように錯覚して、「攻められる」心配だけをするのかも知れない。

この等確率性を明確に意識すれば、もし国に「防衛」省を作り軍隊を持つならば、それは同時に50%の確率で侵略軍になるのであり(まさしく現在のロシア軍、そしてかつての日本軍)、それを同じウェイトで心配するならば、それが侵略軍になることを予防する「侵略軍化防止省」とでも言うものを作らなければならないはずだ。主流の防衛論議の中にも「安全保障のジレンマ」という、自国の軍拡の負の作用を表す言葉があるが、しかし自国の軍隊が侵略者になりうるというリスクまではほとんど意識されていないようだ[2]。

今から200年以上前、カントはその有名な著書「永遠平和のために」の中で、これとは別の理由で「常備軍そのものが先制攻撃の原因となる」と書いているが、結果的に同じことのようにも思える。

軍拡と軍縮、どちらが平和と主権を守るのか

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佐賀オスプレイ基地建設反対・阻止行動(基地被害防止ボランティア その5) [反核・平和]

沖縄での基地建設反対運動への参加についての記事を、 #基地被害防止ボランティア のシリーズとして「その4」まで書いてきましたが、地元にまでその問題が押し寄せて来ました。すでに、例えば6月19日の記事に書いたように、佐賀空港のすぐ隣に、自衛隊のオスプレイ基地の建設が始まりました。

現地での抗議・阻止の行動には、工事開始2日目の6月13日と、7月20日に加わりました。自宅からは直線距離で30キロ程で、決して近くはありませんが、沖縄に比べればものの数ではありません。(佐賀の人に、「久留米は佐賀県ですよ」と言われました。)

6月13日の写真と、7月20日は写真を紹介します。後者では加えて、警備員の人たちに向けた「スピーチ」を再現してみます。

なお、タイトルの「基地被害」とは、隣接地などの住民への騒音、墜落の危険などだけでなく、むしろ最大の被害は戦争の原因となることによる被害です。

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