2010年の伊藤真講演、今こそ注目を [反核・平和]
*関連記事:佐賀新聞に掲載された拙稿“「攻められたらどうするのか」への答え”
伊藤塾・伊藤真氏の久留米での講演については、その直後にブログに書き、録音の一部も紹介しました。またのちにその書き起こしを同じブログ記事に追記しています。その内容で私が特に注目しているのが、「攻められたらどうするのか」という問いに対する”正面からの答え”を用意すべき、という主張です[末尾にコメントあり]。録音から、講演でそのテーマに触れた部分は、すでに同ブログ記事からリンク、書き起こしも掲載しました。
実は、講演後の質疑応答でも、その内容はこのテーマに集中しました。新たにその部分の録音と書き起こしを紹介します。
http://ad9.org/uploads/peace/itoh-Q&A-alt-defence.mp3
なお、このほど伊藤真氏から講演全体の録音を公開してもよいとの許可をいただきましたので、後ほどその時のレジュメを画像とした動画で紹介する予定です。
では、Q&A部分の書き起こしです。途中、聞き取れなかった、または曖昧な箇所は(?)としています。
伊藤塾・伊藤真氏の久留米での講演については、その直後にブログに書き、録音の一部も紹介しました。またのちにその書き起こしを同じブログ記事に追記しています。その内容で私が特に注目しているのが、「攻められたらどうするのか」という問いに対する”正面からの答え”を用意すべき、という主張です[末尾にコメントあり]。録音から、講演でそのテーマに触れた部分は、すでに同ブログ記事からリンク、書き起こしも掲載しました。
実は、講演後の質疑応答でも、その内容はこのテーマに集中しました。新たにその部分の録音と書き起こしを紹介します。
http://ad9.org/uploads/peace/itoh-Q&A-alt-defence.mp3
なお、このほど伊藤真氏から講演全体の録音を公開してもよいとの許可をいただきましたので、後ほどその時のレジュメを画像とした動画で紹介する予定です。
では、Q&A部分の書き起こしです。途中、聞き取れなかった、または曖昧な箇所は(?)としています。
Q&A 質問、Aさんコメント:「攻められたらどうするのか」の答えを用意するということの意味は、その「対策をいま考えるべき」ということではなく、この問いに対する「説得力ある答えをいま広めること」が大事、という意味です。つまりイデオロギー闘争での必要性・重要度のことです。
今日はどうもありがとうございました。先生のお話の中で、攻められたらどうするって言われたときに、攻められませんっていうのは、本当は問題を逃げてるということで、非暴力とかそういう勉強を私達はしないといけないというふうに言われると思うんですけど、勉強不足で申し訳ないんですが、非暴力の定義、非暴力での抵抗というと、どういうことが考えられるか具体的に教えていただけたら嬉しいです。
伊藤:
はい、わかりました。非暴力抵抗運動というのは、いろんなところで様々なものが行われてます。そもそも、この侵略したり攻めてくる相手方にその目的や動機があるはずなんですね。その目的や動機を挫くっていうのが基本になります。ですから、例えば日本に攻めてきて何のためなのか、例えばその資源かとか、技術力だとか、国土、労働、いろんな、何を目的にしてやってくるのか、それに例えば協力をしないとか、本当に単純なところですね。
「プラハの春」のときなんかもそうですけれども、10時になったらみんなで鍋をガーッて出して大騒ぎする、それだけ。それだけでも、その、攻めてきた軍隊、ソ連軍の人たちのいわば士気なんかを挫いたりすることに繋がったり、それとかストライキをして、この国の様々ないろんな機能を停止させてしまって、そうすると侵略してきたその人たちが、この国をいろいろな形で利用することができなくなってしまう。
もちろんそれは今の時代の、その、戦争ですから、攻めてきたときにもちろん何が目的なのかっていうのは本当にいろいろ考えないといけないところではあるんですけれども、そういうものを100何項目の、いろんな抵抗の仕方や、いわば相手方の指揮を挫いて、目的を達成させない方法があるだろうということですね。 そして何よりも、攻められたらどうするってときに最初の視点として重要なのは、国家の役割というのは、国民の生命財産を守ることだと私は考え、そのときに万が一、だからこそ攻められない壁を作ることがまず第1なんですが、万が一攻撃されたときには、その被害を最小限に食い止めることが、必要な国家の役割だと考えます。としたときに、攻撃されたときに反撃をするための様々な軍事力を持って反撃すると、ちょっと言いましたが、それは被害を拡大することに繋がると。ですから、そこでは言わば被害を最小限度に食いとどめるという意味でも、それはやっぱり力で反撃をして仕返しをして、そして相手の何か基地を潰したり、なんてことをするとますます被害は拡大していってしまうだろうと。
それをまずベースにしながら、その上で先ほど申し上げたように、相手方のその攻撃や侵略の目的をどう挫いたらいいのか。そのときにはこういう対応、このときにはこういう対応というようなことを様々検討していくということです。
質問、T
佐賀大学の豊島と申します。先生のTwitterをフォローをしております。 ただいまの話なんですけど、非常に重要な論点だと思うんですが、自衛隊の問題についてですね、自衛隊を認める人とも9条で一致する限りは、一緒にやっていくという観点で大事なんですけども、その事と、非常に原則的な議論をすること、つまり自衛隊は違憲だよという議論をすることが封印されてしまったような気がするんですね。
ですから、そういうことがあって先ほどの非暴力による国防、代替防衛という言葉もありますけども、そういうことの議論が正面からされていない。そのために首尾一貫性を持つことができなくて — 護憲派がですね。そうすると首尾一貫性を持たないとやっぱり説得力が弱いということになってしまいますので、その点が大変重要なポイントではないかと。だから今おっしゃったような代替防衛、非暴力による国防というようなことを、もっと前面に出すことが重要じゃないかと思ってるんですけど、先生、ご意見いかがでしょうか。
伊藤: ありがとうございます。その点は全くご指摘の通りですね。どうしても自衛隊が違憲ということについては反対の考え方もありますし、もちろん日本政府はそういうところに行ってるもんですから、いや自衛隊があるんじゃないか、実力部隊としての自衛隊でまさに国防を図っていくんだというところに、どうしても依存してしまいがちだったんですね。ですから、私は自衛隊は憲法違反だと考え、確かなんですけれども、違憲の存在である自衛隊だからといって今の自衛官の方々をどうこう言うわけでは全くない。
自衛隊の存在が憲法違反だったから、それをいわば是正して、その実力、軍事力によらない代替、また非暴力の抵抗運動をどうするかということの議論が、より明確に、必要性がそこで生まれてくるんだろうというふうには思っています。自衛隊の存在が違憲だと言ったからといって、じゃあ今すぐ消滅させられるというわけではないわけですね。
世の中には、違憲状態ではあるけれども、そこがなかなか改善されない場面はたくさんあります。だからいいわけじゃありませんけれども、少なくとも憲法が目指すのは違う方向なんだということは、少なくもと合意していく、合憲・違憲ということを真正面から決めつける前に、憲法は自衛隊の存在、これを拡張していく方向ではない方法を、言わば憲法が目指している、というくらいの合意をすることは、この9条の会なんかですから、私は明確に違憲状態だ、だからもっと他の方法を考えなければいけないって言った方がよりはっきりすると思ってるんです。
ただ、そこまでなかなか踏み込めなかったとしても、少なくともその憲法が理想とすることはどこだろうということを、コンセンサスを得て、そのためにはこの自衛隊なり実力に依存しない、言わば防衛の方法なり何なりを研究、考えていくっていうことが必要だということを合意することは可能だ、というふうには考えています。
質問、Bさん
よろしいですか、はい、さっき代替防衛って言ってたんですけど、その代替防衛として考えてるものっていうのは何ですか。
自分にはちょっとよくわからなかったので、防衛といったらやっぱり武器を持って守るっていうのが防衛の基礎って言えばそうですけど、それを捨てるっていうことは非暴力不服従運動にはなるかなとは思うんですけど、ちょっとそこは自分じゃよくわからなかったので。かと言って非暴力不服従にやるって言ったとしても、必ずしもその・・・だから人資源(?)を強いて言えば使うわけじゃないですか。その人資源は必ずしも無限ではないので。
例えばインドであった非暴力不服従は結局のところは、インドが人資源を背景にして、結局は成功させたような感じもあることにはあるんですけど。かといってそれを日本で行うとなったら、その当時の人口というのはよくわからなかったんですけど、それを実際に日本でやるってなると、やはりそういう代替防衛っていうのは、難しいものがあるんじゃないでしょうかね。そこのところお願いします。
伊藤: はい、非暴力というのは一つの手段だろうとは思います。先ほど言ったように、その侵略されたときどうするのか、その防衛というのがどういう場面を想定しながら、そして何を守ろうとするのかというところを明確にしていくことが必要だろうと思うのですね。要するに今の時代、例えばどこかの国が、何かこの国を侵略して、そしてその国土の上に何かを築き上げていこうという場面を想定するのか、それとも単にミサイルを何発かぶち込むということだけを想定して、そこから国民を守るということを考えようとするのか。何を、その言わば国防ということを考えたときに、前線(?)、例えば尖閣諸島という島を取られないようにするということを、そのときの国防の中身として考えるのか、何を防衛しようとするのか。
例えば、本来の防衛ってのは国家体制なんですね。いわば国という組織を守る、これが本来の国防の目的です。ご存知だと思いますが、国民の生命財産を守ることが国防の目的ではありません。国防で守るべきは国家という、昔では天皇の組織を守る、それが国防なわけですね。国民の生命財産を守ることは、軍や自衛隊の目的ではありません。警察だとか消防の目的ですっていうことは、栗栖(?)さんも言ってるぐらいであって、軍隊の目的は国家、国民の生命財産を守ることが目的じゃないですよね。
そうすると、その国防といったときに何を、いわば具体的な場面のところで守ろうとしているのかっていうところを具体的に考えていかないと、例えば非暴力抵抗運動の時のその抵抗というものの中身が、やっぱりはっきりしなくなったと思うんです。最近のところでわかりやすいのが、尖閣諸島を、領土の島を取られちゃうと、そういうような場面がわりと想像しやすい、想定しやすいようなところだろうと思うんですけど。 で、そんなときに向こうの軍隊が入ってきて、尖閣諸島を例えば占領して、そこを自分たちの領土だというふうに主張し始めた。じゃあそのときに日本が軍事力によって、軍隊を出してそれを追い出して、それを蹴散らすということが、そこでの解決になるのかということなんですね。それをどう考えてもそれは解決にならないだろうということだと思うんですね。
今、そんな軍事力によってそこを占拠するということがもし行われたときに、そういうことをやった中国の立場というのがどうなるか、ああいうところで??をちらつかせるだけで今、中国の立場があれだけ弱くなっちゃってるわけですよね。そういうことを考えると、じゃあそこでの防衛は軍事力による防衛が全てなんだろうかっていうと、そうではないだろうと。
他にも様々な、それを思いとどまらせる、または撤退させるための方法、ルールというのはあるだろうと考えます。それからの領土問題ということに仮に限定して考えたとしたら、その領土というものは、国と国の利益のぶつかり合いなんですが、一国の国益と国益のぶつかり合いは国家という枠組みだけを前提にした、そういう対立というものが、これからはやっぱりそういう国家の枠組みというものを解消して行く、だからそれを減らして行く方向に持っていかないと駄目だと思ってるんです。
要するに尖閣の領土がどっちの国益なのか、まさにそれは棚上げそこで得られる、例えば海底資源だとか、漁業上の利益だとか、様々なそういうものをどう分かち合うかっていうことを考えるべきであって、やっぱり国家と国家を、その自分の国のことだけを考え、国という枠組みを強調した、そういう解決の仕方というものでない、いわば防衛の仕方があるんじゃないか。
ヨーロッパなんか特にそうですよね。石炭の、炭鉱っていうのは、アルザス地方の炭鉱をどうするということで始まったEUなわけじゃないです。ですから、そういう言わば国家主権という、国家という枠組みからどう離れているのかということも視野に入れながら、何を守るんだ、国防といったときに何を守るんだということを明確にした具体的な議論が、やっぱり必要なのかなというふうには思っています。ですから、例えばそうやって軍隊で攻められたときに、軍事力だけで押し返すという以外の方法が、いろいろと考えられるんじゃないでしょうかねっていうことになるんですね。
2024-05-13 21:53
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