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永井愛の3年前の日本記者クラブでの会見−メディアと権力の距離感について [メディア・出版・アート]

3年前に見た芝居「ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ」は実に痛快でしたが(当時のブログ記事)、その直後に、この芝居を書いた永井愛が日本記者クラブで会見を開いていました。その録画を偶然見ましたが、話題は当然メディアと権力の関係。司会者との対談で、メディアと総理など高位の権力者との「会食」の部分は興味深く、是非とも文字起こしをしたくなりました。

スマートホンの音声認識はかなり高度で、とても役に立ちますが(文脈を考えて言葉を選んでいることが、遡って修正していることから分かる)、それでも修正などで結構時間を食ってしまいました。画像の下に書きます。司会は日本テレビの小栗泉氏。
nagaiai2018.jpg
(33分経過のあたりから)
永井 ・・・本当に国民の見方で、国民に何を知らせるか、国民がより良い選択をして、より良い民主主義社会を成熟させて、世論を成熟させていくために新聞は何をやるのかっていう立場に立ち戻って、その社内の記者を守るシステムを充実させるべきではないでしょうか。

小栗(司会) 社員それぞれを守るシステムというのがどういう風なものなのかというのは、今後私たちの側で考えていかなきゃいけないとは思うんですけれども、一方で日本を代表する戯曲家の永井愛さんに言うのも本当に勇気が要ることなんですけど、一方でいろいろ社によって違いが見える、ただ、現場にいる人たちはほんとにもがいてもがいて、政権から何か言われても、それにどれだけ自分たちの理論を、きちんと理屈を言えるのか、こう、理屈構成をして言い返せるかという所で、ギリギリの所で悩んで、皆、書いている人もいる、それがほとんどだと思うんですね。
で、例えばこの話の中でも、政治家とお食事とかをしている場面というのがある、実際私たち政治部の記者、政治家と食事します。でもそれは相手の懐に入って、ただ、それで表の会見とかだけでは伝えられないものを伝えたい、そのために、最後、裏切る時があるかもしれないけれども、その手段としてその懐に入る、そのために食事をしたりする、みたいなことがあるんですけれども、それだけに、このお芝居を見た人が、ああ、やっぱりメディアって政治家と癒着してるのね、とか、そういう風に、割とステレオタイプに、もしも思ってらっしゃる方が、それを補強する材料としてこのお芝居を見てしまうととても残念だなと言う気は、正直するんですけれども、その辺・・・。

永井 そうですね、私、ある新聞記者の方に、総理から食事に誘われたら受けますか、と聞きましたら、「受ける」という風におっしゃいました。自分は、受けても、批判するべき時は批判する、と言うふうにおっしゃったんですね。一方で、日本テレビの清水潔さん、あのー、調査報道の、あの方に同じ質問をしました。「総理から食事の誘いが来たらしますか」と。「しません」と。一緒に食べた時は僕はジャーナリストをやめますという風におっしゃいました。
それは全くもう、マーティン・ファクラーさんに聞いたのと同じことで、日本では総理と食事をしてその側で懐に飛び込んでいろいろな情報得てくると、それはいい記事を書くために非常に重要なことであり、そしてそれでも自分は、批判すべき時には批判する、と。逆に質問したんですよ。そうして、批判すべき時にちゃんと批判した人いますかって言われると、「うーん、どうだろうな、岸井さんもご飯食べたことあるんじゃないかな」と。
私、思いましたね。だから岸井さんは多分ご飯を食べたけども批判をした珍しい例であって、やっぱりご飯食べると、情というものが出て来て、「ここまでは」とか、表現を和らげたりとか、ほんとはここは書いちゃまずいってこと、書かないことの方が、私、人間の情として信じられるんですよ。それで実際に、あと、NHKでモリカケ問題のことを最初に、そういう文書スクープした人が飛ばされたとかね、そういう話を他の新聞が大きく扱うかというと、扱わない。やっぱりこれは私、忖度してると思いますし。
それから海外では、いちばん驚かれてるのは、その、政権の幹部とメディアの幹部が食事をするって言うこと自体が驚きの目で報じられているけど、日本では、今のようにそういうことを一律のことで言わないでほしいっていうことが、私、どれだけ聞かされたか分かりません。だけど私、両方、こちらのマーティン・ファクラーさん達の、食べたら終わりだって言うのと、食べたって書けるんだ言うことのどっちに説得力がありますといま私に問われると、私、内部にいないんですけど、こっちの方がわかるんですよ。自分はそういうことはしないと。なぜなら私は政権から特ダネを言ってもらう必要はないからだと、自分は調査報道するから。だけど発表報道に頼るならば、それはその発表の時期のちょっと前に何か言ってもらって、いずれ発表されるものをちょっと早く発表してスクープと言われるというような事に価値を持つならば、それはありだろうと。しかし、調査報道で政権がむしろ書かれたくないことを書くって言う覚悟でやっている記者には、その事は必要ないだろって意見も聞きました。
だから私は、いろんな記者さんのその辛いことを聞くと、一方的に批判する気には、私、なれないですね。ただ、だからそれはでも、可能性としては書けばいいんだよね、とは頷けない。やっぱり海外メディアが驚いていることを、日本人が驚く目を失っちゃいけないし、海外メディアがもっと驚いているのは、幹部が会食していることをメディア内部から突き上げが来ないと。メディアの内部が誰も、うちの社長、うちの政治部長が、そんななあなあで食べてていいんですか、ということを、メディアの内部で言わない、と。これが海外では信じられないことだと聞いたときに、日本じゃそんなことしたらクビになっちゃいますよと、私は思ったんですけど、そうじゃないんですか?

小栗 あのう、海外でも政治家とお食事をしたりっていうのはあると思うんですね。実際私もアメリカに暮らしていた時にそういう場面というのはありましたから。だから一概に政治家と食事をしたら即NGなのかといったら、そういうこともないと思いますし、あのー、例えば記者クラブにいるからと言って単に公の情報を待っていて、その受け売りでやっているだけ、ということは、決してそれはないとは思うんですね。ただ、そういうふうに皆さんの目がいろいろ厳しくなってるって言う事は意識した上で、どう自分たちでそこを落とし込んで、取材の基準と言うものを設けていくかということだとは思うんですね。

永井 私は、そのとても難しいというか、独立性の危機と言われることに対して、メディアの方はとんでもないと、そんな事はないよと、日本は先進国のメディアとして十分その海外のメディアと肩を並べられるような報道の自由度があるって言えるのかどうかって言うことも、ちょっと逆に聞きたいなと言うふうに思います。

小栗 はい、ありがとうございます。あのー、それから、お芝居の一番最後のところで、ネット系メディアが国会記者会館の上からデモ隊の映像を取ろうとして、その時、カメラを新聞社の人から渡されて、そこに何か希望というか、何かが託されているのかなと言うような気もしたんですけれども、やっぱり今、既存の大手メディアよりもネットメディアに希望と言うか、そういうものを感じでいらっしゃいますか。

・・・
引用者コメント:最高権力者と会食しても自由に記事が書ける、などと本気で思っている記者は、人間というものがどういうものかよく分かっていないということだろう。あるいは、自分の脳に「感情」という機能が全くないとでも思っているのか。あるいは、記事を書くときは脳のその回路からの信号を完全に遮断できると思っているのか。
また、経営トップが権力者と会食するなどということはあり得ない。記者なら「懐に飛び込んでの取材」などという言い訳も可能かもしれないが、社長はそれをネタに記事を書いたりはしないだろう。
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