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長崎原爆2日後の久留米空襲 [反核・平和]

DSC_4003rtw540.jpgこの写真は広島でも長崎でもない。1945年8月11日の久留米空襲で焼かれた市中心部の様子だ(「進駐軍が写したフクオカ戦後写真集」18–19ページ、西図協出版、1983年)。1401577.gif末尾に帰還を待つ朝鮮の少女たちの写真を追加。

アメリカでは「原爆が戦争を終わらせた」という言説がいまだに横行している。しかし、終わらせた(念入りに2回も)はずの長崎原爆の2日後、久留米の町が焼夷弾で焼かれた。同じくこの日には加治木空襲も。
他の、8月10日以後の日本本土空襲をwikiから拾ってみる。
10日 花巻空襲、熊本空襲/12日 阿久根空襲/13日 長野空襲/14日 岩国大空襲/14日 山口県光市 光海軍工廠空襲/14-15日 熊谷空襲,伊勢崎空襲,小田原空襲,土崎空襲

「原爆が戦争を終わらせた」というのは嘘なのか? それとも、「終わらせた」後に爆弾の在庫一掃をやった、ということか?

原爆が完成するまで終戦が引き伸ばされた、というのが本当のところだろう。

空襲を疎開先で見た、古賀正浩氏の本「久留米が燃えた日」から。
DSC_4009w540.jpg

現在の、写真と同じ場所を、同じ角度から見たグーグルマップ写真
mutsumon2019toNWtr.jpg
冒頭の写真の撮影場所である「旭屋デパート」の場所には、現在は「久留米シティプラザ」がある。

冒頭の写真集からもう1枚 、「帰国を喜ぶ少女たち」(46−47ページ)。クリックで拡大します。
DSC_4005h.jpg
キャプション:戦争遂行のため強制的に日本に徴用されていた8才から14才までの全羅北道女子勤労挺身隊員の帰還前の記念撮影(10月19日)
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同様の戦争直後の写真:米軍兵士が撮影した戦後まもない佐賀
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