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音楽の「トランスジェンダー」性 [趣味]

kiyokotachikawa.jpg先日,佐賀であったミニコンサート*に行った.メインはシューマンの「女の愛と生涯」,佐賀出身でオランダ在住のソプラノ歌手と,地元のピアニストの共演.両者とも素晴らしかった.他は,オープニングのシューマンの2曲と,後半では有名なオペラアリアを2曲.

メインの「女の愛と生涯」(Frauenliebe und Leben)は「歌曲の年」1840年の作品.シューマンの大ファンでありながらこの曲はこれまで聴いたことがなかった.女性の愛の歌に共感できるとも思えなかったし,調べてみると詩も男性が作っている.そんなものは「でっちあげ」ではないかとますます思えたが,しかしさすがはシューマンで,音楽に完全に「説得」される.

詩の内容自体は,歌手自身が,歌う前に「古臭いものと思われるでしょうが」と言ったとおり,今の時代からはもちろん,近代的精神からもずれている.例えば,第4曲(わたしの指にはめられた指輪よ)の一節はこんな具合:

わたしはあの人にお仕えしましょう、あの人のために生きましょう
わたしのすべてをあの人に捧げましょう
あたしを捧げて そして見るの
あの人の輝きのもとであたしも光り輝くのを
(末尾に原詩)

あるサイト**によると,「アメリカのフェミニストの音楽学者の人など,詳細な詩と曲のアナリーゼの末,『これは現代に聴くべき作品ではない』とまで言い切っている」らしい.

しかし同じような内容の歌は,現代の歌謡曲にも見られる.例えば,ちあきなおみ の「今日でお別れ」の一節:

最後のタバコに 火をつけましょう
曲ったネクタイ なおさせてね
あなたの背広や 身のまわりに
やさしく気を配る
胸はずむ仕事は
これからどなたが するのかしら

作詞なかにし礼,作曲宇井あきら,と,これまた男性—男性のコンビ.しかしこれも,彼女の歌を聴くととても説得力がある.やはりアートというものは,ジェンダーなどのバリアを超えて人々を共感の領域に入れる力を持つのだろう.

ちなみに,この「女の愛と生涯」の終曲は,同じ「歌曲の年」に作られた「詩人の恋」の終曲と同じく長い後奏(約1分半)がある.私は後者の方に魅力を感じる.シューマンが,想像ではなく「本心で」書いたからだろうと思う.

img908.gif一昨年の夏,オーストリア,ホーエネムスという小さな町で開かれる「シューベルティアーデ」という音楽イベントで,いくつかのコンサートを聴くという贅沢を味わった(その時の短い記事).その中に,若手歌手とピアニストの共演シリーズがあった(右がプログラム).その中で,「美しい水車屋の娘」の第11曲 「 僕のもの!」(Mein!)を歌ったテナーManuel Gómez Ruizが圧巻だった.大拍手を送ったが,すぐ隣席の女性も絶賛の拍手をしていた.もちろん男性の恋心を歌ったものだが,同じように音楽が「バリアフリー」だという感想を持ったことを思い出す.

しかしながら,ナタリー・シュツットマンが歌う「詩人の恋」はやはり聴く気になれない.

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4 Du Ring an meinem Finger /「わたしの指にはめられた指輪よ」 の一節
Ich will ihm dienen, ihm leben,
Ihm angehören ganz,
Hin selber mich geben und finden
Verklärt mich in seinem Glanz.
詩 アデルベルト・フォン・シャミッソー(Adelbert von Chamisso, 1781年~1838年)
作曲 ロベルト・シューマン,1840年

* 立川清子ソプラノリサイタル 〜歌の翼に 2018〜,8月5日,佐賀市・浪漫座.
** http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/SET2831.htm
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