SSブログ

「私は長年暮らしてきた日本に恩返ししたい」 [メディア・出版・アート]

マーティン・ファクラーの「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」紹介の続きです。(1回目, 2回目)
本の最後の「おわりに」によると、「彼は15年7月末、10年間にわたって勤務したニューヨーク・タイムズ東京支局を辞め、充電期間に入ったとのことです。
(256ページ)
今、私は日本再建イニシアテイブで日本社会に貢献する仕事を始めている。「日本は世界に何を提供できるか」「何をオファーできるか」というテーマでレポートをまとめているところだ。日本の優れた部分を強調して改革すれば、日本は世界でもっと大きな役割を果たせる。日本のポジティブな部分を英語圏に発信する仕事を通じて、私は長年暮らしてきた日本に恩返ししたい。
応援のクリック歓迎
この少し前の文章では、日本のメディアと安倍政権との関係や、記者クラブ依存の問題を繰り返し指摘しています。
(254ページ)
安倍政権は日本のメディアの弱みをよくわかっており、勘所を心得ている。弱点とツボを押さえた瞬間、一気にメディア・コントロールへ攻勢を仕掛けたように見える。残念ながらアメリカで起きた多くの前例を見ると、政権がジャーナリズムに圧力をかけ、メディア・コントロールしようとするのは当たり前の世の中になっている。メディアは「そんなことは想定の範囲内だ」と構え、横の連帯を組んで政権からの圧力に対抗しなければならない。
ところが政権から攻撃される朝日新聞は孤立し、他の新聞社やテレビ局は守ろうとしなかった。ただ傍観しているならまだしも、政権と一緒になって朝日新聞を攻撃してしまった。
記者クラブに加入し、官邸や中央政府の言うとおりに記事を書いていれば仕事はラクだ。プレスリリースをそのまま発表するような報道をしていれば、誤報やミスリードのリスクを冒す心配はない。もし誤報を流したとしても、「政府の発表情報が間違っていたのだ」と説明すれば責任を問われないわけだ。
中央政府からの発表情報に依拠するアクセス・ジャーナリズムではなく、取材情報によって独自のストーリーを描き、自分たちだけにしかやれない調査報道を展開する。この仕事にはリスクがある。だが、リスクを冒し、中央政府が隠しておきたい「不都合な真実」を報道することは、市民社会に大きな利益をもたらす。誰でも速報できるコモデイティ・ニュース(日常情報記事)を知りたいのであれば、通信社のニュースを読めばいい。新聞の存在理由は、誰も知らない情報を独自に取材し、分析することにある。
誰でも書ける記事には付加価値がない。調査報道を放棄し記者クラブに依存した発表ジャーナリズムに走ることは、本来、メディアにとっての自殺行為なのだ。そのようなニュースを報道している限り、人々は次々とメディアから離れていく。

遡って第4章の、日本のずっと先を行くアメリカのジャーナリズム弾圧の経験と日本のそれを比較し、耳障りの悪い言葉ながら、日本のジャーナリストに提言をしている部分を紹介します。
日本のメディアは「マイナーリーグ」以下の「高校野球」

アメリカのメディアのつらい経験をたどってみると、メディアに対する国家権力の圧力が日増しに強まっていることがわかる。ジェームズ・ライズン記者がディープ・スロートからの情報を得たあと、ニューヨーク・タイムズは記事を公開するべきかどうか1年も迷った。ホワイトハウスから桐喝と圧力を受け、ニューヨーク・タイムズの上層部はビクついてしまったのだ。本来であれば、もっと早い時期に毅然と記事を発表すべきだったと思う。
アメリカで起きたことと同じ問題は、今後日本でも必ず起こる。「政府の特定秘密を明かした」という切り札をもって政権から報道機関に強いプレッシャーがかかったとき果たして日本のメディアはぞう対抗するのだろうか。 日本の大手メディアを見ていると「アメリカなみのプレッシャーがかかって記者の電話やメールがこっそり調べられたとき、メディアはどこまで戦えるのだろうか」と私は大きな疑問を抱いてしまう。ある新聞社なりテレビ局なりが「我々は戦う」と決意したとしても、14年に朝日新聞に起きた出来事を見る限り、他のメディアが社の枠組みを超えて応援する機運はおそらく生まれないだろう。
「政権からメディアにかかる圧力」はアメリカのほうがずっと深刻だ。今、アメリカで起きていることがメジャーリーグレベルだととらえれば、日本はまだマイナーグにも届かない。高校野球レベルだと思う。高校野球の試合で勝てない人がプロ野球の世界で勝負になるはずがない。ましてやメジャーリーグやマイナーリーグでは相手にならないのだ。
日本のメディアが高校野球レベルの戦いではなく、プロ野球レベル、そしてメジャーリーグレベルの戦いをできるようになるためにも、メディアはくだらない競争はやめ、他社との連携を早急に考えなければならない。ジャーナリスト同士が、言論の自由、表現の自由という共通のアイデンティティ、共通の利害を意識し、横のつながりを強固にして政府と対時するべきだ。そうなれば、日本のメディアだって手ごわい存在になりうる。
その点、日本で最もジャーナリストらしい活動をしているのは、記者ではなく弁護士ではないだろうか。「人権派弁護士」と呼ばれる人たちは、「国策捜査」だろうが冤罪事件だろうがものともせず、検察や裁判所と真っ向勝負で戦っている。彼らには個人の価値基準を超える法律、憲法という強いアイデンティティがある。
アメリカではまずジャーナリズムスクールで言論や表現の自由を徹底的に教える。さらに、日本と異なりジャーナリストは他社への転職が当たり前だ。その過程で誰もが、職業アイデンティティである「ジャーナリストの共通認識」が会社の枠組みを超えることを学ぶ。残念ながら日本のメディアには事なかれ主義のサラリーマン記者があまりにも多い。ここが日米のジャーナリストの決定的な違いだ。
アメリカのほうが優れていると自慢をしたいのではない。自分たちジャーナリストが民主主義のために果たしている役割、使命感、存在理由とは何なのか。ジャーナリストが市民社会のために役に立ち、日本という民主主義国家をうまく機能させるためにはどうすればいいのか。残念なことだが、日本のジャーナリストには、この最も大事な視点が欠落していると思う。メディア対策に力を注ぐ安倍政権の誕生により、その弱点が露呈してしまったのだ。

nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(1) 

nice! 1

コメント 2

らっく

共産党はいい加減に経済にまともに取り組む姿勢を見せたほうがいい
憲法一本やりで生きてる人は理解できないだろうが、世の中の人間の関心は憲法より経済だ
共産党の公約はまさかの「富裕層に22兆課税します」
あれではカルト宗教のようなもので、狭い仲間内で通じても選挙で勝てるわけがない
奪ったのは民進票や社民票で、躍進と喜ぶ姿が正直空しい
by らっく (2016-07-13 17:31) 

バッジ@ネオ・トロツキスト

らっく氏とは全く意味や次元を違えるが、やはり20世紀左翼の一員である日本の共産党も、経済政策の前提たる現代資本主義経済の現実や実態、到達点をもっと直視するべきでしょうね。いつまでも「帝国主義論」的な色メガネをかけて街灯が照らし出す足元周辺だけで落とし物探しをしていたから現実に立ち遅れたんです。

例えば、内部留保批判はしてきてもタックスヘイヴン対策への着眼が遅れ不正確・不十分であること。ホワイトカラーエグゼンプション的賃金切り下げ策動への道徳的批判はしてもベーシックインカム的制度などへの科学的分析と対応が曖昧なこと。国際主義的資本規制政策の未熟などなど。総じて、19世紀的製造業中心経済観やレーニン図式が克服されていないことです。

こういう状況の遠因は、「80年代の失敗」に求められるでしょう。つまり、18回党大会決定が空念仏に終わったことです。そう、「科学的社会主義の学問的教化」方針がネオ・マル批判に矮小化され、ほとんど成功しなかったということ。当時『前衛』誌や『経済』誌で一部の研究者たちが問題提起していた理論的諸課題への取り組みを社研なども全く等閑視、放棄して来た。
だから、自民党政治屋どもが「同一労働同一賃金」のような時代錯誤スローガンを受け売りするような事態も生まれる。現代資本主義の低賃金構造においては、課題を賃金差別批判に解消出来ないのにね。

ま、経済問題ひとつとってみても、現代左翼のマルクス離れや時代錯誤ははなはだしいと思いますよ。
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2016-07-19 14:05) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 1