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政治メモ・その2 - 大手メディアから独立した世論調査機関の必要性など [社会]

前の記事の続きです.

大手メディアから独立した世論調査機関の必要性
世論調査が誘導的である疑い,場合によっては捏造されている疑いがあります.たとえば,次の例を見て下さい.
NHKのあからさまな誘導的「世論調査」

いかがわしい世論調査結果の宣伝で大きく世論が誘導されています.これを是正するには,権力の一角でもある大手メディアではなく,独立性の高い世論調査機関が必要です.イギリスでは反核運動が世論調査機関を利用しています.
http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2006-08-06-1

わが国の民主勢力や左翼政党も,どのような宣伝が効果的かを見極める上で,信頼出来る世論調査は必要です.最新の朝日の世論調査では,安倍政権の集団的自衛権の行使容認や原発再稼働に対して反対の意見の人も,比例区投票先で「自民」が最多だそうです.仮にこの結果が現実に近いとすれば,なぜ人々はそのような反応を示すのか,どのような思考プロセスでそうなるのか,詳しい分析が必要で,そのためにはそれを目的にしたオーダーメードの世論調査が必要です.応援のクリック歓迎

「なぜ、サヨク・リベラルは人気がないのか…社会心理学で原因が判明!?」という興味深い論説を見つけましたが,これで述べられているような効果的なプロパガンダのためにも,正確で詳細な世論調査は是非とも必要です.体制側はおそらくそれを綿密にやっているからこそ,世論操作にまんまと成功しているのでしょう.

NHK視聴者組合
NHKに対して左翼・リベラルはほとんど戦略らしい戦略を持っていません.もちろん個別の問題では同局に対するアクションなどは行われていますが,問題は長期的な方針,「戦略」です.

「NHK視聴者組合」(仮称)を作る,というのはどうでしょうか? NHKを組織的・恒常的にモニターし,意見や提言をし,社会に公表する,という活動をするのです.もし社会的認知を受けるほどの存在になれば,大きな影響力を持てるでしょう.この組織の最後のカードは,集団的視聴料拒否(ないし留保)です.

民放にも放送法の「公平原則」が適用されるので,ローカル局も含め「番組審議会」に対する同様の組織的な活動が重要だと思います.次の弊ブログ記事「地元福岡の民放の番組審議会メンバーも企業関係者ばかり」も参照下さい.
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寂静の矢

エントリーの内容とは直接的にはあまり関係がないのですが、間接的には関係していると思いますので、最近気になっている事を述べさせて頂きます。

よく、左右の対立軸を超える必要があるといった事が、主に中道系の人々を中心として言われます。私も本当はあまり右とか左のイデオロギーには拘りたくないのですが、しかし、資本主義経済が発展すれば、社会構成員が政治的な領域において「左」と「右」、乃至は「左」と「右」と「中道」に分裂する事は避けられません。【といいますか、左右の対立軸を超える必要があるといった言説自体が、ある種の中道系のイデオロギーなのですが】

というのも、資本主義経済による社会は競争社会なので、人々がある種の敵対関係となり、個人個人の利害や価値観もバラバラになっていきます。また、資本主義経済は社会を複雑にしていく作用があり、社会が複雑になればなるほど個人個人の利害や価値観もバラバラになっていきます。

しかし、政治的な領域、換言すれば社会のルールを作る領域では個人個人の経済的利害や社会的ポジションや気質・性格・感性や人生経験などの違いから発生してくるものの考え方や価値観がバラバラなままだと社会のルールを作ることができません。というのも、ルールを作るには、ルールを作るための価値基準が必要になってくるからです。

そこで、政治的な領域では個人個人の経済的利害や社会的ポジションや気質・性格・感性や人生経験などの違いから発生してくるものの考え方や価値観の集約を行う必然性が発生してきます。そしてその集約が「左」と「右」の対立、或は「左」と「右」と「中道」の対立として顕在化してくるからです。

もっと分り易く説明すると、例えば社会保障をどうするのかを政治的な領域で決定する場合、独裁国家であれば、主権は独裁者が持っているので、その決定は独裁者の裁量的判断で行えば良いのですが、民主制の国家では主権は国民が持っているので、民主制の社会で政策を決定し実行するには多くの有権者の同意や理解が必要です。そのため、社会保障を今よりももっと充実させるには、人権や社会的包摂や相互扶助やソーシャルコストがどうたらといった、社会保障を充実させるための理屈・哲学が必要になり、それが「左」のイデオロギーとなり、また、社会保障を今よりももっと削減するには、自己責任や自助自立がどうたらといった、社会保障を削減するための理屈・哲学が必要になり、それが「右」のイデオロギーとなります。

ゆえに、資本主義経済をベースにした民主制の社会では「左」と「右」の対立自体、或は「左」と「右」と「中道」の対立自体は避けられません。ただ、「左」や「右」のあり様は、固定したものではなく、時代によって国や地域によって社会情勢によって異なってきます。

なお、福祉の充実、レギュラシオン的(社民主義的)経済政策、平和主義、近代的価値観(自由、平等、人権など)の重視などは、それぞれ思想的、共闘的な相性がよく、それが左【左派】のイデオロギーとなり易く、また、福祉の削減乃至は抑制、新古典派的(新自由主義的)経済政策、軍事・警察力の強化、伝統的価値観の重視などは、それぞれ思想的、共闘的な相性がよく、それが右【保守】のイデオロギーとなり易いです。

それゆえ、例えば、社会保障政策では福祉の充実で安全保障政策では軍事力の強化といった考え方の方々や、社会保障政策では福祉の削減乃至は抑制で安全保障政策では平和主義といった考え方の方々もいらっしゃいますが、そういった考え方が政治勢力として既存の左や右ほど大きくならないのは、「福祉の充実」と「軍事力の強化」、また、「福祉の削減乃至は抑制」と「平和主義」は、それぞれ思想的、共闘的な相性が悪いからです。

【ただ、経済政策に関しては、一般的にリベラルは新自由主義的な傾向が強く、右翼は反新自由主義的な傾向が強いです。左派とリベラル、また、保守と右翼は本来それぞれ別の思想体系の政治勢力であるがゆえにそうなります。

{‥‥リベラリズムは個人主義(自己責任主義)が基本哲学であるのに対して、左派は貧困・医療・教育・老人福祉に関しては(可能な限り)共同責任とするのが基本哲学です。また、左派は基本的に万人の万人に対する闘争的・社会ダーウィニズム的・弱肉強食的な経済・社会観に対して批判的であるのに対して、リベラリズムは基本的に肯定的です。保守は自助自立を最も重視するのに対して、右翼は民族主義的なものを最も重視します。また、保守は基本的に現実主義であるのに対して、右翼は保守に比べると理想主義的な傾向が強いです}

もっとも日本の場合は、左派とリベラル、また、保守と右翼の境界線がヨーロッパ諸国に比べるとかなり曖昧ですが。日本人は基本的に情緒的で、論理的な整合性に無頓着なのでそうなるのだと思います】

‥‥ちなみに、なぜ、本当は右とか左のイデオロギーには拘りたくないのかというと、イデオロギーが物事の認識や判断を誤らせてしまう事がよくあるからです。例えば、格差と貧困が拡大している最大の原因はグローバリズム(による底辺への競争)ですが、一般的にグローバリズムを肯定している左派は多いです。なぜ、格差と貧困の拡大に反対している左派が、格差と貧困を拡大する主要因になっているグローバリズムを肯定しているのかというと、左派のイデオロギーであるインターナショナリズム・地球市民的な発想とグローバリズムの親和性が高いからでしょう。

例えばネット右翼は、在日韓国人を叩く事は絶対に正しいという結論が先にあり、その結論自体は絶対に変えずに、在日韓国人を叩くのに都合の良い情報ばかり集めてきて、在日韓国人叩きを正当化しようとするので、認識や判断に大きな歪みが発生しますが、同じように左派も、地球市民主義などのイデオロギーは絶対に正しいという結論が先にあり、その結論自体は絶対に変えずに、そのイデオロギーにとって都合の良い情報ばかり集めてきて、そのイデオロギーを正当化しようとするので、認識や判断に大きな歪みが発生します。

ネット右翼と左派・左翼とでは主張している事が全く異なるのにも拘らず、世間からは同類だと見做される事がしばしばあるのは、ネット右翼と左派・左翼は一般的に、共に前述のように思い込みが激しく独善的で、思考パターンが似通っているからでしょう。

よく、批判的精神といった事が言われますが、本当の意味での批判的精神とは、他者の説だけではなく自説(自分や自分達の説)も批判的に吟味する精神です。他者の説だけを批判しているのは単なるクレーマーの精神、或は思考停止です。

「思考とは本来的に秩序を覆そうとするものです。それは『紋切り型の思考』を解体する事から始めなければならず、そして次に論証をしなければならないのです。」(ピエール・ブルデュー著『メディア批判』より)

また、通説【=議論のなかで論拠としては用いるが、それ自体については論じない概念やテーゼ】や社会通念などを問い直す、批判的に吟味するのが本当の意味での批判的精神です。つまり、本当の意味での批判的精神とは他者を攻撃する事、言い負かす事が目的ではなく、真理・真実(真理・真実が本当に実在するのか否かは別として)を探究する事が目的です。本当の意味での批判的精神があれば、独善的にはなりません。

もっと分り易く説明しましょう。例えばEという物体があり、かつEは円錐だったとします。AさんはEが円に見える角度からしかEを見ず、Eは絶対に円だと信じています。また、BさんはEが三角形に見える角度からしかEを見ず、Eは絶対に三角形だと信じています。Eを様々な角度から見ればEが円錐だという事は分るのですが、AさんもBさんも、Eをある特定の角度からしか見ないために、Eの実相を正確に把握する事ができません。‥‥Aさんは左派・左翼でBさんはネット右翼です。本当の意味での批判的精神とは、非常に簡単に言えば、物事を様々な角度・観点・視点から見る精神です。

一般的に、左派もネット右翼も自分の考え方は絶対に正しいと信じて疑いませんが、そもそも、左派の論理がそんなに疑いようも無く正しいのであれば、世の中の大半の人々が左派になっているはずでしょう。また、ネット右翼の論理がそんなに疑いようも無く正しいのであれば、世の中の大半の人々がネット右翼になっているはずでしょう。

くれぐれも誤解なきよう申し上げておくと、イデオロギーそのものを否定しているわけでは全くありません。前にも述べた通り、資本主義経済をベースにした民主制の社会では「左」や「右」といったイデオロギーの発生や対立は避けられません。ただ、イデオロギーに拘りすぎると、物事の認識や判断が大きく歪むという事です。イデオロギーに拘りすぎるがゆえに例えば、ネット右翼は国益の重視を主張しながら、結果的に国益を損ねるような主張をしたり、左派は貧困と格差の是正を主張しながら、結果的に貧困と格差が拡大するような主張をするといった事象がしばしば発生します。

ちなみに、貧困と格差が拡大すれば、左派の支持層が増えると思っておられる方々もいらっしゃるかもしれませんが、そうはなりません。貧困と格差が拡大すれば、むしろ、社会の右傾化が進む面の方が大きいです。

貧困と格差が拡大すると、人々は生活上の不安感や実存的な不安感から、己の尊厳を己よりも巨大で永遠性の高い「国」や「民族」に同一化させる傾向が強くなるからです。そういった心理現象は一般的に言われているような病理的なものではなく、生存本能的【生存とは、自分の生存だけではなく、子や孫や仲間の生存も含みます。‥‥左派の論理というのは基本的に理性的なものなので、人々の生活が不安定になってくると、左派の論理は生存本能的な右翼の論理に政治的に勝つ事が難しくなってきます。それゆえ、今日の日本のように人々の生活が不安定化し、かつ将来不安も大きくなってきた時代に左派が極右的な勢力に政治闘争で勝つには、左派はより人々の生活・暮しに密着・直結した主張をしていく必要があります】なものなので、右傾化を批判したところで社会の右傾化に歯止めをかける事は出来ません。

社会の右傾化に歯止めをかけるには、多くの人々にとって左派が保守や右翼よりも魅力的になり、左派や、どちらかといえば左寄りの人々や、左派シンパを増やし、左派勢力を拡大するしかありません。

‥‥経済の話をします。資本(人的資本や技術的資本も含む)はより直接税の安い方へ、また、経済的規制(労働規制も含む)の緩い方へ流れていくので、経済的国境を薄めていくグローバリズムを前提とする限り、新自由主義的な経済政策は回避できなくなります【当りまえの事ですが、経済的国境を薄めれば薄めるほど、資本は国境を越えて移動し易くなるので、新自由主義的な経済政策を採用しなければ資本がどんどん海外へ流出していってしまうからです】。新自由主義的な経済政策を行うと100%の確率で格差と貧困が拡大するのにも拘らず、多くの国々で新自由主義的な経済政策が行われるのはグローバリズムを前提としているからです。

新自由主義からの脱却を掲げてフランス大統領に当選したオランド政権も、最近では新自由主義的な経済政策を採用し始めて、公約違反だという事でフランス国民から批判されています。オランド政権の支持率もかなり低下していますが、支持率を低下させてまで、公約違反の新自由主義的な経済政策を採用しているのは、結局のところ、グローバリズム的な経済体制【市場を一つに統合し、人、物、お金が国境を越えて自由に行き来するような経済体制】下では新自由主義的な経済政策を採用せざるを得ないからでしょう。ただ、おそらくこれでまた、フランスでは左派勢力の株が低下していって、新自由主義に反対しているフロンナショナルなどの極右勢力の株が上昇していくでしょうね。

どこの国でもよく、政府は大資本(日本であれば経団連など)の言いなりになっているといった批判があります【そういった批判の最たるものはオキュパイデモでしょう】。政府が大資本の言いなりになっているのは、政治家に対する企業献金や官僚の天下りが原因ではなく、グローバリズム的な経済体制下では、政府は大資本の言いなりにならないと、生産拠点がどんどん海外へ移転していって国内産業が空洞化していってしまうからです。グローバル化が進めば進むほど、大資本や富裕層などの経済的強者が政治的に大きな力を持つようになります。より正確に言えば、グローバル化が進めば進むほど、国家の経済的主権が弱体化し、政府による市場【市場というのはもちろん労働市場も含みます】の調整が困難になります。

行き過ぎたグローバリズムから脱却しない限り、新自由主義からも脱却できるわけがないのですが、左派は地球市民主義(インターナショナリズム)に拘るあまり、新自由主義から脱却できない。結果、左派に失望した多くの下層中産階級や低所得層が、貧困と格差の拡大の主要因になっているグローバリズムや新自由主義に反対している極右勢力を支持するようになり、極右勢力の政治的な力がどんどん増大していきます。

もっとも、極右勢力が福祉の充実など社会主義的な政策に対しても積極的にならない限りは、左派勢力が死滅する事はありませんが。資本主義経済である限りは、社会主義的な政策に対する人々のニーズもなくならないからです。日本の自民党も、消費税アップの言い訳として、社会保障制度を維持するためと言っているでしょう。社会主義を否定している自民党が、社会主義的な制度を維持するために消費税アップが必要だと説いているのも妙な話ですが、それだけ、人々の社会主義的な政策に対するニーズがあるという事です。

また、インターナショナリズムを前提とすると、社会保障を充実させる事が困難に成ります。というのも、インターナショナリズム(地球市民主義)を前提とすると、開発途上国の人々よりもはるかに恵まれている先進国の経済的弱者を救済する正当性がなくなるからです。実際、福祉国家主義に対して否定的な左翼系知識人や、第三世界の貧困問題には関心が高くても、自国の貧困問題には関心の低い左翼系知識人はかなり多いです。彼らが日本の貧困問題に対して関心が低いのは、彼らは日本人としての意識よりもコスモポリタンとしての意識、インターナショナリズム的な意識が強いからでしょう。

地球市民主義は間違っているという意味ではありません。インターナショナルな人々の協力関係がないと、行き過ぎたグローバリズムからの本当の意味での脱却もできないと思います。一国だけで資本移動を抑制する事には限界があるからです。ただ、地球市民主義に拘りすぎると、先進国では貧困と格差の是正はできません。

もっとも、インターナショナルな人々の協力関係といっても、国によって経済的な利害や文化や社会事情が全く異なるので、インターナショナルに人々が強力し合うのは極めて困難ですが。日本国内においても、同じような価値観や考え方を持ち、経済的利害もそれ程大きく異ならない左派どうしですらすぐに内ゲバとなり連帯ができないでしょう。ただ、日本の左派は対話能力が極端に低いので、すぐに内ゲバになってしまうともいえるのですが。

グローバリズムに関して、その本質を表現したもっと分りやすい言説があります。2013年4月23日付の朝日新聞に掲載されたブラック企業の代名詞とも言える「ユニクロ」を中心とした企業グループ持株会社であるファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正氏の

<――いまの離職率が高いのはどう考えていますか。
「それはグローバル化の問題だ。10年前から社員にもいってきた。将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく。仕事を通じて付加価値がつけられないと、低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」
 ――付加価値をつけられなかった人が退職する、場合によってはうつになったりすると。
「そういうことだと思う。日本人にとっては厳しいかもしれないけれど。でも海外の人は全部、頑張っているわけだ」「僕が心配しているのは、途上国から海外に出稼ぎにでている人がいる、それも下働きの仕事で。グローバル競争のもとで、他国の人ができない付加価値を作り出せなかったら、日本人もそうやって働くしかなくなる。グローバル経済というのは『Grow or Die(グロウ・オア・ダイ)』(成長か、さもなければ死か)。非常にエキサイティングな時代だ。変わらなければ死ぬ、と社員にもいっている」>

といった主張はグローバリズムの本質を的確に表現しています。グローバリズムを推進するという事は簡単に言えば、日本の労働者が、日本よりもはるかに労働賃金が低く、かつ労働環境も劣悪な国々の労働者との底辺の競争を強いられるという事を意味します。グローバリズム先進国の米国や韓国は日本よりももっと格差と貧困が深刻ですが、グローバリズムを推進すればする程、グローバルな労働のダンピング合戦によって、先進国では格差と貧困が拡大していきます。また、労働環境も劣悪なものになっていきます。

ちなみに、グローバリズム的な政策の典型はFTAやEPAのような自由貿易を促進する協定で、協定の条項の中でも特に、ISD条項のような海外投資をし易くする条項は典型的なグローバリズム政策です。EUやNAFTAやTPPはキング・オブ・ザ・グローバリズムです。経済学では自由貿易を促進する事は善だとしていますが、なぜそうなるのかというと、経済学は基本的に、収益性と効率性のみを崇拝し、人々の苦しみや痛みのコスト(うつ病、過労死、自殺、貧困、大小の暴力など)、社会的費用を計算に入れてないからです。自由貿易を促進すれば経済効率は高くなり、地球全体で生産される富も増えますが、経済効率を最重視すれば、当然、経済効率の低い経済的弱者はどんどん切り捨て、淘汰していった方がよいという社会ダーウィニズム的な結論になります。

かつて、自由貿易(経済的ダーウィニズム)と帝国主義(軍事的ダーウィニズム)はセットでしたが、自由貿易は暴力的な本質を持ちます。但し、誤解なきように申し上げておくと、私は自由貿易を全否定しているわけではありません。行き過ぎた自由貿易には歯止めが必要なのではという事です。

また、経済のあり様は学問や教育や文化や人々の意識など、社会の様々な領域に大きな影響を及ぼしますが、既存の経済学はそういった影響をほとんど考慮してないところも問題だと思います。例えば、先進国で80年代あたりから人々の政治的関心の著しい低下傾向がみられるのは、新自由主義的イデオロギーが原因にあるのではないかと政治学者のコリン・ヘイは述べています。

民主政治とは社会の様々な利害関係者が集い、丁寧に話し合って、公共の利益の実現を目指して調整を行っていく事ですが、新自由主義では労組潰しが典型ですが、多様な集団の多様な利害そのものが、既得権益として熟議をすっ飛ばして問答無用的に排除されていき、民主政治の領域がどんどん削られ、小さくなっていきます。また、政治的関心とは換言すれば公共的なものに対する関心ですが、新自由主義では公共部門や公共性の高い領域が既得権益だという事で市場原理に委ねられていき【「市場」は熟議を必要とせず、基本的に効率性と収益性の論理だけで回ります】、社会の公的領域はどんどん縮小していきます。そういった事の結果、人々が政治的無関心になっていくのではないかという事です。

鎖国するわけにもいかないので、ある程度のグローバル化は受容せざるを得ませんが、行き過ぎたグローバル化は弊害が大きすぎます。日本は90年代中盤以降それ程GDP(=国の富)は増えていませんが、かといって減っているわけでもありません。基本的には微増しています。人口(経済のパイを受け取る人口)も増えてないので、単純に考えれば国民が困窮化するわけがないのです。にも拘らず国民が経済的に困窮化していっている背景には、グローバリズム的な政策による底辺への競争や資本の海外逃避、及びグローバリズムとセットになっている新自由主義的な政策による富の偏在化があります。

一般的に左派は保守に比べると経済オンチ【さらに言えば日本の左派は政治オンチでもあるのですが】ですが、なぜ左派が経済オンチになってしまうのかというと、勉強不足とかではなく、イデオロギーに拘りすぎるからだと思います。イデオロギーというのは、あくまでも目指すべき社会の方向性、理念であって、社会事象の分析・認識時にイデオロギーの色眼鏡をかけて分析・認識すると、誤った分析・認識になってしまいます。

ちなみに、日本の左派が政治オンチなのは、日本における多くの様々な自由や権利は自分たちの手で獲得したものではなく、戦後アメリカに与えてもらったものなので、日本の左派は基本的に社会変革の仕方が経験的に分らないからだと思います。ある意味当たりまえの事ですが、欧米諸国の真似をすれば社会変革ができるわけではありません。というのも、日本と欧米諸国とでは、社会事情も文化も国民性も全く異なるからです。いや、日本の左派は政治オンチなどではないと思われる方々もいらっしゃるかもしれませんが、日本の左派が政治オンチではなかったら、とっくの昔に左派系の政党が単独で政権を獲得しているはずだし、結果、社会保障制度もヨーロッパ並みに整備されているはずでしょう。

くれぐれも誤解なきように申し上げておくと、社民党や共産党がダメだという意味では全くありません。社民党や共産党「だけ」が頑張ったところで、社民党や共産党などの左派政党の支持層はほとんど増えません。というのも、今は日本社会全体が右傾化乃至は保守化しているからです。日本社会全体が左傾化していかない限り、左派政党の支持層はほとんど増えません。しかし、社民党や共産党「だけ」で日本社会全体を左傾化するのは不可能です。民主制の社会で社会全体を左傾化する役割や責任は一般的左派にあります。

それに、日本共産党に関しては左派政党としてそこそこクオリティーが高いと思います。ヨーロッパでは共産党そのものが政界から消滅してしまった国もあります。それを考えれば日本の共産党はよく健闘していると思います。また、一般的にネット右翼は民主党よりも共産党の方をはるかに批判していますが、それだけ共産党は、民主党よりもネット右翼的な政治勢力にとって政治的な脅威だという事でしょう。問題なのは一般的左派の政治的センスのなさです。

当りまえの事ですが、左派や、どちらかといえば左寄りの人々や、左派シンパが増えれば、社民党や共産党などの左派政党を支持する人々も増えます。逆に、左派に対して反感を持つ人々が増えれば増えるほど、左派に比べれば自民党の方がましという事で、自民党を支持する人々が増えます。もちろん、左派嫌いが即、自民党支持に繋がるわけではなく、左派に対して反感を持つ人々が増えれば増えるほど、人々が自民党を支持する確率が高くなるという事です。少なくとも、左派に対して反感を持つ人々が左派政党を支持する確率は極めて低いです。

自民党や政府を批判しているだけで、自分達の政治勢力の支持層を増やす努力をしなければ、民主制の社会では永遠に自分達が理想とする社会(により近い社会)を実現する事はできません。当りまえの事ですが、どんなに自民党や安倍政権を批判しても、左派や、どちらかといえば左寄りの人々や、左派シンパが増えない限りは、政治闘争で左派は自民党には絶対に勝てません。それが民主制の社会の現実です。

社会のルールや制度は、基本的に社会構成員全員を拘束します。それゆえ、社会のルールや制度を新たに作ったり、変更したり、維持したり、廃止する場合、つまり政治的行為の領域では、戦術、戦略的な事や民主主義的な事は抜きにしても、政治倫理的に可能な限り多くの社会構成員の同意や理解を得る必要があります。単なる独善では、政治倫理的に悪といえると思います。

日本の左派は自民党政権を批判する前に、自民党から政治的センスを学んだ方がよいと思います。例えば、安倍政権が本当にやりたい事は憲法9条の変更や軍事力の強化ですが、そういった事は前面には押し出さずに、経済最優先を主張しています【もっとも、トリクルダウン理論的なアベノミクスが正しい経済政策だとも思えませんが。ちなみに、共産党が主張しているデマンドサイド重視の逆トリクルダウン理論的な経済政策は、今の日本の経済事情下においては方向性に関しては正しいと思います】。なぜ、安倍政権が経済最優先を主張しているのかというと、有権者の多くが最も関心の高い政治イシューは経済の問題だからです。日本に限らず、どこの国でも基本的にそうです。それゆえ、例えば、ヨーロッパにおける政治上の左右の対立は主に経済の問題が中心になっています。

或は、本来自民党はフェミニズムには消極的ですが、「女性の活躍」などフェミッぽい主張をする事で、自民党は支持のウィングを左側にも広げています。自民党は保守的なスタンスを維持しながらも、保守的なイデオロギーにとらわれ過ぎない柔軟な思考が出来ます。

ちなみに、民主党も自民党同様、思考は柔軟ですが、問題なのは、「保守」とか「左派」といった、軸となるようなイデオロギーが無いところだと思います。イデオロギーにとらわれ過ぎるのも問題ですが、かといって、イデオロギーが無いのも問題だと思います。イデオロギーが無い政治勢力は政治勢力として安定性や求心力に欠けます。また、民主政治とは様々な個人や集団の利害調整ですが、イデオロギーというのは、その利害調整の基準になる価値です。それゆえ、イデオロギーが無いと利害調整が困難になります。実際、特定のイデオロギーを持たない民主党が政権を担っていた時は、事あるごとに、民主党内部がかなり混乱していました。そして、その混乱ぶりが民主党の支持率をかなり押し下げました。

自民党は保守的なイデオロギーを保持しながらも保守的なイデオロギーにとらわれ過ぎないからこそ、良い意味で柔軟・しなやかだといえるのですが、民主党の場合は拘るべきイデオロギーそのものを持ってないので、民主党の柔軟性はある種のいい加減さと紙一重です。

多くの有権者から支持されれば、安倍政権は本当にやりたい事もやれるようになるし、逆に、支持率が低下すれば本当にやりたい事はできなくなりますが、自民党には前述のような政治的なしたたかさ【本当にやりたい事は前面に押し出さずに、国民受けするような政治イシューを前面に押し出す、など】があるので、多くの有権者から支持されるのです。対して、左派にはそういった政治的なしたたかさが全くと言っていいほどありません。だからこそ、左派は政治闘争で自民党に全く歯が立たないのでしょうが。

左派が多くの人々から支持されない原因は色々あると思いますが、私は左派が多くの人々から支持されない根本的な原因は、思想的なキャパシティーがあまりにも小さすぎるところ、別の言い方をすれば、あまりにも度量が狭すぎる、あまりにも懐が浅すぎるところだと思います。思想的なキャパシティーが大きければ、当然それだけ多くの人々を取り込めるし、逆に、思想的なキャパシティーが小さいと、多くの人々を取り込めないのはもちろんのこと、内ゲバで自滅することになります。

社会構成員の多くが、一から十まで同じ価値観や考え方になる事など絶対に永遠に有り得ません。それゆえ、社会を変え得るほどの政治勢力を形成するには、目指す社会の方向性が同じであれば、ある程度の価値観や考え方の違いは許容しなければなりません。その現実を受け入れる事が出来なければ、暴力革命やクーデターでも起して独裁国家を樹立し、自分達が独裁者になるしかありません。

また、去年の12月26日に放送されたニコニコ生放送の「とことん共産党」という番組で、ニコニコ動画の政治担当部長の七尾功氏が、ニコニコ動画で終戦の日に右と左の演説会をやった時に、右の人々の方が論理的で説得力があり、左の人々の主張は全く説得力がなかったといったような事を仰っていましたが、七尾氏の仰った事は非常に重要な指摘だと思います。一般的に言って、日本の左派やリベラルの主張は仲間内でしか通用しない論理です。例えば人権を説く場合に、日本の左派やリベラルは欧米諸国がこうだから、日本もこうすべきだといった主張の仕方をしますが、そのような主張の仕方では、西洋かぶれの人々しか説得する事はできません。

教育ディベートでは立場を入れ替えての議論が行われますが、それはなぜなのかというと、そうする事によって、他者の立場に立って物事を考える能力を向上させる、他者の立場に立って物事を考える事によって説得力のある主張をする事ができるようになる、一つの視点だけではなく、複数の視点を持つ事によって考え方の幅が広がる、といった教育的なねらいがあります。

日本の左派やリベラルが説得力のある主張ができないのは、日本の左派やリベラルは論理的な思考ができないからというよりは、一般的に日本の左派やリベラルは他者を言い負かす事ばかりを考えて、自分と他者の立場を入れ替えて物事を考える事ができないからだと思います。そういった質の主張だと、元々自分と同じような考え方を持つ人々の心にしか響きません。

他者を説得するには他者の立場に立って物事を考える必要がありますが、一般的に日本の左派やリベラルは自分は常に正しく、間違っているのは常に他者だと考える傾向が極めて強いです。つまり、自分の視点・観点を絶対視して、自分の視点・観点からしか物事を見る事ができません。だからこそ、日本の左派やリベラルは仲間内でしか通用しないような主張しかできないし、すぐに内ゲバやセクト争いになってしまうのでしょう。

左派は表現能力【自分(たち)の主張を他者に理解や納得して頂けるような言論能力】も向上させる必要があります(私も含めてですが)。なぜならば、そうしないと左派の支持層は広がらず、結果、政治闘争に敗北するからです。

極めて重要なことなので繰り返し述べますが、日本のような民主制の社会では、自分たちの政治勢力の支持層を拡大しない限りは政治闘争には絶対に勝てません。

by 寂静の矢 (2014-12-07 23:32) 

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