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無数の沈黙をいちばんの養分にして,ある日むくりと巨体をたちあげてくる [メディア・出版・アート]

昨日(3月17日)の西日本新聞の15面,「学術・芸術」の欄に辺見庸の文章があった.「水の透視画法」と題して,名前は書かれていないが,明らかに麻生首相とわかる人物の描写がされている.見出しは「最良からしみでた最悪 かれと私の荒んだ関係」.その最後の部分がとても凝縮された文章になっていたので書き留めたくなった.
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きょうびの権力とは,おそらく可視的な単体ではありえない.つまり,英雄気取りの勘ちがい男は,日本の腐敗した権力をかりそめに表象しているかも知れないが,いかに豪華なコートを着用していようと,権力そのもの,あるいはその全体や本質ではありえない.権力(ないし戦争)は,絶えず離合集散をくりかえすわれわれの無数の合意,無数の無関心,無数の断念,無数の倦怠,無数のシニシズム,無数の沈黙をいちばんの養分にして,ある日むくりと巨体をたちあげてくるのである.テレビを消せば,かれと私との関係は切れる.だが,私のあきらめは,権力の腐乱と増殖をしずかにささえ,ひるがえって,私自身を刻々荒ませるのである.
もう一人,「いかにも安い背広を着て,貧者の苦労によりそうふりをする寝業師」に言及しているが,これが小沢一郎のことかどうか,よく分からない.
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