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「独裁国家か民主主義国家か」ではなく、「独裁度」のアナログ指標が必要 [メディア・出版・アート]

Bill-Emmott-240317.jpg昨日(3/18)の毎日の、ビル・エモット氏の論旨、想像通りというか、中・露を独裁体制、日・欧・米を(暗黙に)民主体制とする、二分法をベースにしている。なるほど近似的にはそう言えるだろう。しかし、例えば、日本の今の政治状況はどうか。検察が立件もしなかったため、留置場に入るべき連中が内閣・国会に居座り、政倫審という茶番劇に国会もメディアも占拠される。おかげで(今回に限ったことではないが)予算審議の中見、金額内訳も報道されず、イスラエルのジェノサイドも審議されない。街頭デモの報道も皆無に近い。つまり、そのようなメディアに囲まれて過ごす国民はVR(仮想現実)の世界に閉じ込められているようなものだ。(日本の2023年の「報道の自由度指数」は63.95で、欧米からも水を開けられている。)

したがって、国家体制の評価を、独裁か民主制かの単純な2分法ではなく、アナログ量*として評価すべきであろう。つまり、ジェンダー指数とかジニ係数とか、社会をアナログ量で評価する数値があるように、「独裁度指標」が必要だろう。政治学会かどこかの大学の政治学の研究室で、評価方法を考えて欲しい。これは、NHKの「100分de名著」の、ジーン・シャープの本「独裁体制から民主主義へ」を取り上げた回のテキストの序文に中見真理氏が書いたことにも通じる。ただそこでは、アナログ量のパラメータとしてではなく、民主から独裁への「相転移」としての議論に限られてはいるが。
https://pegasus1.blog.ss-blog.jp/2023-09-14#domestic
・・・この本は強権的な独裁体制下で無力感に打ちひしがれていた世界の多くの人々に読まれ、希望を与え、彼らが独裁体制から抜け出すための導きの書となりました。
このようなことは、平和な日本に暮らす私たちには、一見無縁な話のように思われるかもしれません。しかしそうではありません。民主的な手続きを経て独裁政権が生まれることもあるように、どの国の民主主義も決して安泰ではありません。独裁者の台頭を許さぬために、私たちは常日頃から民主主義の基盤を強くしておかねばなりません。したがって『独裁体制から民主主義へ』は、軍隊や独裁者が政権に居座るような国の人々に限らず、民主主義国家に暮らす人々にも読まれるべき一冊なのだと思います。
私は、日本の独裁度指標はと聞かれれば、ヤマカンで60%と評価しておこう。

ところでこのエモット氏の評論には、見逃せない重大なメッセージがさりげなく挿入されている点を指摘しておきたい。末尾に結論的に書かれてはいないので目立ちにくいが、次のように日米の軍拡を主張・正当化している。いや、声高にあからさまに述べていないことで心理的な浸透力は強いだろう。
だからこそ、日本の防衛力増強や、米国が台湾防衛のために軍事介入するとバイデン大統領が明言したことは重要だ。独裁者が壊滅的な過ちを犯すのを防ぐには、強さと政治的意思を明確に示すしかない。静かな外交では不十分なのだ。
ウクライナの例のように、アメリカが中国を挑発しているという要素は皆無なのか?有名すぎる、アイゼンハワーの「軍産複合体演説」(→全文訳)は過去のものなのか?これらはエモット氏の視野の外にあるようだ。また、「民主主義国」の軍備であっても、上に引用した中見真理氏の指摘のように、その国が将来独裁化しない保証はない。そして、もしそうなった時に、それを自動的に無力化するような「サーキットブレーカー」は軍備には全く装備されていないのである。
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* あるいは、独裁か民主主義かの1ビット情報ではなく、せめて4ビット(16段階)で表現すべき、というべきか。
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