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相良倫子さんのスピーチ [反核・平和]

「沖縄慰霊の日」での相良倫子さんの素晴らしいスピーチは,メディアはもちろん,ネットでも多くの人が取り上げています.「沖縄県の中学生に説教される瞬間の安倍晋三」というコメントで,NHKの中継映像がネットで紹介されています.
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問題のカットに字幕スーパーの加工をしました.

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この,「戦力という愚かな力を持つことで、得られる平和など、本当は無いことを」という,非戦,非武装のメッセージを,護憲派と言われる政党や人々はどう受け止めたでしょうか.「文学的表現」で片付けて,少なくとも当面は,自衛隊の武装を容認するのでしょうか?

rikkenminshu-security.jpg立憲民主党の「外交・安全保障」政策から: 基本政策 – 外交・安全保障
「我が国周辺の安全保障環境を直視し、専守防衛のための自衛力を着実に整備して国民の生命・財産、領土・領海・領空を守ります。領域警備法の制定、周辺事態対処の強化などにより、主権を守るため現実的な安全保障政策を推進します。」

共産党の大会決議から
第3章(20)(2)
かなりの長期間にわたって、自衛隊と共存する期間が続くが、こういう期間に、急迫不正の主権侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には、自衛隊を活用することも含めて、あらゆる手段を使って国民の命を守る。

非武装は理想論だという人もいるでしょうが,よく考えれば「戦力で平和が得られる」との考えこそが理想論」だと分かるはずです.
(当ブログ関連記事から - 新しい順:無人島のために殺し合いゲームまでしなければならないのか?, 安倍政権下「だけ」での改憲反対?, 「防衛」と「侵略防止」, 共産党の大会決議案に「自衛隊を活用」が復活, 伊藤真講演会で「代替防衛」が議論に—久留米大学で, 憲法九条下での国防,etc.)

毎日新聞のサイトから,相良さんの詩を転載します.

沖縄慰霊の日
平和の詩「生きる」全文
毎日新聞2018年6月23日 12時43分(最終更新 6月23日 12時47分)
「生きる」

沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子
 
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
 
私は今、生きている。
 
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
 
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
 
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
 
私はこの瞬間を、生きている。
 
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
 
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。
 
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
 
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
 
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
 
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
 
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
 
今を一緒に、生きているのだ。
 
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
 
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
 
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
 
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
 
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
コメント(2) 

コメント 2

無頼派

 日本共産党が、当面(?)自衛隊の存在を容認する理由として「急迫不正の主権侵害」と「大規模災害」を同列で挙げているところに同党の自衛隊論の稚拙さがあると思えます。
 一過性の領海、領空侵犯などではない「急迫不正の主権侵害」とはどのような事態なのでしょうか? まさか共産党も中国・北朝鮮脅威論に与しているとは思えませんが。
 他方、大規模災害への備えは「当面」の話ではないはずです。
 立憲民主党にしても共産党にしても、国民の間にある、自衛隊の異質な任務を分けないままの、漫然とした自衛隊容認論に迎合しているとしか思えません。これでは護憲論も生煮えと思います。
 

 
  
 
by 無頼派 (2018-07-22 02:20) 

yamamoto

コメントありがとうございます,この問題については,記事中にもリンクしましたが,例えば「共産党の大会決議案に「自衛隊を活用」が復活」などで詳しく書いています.
https://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2016-12-20
問題は,これについて左派,護憲派のほとんど誰も議論しないということです.
by yamamoto (2018-07-22 06:18) 

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