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若者の政治意識と運動圏の責任 [社会]

DSC_2510.JPGある政治学の先生から,学生には「合法的に権力を持った人間が物事を決めるのは当然」との論理だけが民主主義であるかのような貧弱な理解があるという話を聞いた.おそらく,20〜30代の若者の政治システムの理解は(その世代に限らず相当一般的と思うが),民主主義とは選挙が全てであって,それによって選ばれた者が統治しているのだから「文句を言ってもしようがない」という考えで,しかも「それが全て」と推測される.デモやストライキなどによる民衆の圧力で方向を変えさせるというのは,おそらく「邪道」と見なすのだろう.つまり,大衆のデモで政権を変えた韓国の「ロウソク革命」は,「めんどくさい後進国的なやり方」というように思っているのではないか.(右の写真は大学封鎖をするフランスの学生.フランス2で5月14日放送.NHK衛星15日)

選挙で選ばれた正当な政府であっても,公約違反の政策を実行してしまえば次の選挙では間に合わない.憲法違反であればそもそも権限外のことである.

長期的な視点では「ポジティブ・フィードバック」による民主主義からの離脱の要素も重要である.権力を持った層(階級)の支配がある程度の期間続くと,利害関係メカニズムの固定化やメディア支配によって,その層による支配が強化され再生産されるという作用が働く.テレビから締め出された情報は一般の人には届かず,人々は,自分が住む地域以上の広域的社会(国家など)の構成員としては,メディアが作り出す仮想現実の中で暮らすことになる.そのような,「インフォームド・デモクラシー」とは到底言えないような情報環境では,選挙を行っても支配勢力が議席の多数を占め続けることになる.

このような,結果(権力の成立)が原因(民意形成)に作用し,ますますその「結果」を強化するような現象は,電子工学などでは「ポジティブ・フィードバック」としてよく知られている.状態がそれによって固定(ロック)されてしまうと,それを脱するには別のメカニズムによらなければならない(拡声器がハウリングを起こしたときは,ボリュームを絞るか,マイクをスピーカーから遠ざける,など).このようなことは理学・工学の中では常識なのだが,これを社会現象,政治現象に当てはめるのがなぜ難しいのだろうか.

このような理解に立てば,短期的,長期的のどちらでも,選挙以外の方法で民意を政権や政策に反映させる必要があることがわかる.それが集会やデモなどの表現行動,そして労働者のストライキ,そして道路封鎖などの直接行動だ.このような行動形態を広く知らしめるのは運動圏の人々の役割だ.もちろん自らの行動によって.しかしストライキはこの数十年来ほとんど行われず,直接行動の行動形態は沖縄に限定されているのが日本の現状だ.つまりそもそもこのような「知識」を若者に与えることが出来ていない.したがって野党や運動圏の人々がこの活動分野に理解と実践を広げることが重要だ.人々の「エンパワーメント」に大きく関わる問題だからだ.

ブログ記事の一節「行為によるプロパガンダ」参照ください.
http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2014-11-30#prba

フランスの学生による大学封鎖(5月15日).国鉄労働者なども応援に.
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沖縄,辺野古の座り込み(NHK,2017年2月6日)
http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2017-11-09-1
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フランス国鉄のストを封じる2018年5月21日の毎日新聞
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コメント(2) 

コメント 2

昔の卒業生

 日本では「ストライキ犯罪論」的な思考がはびこっております。ストライキを指導すべき労働組合の幹部でも、多くはストに否定的です。労働三権の意味が分かっていない?
 彼らには、運動で物事を変えたという経験が圧倒的に不足しています。実際のところストライキ経験者は皆無で指導なんぞ出来ないのが実情ですが、運動といえば「選挙運動」しか知らないようです。
 その昔は、労組が「法人格否認の法理」まで実力でかちとった実績がありましたが、今や、労組といえば持ち株会社や、親会社の責任追及すら迫りえない、力不足の「運動」団体ばかりです。
「会社は株主のものだ」という主張が公然と、かつ、当然のものとしてまかり通っております。
 そういえば、連合の結成当初のスローガンは、「力と政策」でした。「働き方改革」の強行採決にささやかな院内集会でごまかしておる連合幹部が、どこで「力」を発揮するのか、これから奮闘していただきたいものです。
by 昔の卒業生 (2018-05-26 12:36) 

yamamoto

これに怯えて,あるいは「一般市民の受け止め」を忖度して,ストを自粛してきたことが間違いだったと思います.確かにそう言う風潮が数十年前から組合には一般にありました.最近では,せっかく民間並みになりスト権も手にした国立大学「法人」においても,です.
いま「スト」を口にしても非現実的という組合が多数でしょうが,しかしまずは言葉を発しなければ何も始まらないと思います.
by yamamoto (2018-05-27 23:59) 

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