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核兵器禁止条約という前進の一方で左翼・リベラルまで国家主義に取り込まれる恐れ(寄稿) [反核・平和]

DSC_0866.JPG福岡県の大学関係者・研究者の共産党後援会ニュース(8月7日付け)に,次のような文章を寄稿しました.発行者の許可を得て転載します(紙と違ってこちらはハイパーリンク付き).この「後援会」に関しては,「全国区」の会議に出た時のことを,7年前の記事にも書いています.

核兵器禁止条約という前進の一方で左翼・リベラルまで国家主義に取り込まれる恐れ

長く望まれた核兵器禁止条約が,7月7日の七夕の日に,国連の会議で採択された.発効は時間の問題だろう.米・露・中の核大国に批准させ実効化するのは困難なことだが,「核のない世界」への大きな一歩だ.

核をめぐる日本の市民の焦眉の課題は,北東アジア非核地帯化(朝鮮半島と日本を非核化し,周辺の核保有国が保証)だが,朝鮮民主主義人民共和国(以下,北朝鮮)の核とその運搬手段の開発の進展は,まさにこれと逆方向への動きで深刻である.

しかし北朝鮮に反発するあまり,日本国内では一方的で公平さを欠いた言説や対応が幅を利かしている.アメリカを筆頭とする核大国が持つ核兵器は,数も威力も北朝鮮の比ではないにもかかわらず,非難はもっぱら北朝鮮に対するものだけが聞かれる.国会でも,共産党も含め参議院で全会一致採択された3月8日の「北朝鮮による弾道ミサイル発射に抗議する決議」(翌日衆院で同様の決議)は,アメリカの核を度外視するだけでなく,まさに同時進行で実施されていた過去最大と言われる米韓軍事演習にも一言も触れず,北朝鮮のミサイル実験を一方的に非難するものになっている.アメリカの「核抑止力」に依存しているという点では(いわゆる核の「傘」),わが国も間接的ながら北朝鮮に「核の脅威」を及ぼしているが,その自覚も全くない.

このようなロジックは冷静に考えれば誰でもわかるはずなのだが,防衛や安保にまつわる問題では左・右を問わず国家主義的なファナティシズムに多かれ少なかれ支配されしてしまうようだ.このような,特定の国を一方的に悪魔化するような態度・言説は危機の解消どころか,より緊張を高めてしまう.このような事態に対してパグウオッシュ会議が5月4日に出した声明や,それに1日先んじての,筆者もメンバーである福岡核問題研究会の声明は,米・朝の両者に自制を求めているので,是非参照いただきたい.(筆者の「ペガサス・ブログ」の5月6日の記事からリンク)

このように,核廃絶への国連での大きな一歩とは裏腹に,北東アジアの緊張は高まっているが,問題は朝鮮半島だけではない.ほとんど報道されないが,中国との間でも緊張を高める,石垣島・宮古島など先島諸島への陸自配備計画が進められている.三上智恵監督の最新作「標的の島 風(かじ)かたか」で大きく取り上げられた,この「東シナ海戦争」準備への抵抗は,わが国の平和運動の最優先課題の一つでなければならない[関連SNS:琉球弧 (南西諸島) ピースネット].佐賀空港の陸自オスプレイ配備問題は,今年度末に創設が目論まれる「水陸機動団」,つまり日本版海兵隊が「東シナ海戦争」に備えるという問題であり,私たちにとってはローカルな課題でもある.

北朝鮮のミサイル実験に対する共産党を含む野党の対応を上で問題にしたが,共産党が今年1月の大会で出した方針には実はもっと深刻な問題がある.安保問題に関して,5大会16年ぶりに,急迫不正の主権侵害の場合は「自衛隊を活用する」という文言が復活した[関連ブログ記事].これは,同決議にある「憲法と自衛隊の矛盾の解決は,一挙にはできない」という消極的容認の範囲を超え,軍事組織としての自衛隊の必要性を明確に認めたものだ.なぜなら,主権侵害のケースで隊員が手にするのは恐らくスコップではないので,「自衛戦争も辞さず」と述べたことになるからだ.

また,志位委員長はこの大会の2年前,戦争法が国会を通った直後の「国民連合政府」についての記者会見で,その政府は日本有事のさいには安保条約5条の日米が共同対処の項を発動するとまで述べた.しかし上記大会決定では,日本に駐留する米軍は「日本の防衛とは無関係の,干渉と介入を専門とする『殴り込み』部隊」と規定されており(第3章20-2),志位委員長の発言と矛盾する.

かつて第2インターナショナルが,第一次世界大戦の長期化の中で,その各国支部の中の「祖国防衛のためには戦争もやむなし」というナショナリズムの強まりによって崩壊したという史実があるが,共産党までが隣国の軍事的脅威という考えに(もちろん事実ではあるが)一面的に支配され,国家主義に取り込まれていくのではないかと恐れる.

論争点であるべきこのようなアジェンダが党内でほとんど議論らしい議論もなく決まり,また見過ごされていることも深刻に受け止めるべきだ.
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関連ブログ記事から
自衛隊の存在そのものが違憲である
「攻められる」ことと「攻める」こととの等確率性
カント「永遠平和のために」の第三条項
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コメント(5) 

コメント 5

バッジ@ネオ・トロツキスト

現在の人類社会は、左翼の大方も含めて全く大前提的な事実が見えていないのですね。
見えているのはむしろ、かつて核軍拡競争を先頭に立って牽引・強行してきたキッチンジャーたち「アメリカ4賢人」のようなプラグマチストの方です。プラグマチズムの立場からの現実直視力の方です。

「大前提的事実」とは、9.11テロにより見事なまでに露呈してしまった武力自衛政策の幻想性、武力抑止政策の破綻の事実です。
つまり、世界最強の核大国が、従来、最高の抑止力だとされてきた核兵器体系の保有・装備をもってしても、たった数人によるテロを防げなかった。少数者によるテロの抑止にさえ「最高の抑止力」は無力だった、という事実です。

このことからは当然、テロを偽装した国家による挑発やサイバー攻撃への自衛にも、武力は無力だという論理的帰結になる。    結局、武力自衛政策は幻想でしかなかったのです。

ところが驚くべきことに、武力自衛政策の継続・拡充こそが「現実的」であるという妄念・妄信が、思想的立場の左右を問わずに未だ共有され続けている。
憲法9条は「理想」に過ぎないという、理想と現実の取り違えが大手を振ってまかり通り続けている。幻想を現実と誤信し、現実を理想と誤認し続ける迷信や妄信のたぐいに多くの人間が捉えられ続けている。笑止、狂気の世界が続いているのです。
共産党までが、武力自衛が可能であり有効であるという幻想に呪縛され続けている。

本当にバカな人間ばかりの現代人類社会なのですね。
つける薬もありません。
ま、他分野の問題でも、大同小異な醜態を晒し続けているのが左翼を含む現代の人類なのですが・・・・ 
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2017-08-10 15:30) 

自称無頼派

 問題は、共産党の大会方針と志位氏の発言のコップの中の矛盾ではなく、同党が「急迫不正の主権侵害の場合」などという脅迫観念を受容して、武力自衛を排除しない立場を公然化していることではないですか? ブログ主もこの議論に引きずられているように見受けます。
 勇ましい装備をしても、バッジさんも言うように、数人の確信犯的テロさえ防げない日本の自衛力で、100発のミサイルを発射されたら、全部を迎撃できる保証がないのが現実でしょう。武力戦争以前に、官邸の屋上にドローンが落ちていたことに何日も気が付かない間抜けな日本政府が原発や使用済核燃料貯蔵施設を標的にしたテロを防げますか? 
 もっと言えば、今の共産党の自衛隊論を読むと、武力装置としての自衛隊と災害救助活動に当たる自衛隊の区別さえ、わきまえられていないように見受けます。
 自党の議員が「人殺しの訓練」と発言したことに対して、「災害救助に当たる自衛隊員に無礼」といった批判がされた時、それにまともに反論せず(できず?)、自党議員を諫めることに躍起になったのも、党幹部の間で頭の整理ができていないあらわれです。
by 自称無頼派 (2017-08-11 23:41) 

バッジ@ネオ・トロツキスト

20世紀左翼の武力自衛幻想への拘泥原因は、ロシア革命以降の帝国主義列強による対ソ連干渉戦争とその防衛の必要にもあったように思いますね。
また、レーニンのジェノバ会議?での残虐兵器禁止の論陣や「帝国主義論」的世界図式、「後継者」たちのその無批判的受容にも遠因があったように思われます。
つまり、資本主義(つまりはその「最高段階としての帝国主義」)が続く限り、革命政府の祖国防衛は不可避不可欠であり、「社会主義国の武力自衛」は不可欠である、というような通念化。

一方で「軍国主義滅亡の弁証法」の発現諸形態についての探求放棄も深刻でしたけれど、そういう「20世紀の不幸」が未だに世界の左翼陣営に武力自衛幻想の未清算・拘泥を続けさせているように思われます。
いかがでしょうか?
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2017-08-17 12:11) 

バッジ@ネオ・トロツキスト

日本の右翼の北朝鮮脅威論は、武力自衛可能論に立場で書かれているハズの歴代の「防衛白書」が国内原発の防衛についてネグっていることなどからも、タダの子どもだまし=軍拡政策の口実としてデッチ上げられた虚構の側面が強いのですが、それでも、ベトナム戦争の粗雑なアナロジーを愛好する20世紀左翼陣営は武力自衛が現代人類社会において本当に可能なのか否かを真面目に検討してこなかったのですね。
事実問題以前に、「帝国主義の挑発、侵略からの自衛」のような、武力自衛についての価値論的正当視が通念化していた。帝国主義論的世界認識の固定化・教条化と共にです。
だから、キッシンジャーたちのようなかつての好核勢力の中から大転向が起こるようなことも予想だにされなかった。

非弁証法的な図式化や固定化、教条化って、どんな分野の問題においても怖いのですね。
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2017-08-17 18:14) 

バッジ@ネオ・トロツキスト

新自由主義であれ排外復古反動思想であれ、そんなものはしょせん、「表層」でしかないのですよね。
政策選択の是非が問われるという限りでは、平和の問題でさえそうです。9条条文護持の成否なども「表層問題」に過ぎません。「親が無くても子は育つ」し、「人が歩んだから道が出来た」のですからね。
それら全ては、唯物論的な分別では「被規定的・派生的」な上層分野の問題です。たとえ恣意によって9条条文が破壊されたとしても、9条的現実性そのものは、現代の人類社会でもう不滅なのです。

だから、唯物論者でありたいのなら、本当に社会発展の促進者でありたいのであるならば、もっと深層をこそ直視し把握しなければなりません。深層の事実を認識においても自覚・共有する努力を強めなければなりません。
そう、現代資本主義システムにおける、「労働」の変化、発展です。
社会的諸形態・諸関係を発生させている根源的土台の問題です。そこが見えていないんじゃ、左翼も唯物論者もあったものじゃない。

マルクスやレーニンが喝破していたような、資本の下で疎外された形態で進められている「労働(生産)の社会化」を剔抉・直視することが第一に求められると思います。そこを等閑視した「理論家」や「学者」「専門家」が溢れかえっていたのが20世紀だったのだと思います。
後進国のレーニンやカント主義者ヒルファディングたちみたいに、政治や金融の重箱の隅をつついてみても、大ぶりで射程距離の長い将来展望、現代が希求する展望は得られないのです。資本の下で進められる労働の社会化と、その社会化が不可避的に発生させる諸問題を把握しなければ、レーニンのような「資本主義の最高の発展段階としての帝国主義」のような図式の固定化に陥る。

マルクス主義者崩れトフラーやベルたちのキッシンジャー的直視能力を、マルクス理論の正しい路線上に据え直し徹底しなければならないと思います。山口正之たちの「労働の社会化」論を現代資本主義の到達点に照らし普遍化・展開しなければならないのです。

「軍国主義滅亡の弁証法」の今日的な現れ方を理論的に把握するためにもそのことが必要大前提です。
生活様式の社会化をも促進させる労働の社会化、生産の社会化こそが、憲法9条を歴史的に正当化し現実化してきた最深部の原因なのですから。
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2017-08-19 11:28) 

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