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民主主義制度の不可欠な補完としての非暴力直接行動 [社会]

今度の国会の惨憺たる状況,さらにはこの数十年来,国政レベルで左派勢力の一方的な負けが続いている状況をなんとか変えなければなりません.いくらでも時間の猶予があるということでは恐らくなくて,ある時にはすでに手遅れということになるのではないかと危惧します.

私がこの8年来,道半ばながら素晴らしい成功を収めているイギリスの反核運動に関わり続けて思うのは,非暴力直接行動の有効性,というよりむしろ不可欠性に日本の民衆運動が気づくべきではないか,ということです.いわば,辺野古の闘いの「一般化」が必要ではないでしょうか.そのような問題を指摘した拙文を転載します.最近ある雑誌[2023.4追記:『証言2007』,長崎の証言の会]に寄稿した長い文章の最後の部分です(全文をご希望の方にはメールでお送りします).[追記:はじめの部分末尾に追記します.] 末尾の[註5]に掲げた本も参照いただければ幸いです.

民主主義制度の補完としての非暴力直接行動

仮に、「全世界の核兵器を一斉に全廃する」という提案を「全地球住民投票」にかけたとしたら、おそらく圧倒的多数で可決されるのではないだろうか。つまり核兵器の廃絶は地球住民の多数の意志であろう。しかし現実には、廃絶に向かうどころか、私たちはその垂直、水平の拡散を目の当たりにしている。なぜか。それは地球規模での民主主義が機能していないことを意味する。

このような事態は国家規模でも、あるいはもっと身近な自治体や、各種の組織でも見られる。上に挙げたイギリスの例でも、世論の6割はトライデントの更新に反対であるのに、イギリス議会はそれと逆の決議をしている。核兵器の問題以外でも、またわが国でも、ダム建設問題にせよ、プルサーマル問題にせよ、同様の事態が存在する。

このような民主主義制度の機能不全への補正(remedy)として、アンジー・ゼルターは非暴力直接行動の有効性を強調する。2000年の来日時の講演から引用しよう [註7]。

人々は、その社会が破壊されたり、国民の名において、非常な悪業が行われたりするのを見たとき、直接行動を起こし、必要な変化を創り出します。非暴力直接行動は、変化のための触媒であり、今や世界的な規模で起きています。例えば、森林破壊に対する平和的な阻止行動や、ダム建設阻止のための断食、川を汚染する金採掘防止のためのサボタージュ、石油汚染をくい止めるための不買運動、そして民衆による直接的非武器化行動などがあります。→全文 →講演原稿全訳

国家による明らかな犯罪行為が、それも戦争犯罪や大量殺戮のような重大犯罪が切迫している時には、市民がこれに介入し阻止するために、一見違法に見える手段であれ、もしそれ以外に方法がないときにその手段を使うことは、まさしく「法を守る」行為として正当化されるだろう。私は法律家ではないけれども、おそらく「違法性の阻却」という法律用語が当てはまるのだろう。

戦争犯罪のような多くの人々の生命が危険にさらされているというような状況では上のように明らかだが、そうでないときはどうだろうか。たとえば、大量の非正規雇用の人々の待遇や地位を改善するといった目的での非暴力直接行動は許されるのだろうか。

これも、この目的に合致したレベルでの非暴力抵抗は許容されるし、必要であると思われる。かつて、フランスの失業者たちが抗議のためにエコール・ノルマル(日本なら東大法学部に相当)を占拠したとき、著名な社会学者ピエール・ブルデューは現場に駆けつけて応援演説を行った。なるほど日本の社会は民主主義の制度で運営されており、不満があるのなら選挙を通じて多数の意志を政府の政策に反映させればいいはずだ。しかし「多数決」でも決めてはならないこともある。また実質的に重要なのは、制度のタテマエに反して多数の意志が政府に反映しないようなメカニズムが存在するということである。

それは、政治権力を握った集団が、明示的な政治制度以外でも支配の網の目を張り巡らせ、支配される側をいろんな意味で動けなくしてしまうということがある。そしてなによりもメディアを支配することで、支配される側の政治的認知力を低下させ、あるいは欺く。これにより支配される側は、認知力低下のため、それとは知らずにみずからの利益と正反対の勢力に投票してしまうのである。

これは正のフィードバックのループを形成するため、この状態に落ち込むとそこでロックされてしまう。このような、とりわけメディアが民主主義を、つまり必要な変革を阻害する役割を果たすことは決して今に始まったことではなく、すでに1949年にアインシュタインが「何故社会主義か」と題するエッセイで鋭く指摘している [註8]。少し引用する。

私的資本は集約されて寡占状態に向かう。それは一つは資本家の間の競争により、また一つには技術的な発展と分業の増大が、小企業を犠牲にしながら生産単位を大きくする方が有利であることによる。この過程の結果、寡占状態の私的資本の力は著しく増大して、民主的に組織された政治的な環境においてもうまくチェックすることができなくなる。立法院の議員は政党が選択するが、その政党は私的資本から財政的その他の援助・影響を受けていて、一方私的資本には選挙民を立法院からなるべく隔離しておこうと考える実際的な理由がある。その結果、市民の代表は特権を持っていない人々の利益を十分には守らない。さらに現在の状況では、私的資本が主要な情報源(新聞・ラジオ・教育)を直接・間接に操るということが不可避である。その結果、個々の市民が客観的な結論に達して、政治的な権利をうまく使うということは非常に難しく、多くの場合に全く不可能である。

この最後の部分は、「ラジオ」を「テレビ」に置き換えれば、一昨年の「郵政選挙」の(そしてもしかしたら今度の参院選の)結果の評論であったとしても決しておかしくない。つまりアインシュタインがこの文章を書いた58年前から、社会はこのような政治システムの不具合を解消する方法を見つけることができていない。

このような民主主義制度の機能不全と「ロック状態」から離脱させる一つの方法としても、非暴力直接行動は有効ではないかと思われる。少人数でも、非常に勇気ある、自己犠牲的な行動というものは多くの人の心を打つものだ。行動の結果次第ではメディアも「無視」を決め込むことができない。アンジーらの99年のメイタイム非武器化無罪判決はその典型だろう。(→当時の報道

重要なのは、これはあくまでも民主主義の補完のためであり、革命のためではないので、司法システムだけは完全に尊重しなければならないということだ。つまり逃げ隠れしないということである。これは人々の支持と信頼を得るための必要条件であるだけでなく、独善を防ぐための最後の保証でもある。つまり直接行動は多かれ少なかれ社会の日常的な秩序に挑戦することになるので、正義のつもりの行動が単なる独善に過ぎないとすれば社会は大迷惑を被るだけだからである。「悪法も法なり」という命題は法の上下関係を無視した俗説だが、「悪い裁判所も裁判所である」という命題は受け入れなければならないということだ。今日われわれが経験するように、司法だけがまともに機能しているというわけではない。しかしだからといってそれを避けると、今度は独善や、本当の犯罪との区別が出来なくなってしまう。したがって直接行動の活動家は、逃亡ではなく刑罰のリスクを受け入れなければならない。

九条の「輸出」と、非暴力直接行動の「輸入」

「ファスレーン365」は国際運動であり、当然日本からの参加が、それもチームとしての参加が求められていた。以前からアンジーやTPとつながりを持っていた私は、一昨年の暮れにこの情報を知るや否や、このような世界的な、しかも「あと一押し」という決定的なキャンペーンに被爆国日本から参加しない手はないと、昨年春頃からあちこちに参加を働きかけ始めた。

当初は、このようなエキサイティングな活動には多くの団体が引きつけられるだろう、特に反核団体なら二つ返事で参加を表明するだろう、 そのような大組織に「丸投げ」すればそれで私の役目は終わり、 などと思っていたが、それは私の希望的な思い込みに過ぎないことがすぐに判明した。そこで昨年9月に福岡を拠点に実行委員会を設立して準備を続け、派遣チームを編成し、7月25 −26日を日本の当番日に設定した。

核兵器は「九条」の対極にある。日本の市民がファスレーンに出かけることは、九条を「輸出」する活動の一つであると位置づけられる。その反作用によって九条を「守る」活動もエンパワーされるはずだ。

また同時に日本からの参加は、「非暴力直接行動」という運動形態を「輸入」あるいは再発見する重要な機会だと考えている。大きな組織に「丸投げ」出来なかった理由は、大きな団体ほどその年間スケジュールはタイトに決まっており、資源の割り当てもすでに「予約」済みで、ヨーロッパに数十人の規模で人を送るなどという計画が割り込む余地はほとんどないという実際的な理由もあっただろう。しかしそれよりもむしろ、この行動が「逮捕覚悟」のものだということが大きな障害になった。

組織自身の取り組みとしてではなくても、この運動を会員らに紹介するということは可能なはずだが、それをもためらわれるケースがあった。もし紹介したら、逮捕されたときの不利益まで含め、すべての結果に対して紹介者がその責任を取らなければならないという思い込みが強いようだ。個人で引き受けるリスクがどのようなものかを十分に説明し、その理解と納得の上で、個人の責任での参加を奨励するのであれば、紹介者があらゆる責任を取らなければならないということはないはずだ。ところが日本の常識はそうでもないらしい。このような、いわば「組織丸抱え主義」は、責任論などをはるかに通り越して、むしろ個人の独立性そのものをないがしろにするものではないだろうか。

同時に、「逮捕覚悟」ということ自体に強い拒否反応を示される場合も多かった。このような反応は当然と言えば当然だが、しかしそれが余りにも画一的過ぎるように見えた。よく考えれば、「逮捕」ということと「法を守る/法を破る」こととは別問題である。もし「逮捕=法を破る」という見方だと、それは事実上「警察の判断=法」ということになってしまう。場合によっては「法を守る」ために逮捕を覚悟しなければならないこともあるのだ。ビラ配りで逮捕されたからと言ってビラ配りを止めてしまうわけには行かないのはあきらかだ。

このような、「逮捕」や非暴力直接行動に対する反応の背景には、60〜70年代の学生運動の一部(メディアでは大部分のように報道された)に見られた暴力性の、長く続いた後遺症があるものと思われる。直接行動=過激=暴力という連想だ。このため、わが国の社会運動において「市民的不服従」、すなわち非暴力抵抗が運動の手段として考えられることがほとんどない。しかし実際には、よく知られたものでは「日の丸・君が代」の強制に対する不服従として、あるいは沖縄・辺野古の基地建設反対闘争での「海上座り込み」などの非暴力行動として実践されている。前者では内心の自由、思想・信条の自由を守る闘いのシンボルとなり、また後者では実際に基地建設を阻止し続けるという成果を上げている。歴史をさかのぼれば、例えば「虹の松原一揆」のようなりっぱな非暴力抵抗の実績もある。

「ファスレーン365」への日本からの参加は、このような日本の伝統に存在するものを再発見し、運動に生かして行くための刺激になるのではないかと密かに思っている。

[註1] 原語は“sons of bitches”。(Richard Rhodes、 The making of the atomic bomb、 p.675)
[註2] 上掲書およびその日本語訳:リチャード・ローズ、「原子爆弾の誕生」下巻 474ページ、紀伊国屋書店、1995年。
[註3] 広重徹による訳が次の本の488−497ページにある。A. K. スミス著、『危険と希望 アメリカの科学者運動: 1945ー1947』現代史、戦後篇25、みすず書房、1968。
[註4] 昨年11月6日にNHKが放映した「ラストメッセージ」第2集「核なき世界を 物理学者・湯川秀樹」がこれをよく描いている。
[註5] 市民的抵抗 — 非暴力行動の歴史・理論・展望 (単行本) 、 Michael Randle (原著) 石谷 行、寺島 俊穂、田口 江司 翻訳、新教出版社、2003年
[註6] 長崎平和研究 No.21、121-137ページ。
[註7]「世界」(岩波書店)2000年9月号、p.47-54
[註8] アメリカの左翼月刊誌「マンスリー・レビュー」の創刊号(1949年刊) に掲載。日本語訳が「科学・社会・人間」(日本物理学会の中のサークル「物理学者の社会的責任」の機関誌)の2005年9月10日号にある。

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1401577.gif2023/4/8 追記 上記,「証言2007」に掲載された文章のはじめの部分です.

核廃絶・科学者・直接行動
shogen2007.jpg   ファスレーン365日本実行委員会
   /佐賀大学理工学部
          豊島耕一

はじめに
この8年来、私はある偶然からイギリスの反核運動と関わりを持ち続けてきた。それも単なる署名や集会といった形態にとどまらない、非暴力の直接行動でイギリスの核を廃絶しようとする運動である。これまでは向こうの活動家を日本に呼んで講演をしてもらったり、ウェブサイトの翻訳をしたり、この運動を日本に紹介することが主な活動だったが、昨年からはこれに現地で直接参加するための準備など、より深くコミットするようになった。そしてこのような非暴力直接行動の有効性、重要性を深く認識するようになった。

私自身、物理学を研究する科学者として、原爆の問題、核廃絶の課題の重要性を強く意識している。そのような科学者の責任論から説き起こして、イギリスの運動の紹介と、私自身の現地での経験を通じて、非暴力直接行動の意味を論じてみたい。さらには、この行動形態は核廃絶の課題に限らず、一般の社会運動でも幅広く必要であることを論じる。

科学者と科学界の原爆責任
科学者の反核運動への関わりのランドマークとなったのは1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」であろう。そしてこれは1957年のパグウォッシュ会議へとつながる。しかし、そもそも原爆を考えつき、実際に製造を指導したのは科学者自身であり、ある意味でその「責任を取る」活動が、ようやく原爆使用から10年を経て始まったと言える。

原爆に対する、あるいは科学の応用の負の側面に対する科学者の責任という考えは、原爆開発にたずさわった当事者たちの当時の言葉にも見られる。1945年7月16日の史上初の原爆実験「トリニティー・テスト」が成功に終わった直後、実験サイトの所長ベインブリッジは喜んで「そこら中を飛び回った」が、やがて同僚に「いまや我々は、全員、サン・オブ・ビッチ(畜生ども)だ」 [註1]と言った。しかもその会話の相手で、原爆組み立て研究所ロスアラモスの所長R.オッペンハイマーはのちに、「それが実験のあとで人々の言ったいちばんましな言葉だった」と述べている [註2]。つまり原爆の必要性を信じ、それを完成させた中心的な科学者自身が、しかもその完成の直後から責任意識を、というよりむしろ、明確な罪の意識を持っていたのである。

また、原爆開発の初期にプロジェクトに加わり、後期には中心がロスアラモスに移ったため第一線を離れていたシカゴのグループによってまとめられた「フランク報告」は、次のように、科学が生み出したものへの科学者の「直接的な責任」に触れている。
過去において科学者は、かれらの純粋な発明に対して人類が見つけた利用方法については、直接的な責任を否認することが出来た。我々は今日おなじ姿勢を取ることはできない。なぜなら原子力において我々が成し遂げたものは、過去のすべての発明よりも限りなく大きな危険に満ちているからである。(フランク報告、序文。豊島訳 [註3]。)
パグウォッシュ会議は今も続いており、またわが国では80年代まで、湯川秀樹が反核運動に多大の情熱を傾けたことが、昨年放映されたNHKの番組「ラストメッセージ」で紹介された [註4]。しかし、そこで紹介された湯川の発言ように、何か成果が上がったなどと言えることは一つもなく、事態は悪くなるばかりである。(ただ、湯川の死後、86年の国際司法裁判所の、「核兵器は一般的に国際法に違反する」とした「勧告的意見」、そして2000年のNPT再検討会議で核大国に「核廃絶への明確な約束」をさせたことは大きな成果と言えるだろう。)

「ラストメッセージ」の番組では、アインシュタインが湯川夫人の前でアメリカの原爆投下を謝罪して涙を流したことを、夫人自身が証言していた。アインシュタインのルーズベルト大統領宛の手紙は有名だが、彼自身は原爆開発に直接には関わっていない。しかしその手紙のことが頭にあって、被爆者への強い責任を感じたのであろう。はたして責任があるのは彼や、直接原爆開発に携わった科学者たちだけだろうか?

日本の戦争責任を考えるとき、そのとき生まれてもいなかった世代の人々までもその「責任」を分担しなければならないとされる。一見不条理だが、国家には組織としての責任の継続性があり、私たち国民は、その国家を何らかの形で支えている以上、少なくとも歴史を正確に認識すると言う「責任」は存在するだろう。同じように、特に原爆に関わりの深い物理学界はもちろん、アカデミズムの社会にも「原爆責任」と言うべきものが存在し、学界全体としてこれを引き受けなければならないのではないだろうか。これはアメリカの科学界に限ったことではない。日本の科学者も当時原爆の研究に着手していたのである。

学者らの新しい行動形態と「ファスレーン365」
そのような責任論に立脚するかどうかは別として、科学者運動には核廃絶への責任が課せられている。そしてその重要な柱は、それぞれの専門性を核廃絶のために生かすという知的分野での貢献をエンカレッジすることであろう。このためその形態はもっぱら室内での会議や声明文の発表などという形を取って来た。しかし、ラッセル・アインシュタイン宣言とパグウォッシュ会議から半世紀を経て、今年の1月7日に、科学者たちは新しい行動形態に一歩を踏み出した。室内ではなく「アウトドア」で、また文書などの言葉だけではなく、「フィールドワーク」つまり行動も兼ねた形態を編み出したのである。それは「大学人によるセミナーと封鎖」と名付けられ、核兵器基地のゲートを塞ぐように「会場」を設定して開かれた学会である。フィールドワークとは、核廃絶を単に言葉で主張するだけでなく直接に行動で示すこと、そして、それに対する国家や社会の反応を調べることを意味している。

このセミナーが行われたのはスコットランドのグラスゴーの近く、ファスレーンと言う英海軍の基地である。イギリスはNPTが「公認」した核兵器国の中では核廃絶に最も近い位置にあるとされるが、実はそれが「あと一押し」というところまで来ている。英国の核兵器システム「トライデント」は2024年に耐用年数を迎えるとされ、これを更新するかどうかをめぐってこの数年来議会の内外で議論がなされている。政府はトライデントを更新して核を保持し続けることを決めたが、世論の6割はこれに反対である。核基地のあるスコットランドではこの数字はもっと高い。そこでイギリスの反核運動は今、世界中の市民に協力を呼びかけて、核兵器基地ファスレーンのゲートに一年中座り込み封鎖をすることで核廃絶への「最後の一押し」をしようとしている。昨年10月に開始された「ファスレーン365」というキャンペーンがそれだ。言葉の暴力も排除するなど徹底した非暴力の運動であるが、基地の出入りを妨害するため逮捕は覚悟しなければならない。本稿執筆時点の6月末までに104のグループが合計151日間にわたって封鎖を実施し、逮捕者も延べ827名にのぼる。

このセミナーも「ファスレーン365」の一環として取り組まれたもので、呼びかけたのはファスレーン365の発起人でもあり、2000年に来日・来長したアンジー・ゼルターと、スウエーデン・ゴーテボルグ大学の講師ステラン・ヴィントハーゲンである。この企画が私のところに飛び込んできたのは、「ファスレーン365」になんとか日本からもチームを送れないかと考えていた矢先だった。私は、この企画の斬新さに惹かれただけでなく、想定される日本チームの行動のための予備調査という意味もあり、一も二もなくこれに飛びついた。

行動は朝10時すぎに開始された。午前中は「セミナー」に重点を置いて、警察の介入を避けるため歩道で実施された。私もこの午前中のセッションで発表させてもらった。午後の途中から、座長の秘密のサインで逮捕覚悟の参加者が一斉に基地ゲート前に移動する。私にとってはもちろん初体験の緊張の瞬間だ。これまでの例から、しばらくすると警察が排除にかかり、そこで何人かの逮捕者が出ることが予想された。このためセミナーのテンポが上がり、講演は一人3分ぐらいで回転して行く。

ところが結局終了時間の午後4時まで警察は全く介入せず封鎖を黙認するかたちになった。時おり職員の車がゲートに向かおうとすると、警察が別のゲートに迂回するよう指示する。この事態は主催者もあまり予想していなかったようで、時間も余り、歌を歌ったりして時間をつぶすことになる。ゲート前は決して交通量の多い道路ではないのに、封鎖しているわれわれを応援するクラクションがかなり頻繁に聞かれたのには驚いた。スコットランド人の反トライデント意識の強さを実感した。

終了時刻を過ぎて暫くして、私も含め大半の参加者は予定通り引き上げたが、かなりの数のボランティアと、参加していた学生のほとんどが封鎖の「延長戦」を決行、あとで聞いたところでは、結局教員、学生それぞれ17人が逮捕された。しかし(想定どおり)翌日の正午ころには全員が起訴されることもなく釈放された。

発表者はプログラムによると14名で(参加者は学生も含め約70名)、その分野も多彩だ。プログラム2番目のサセックス大学名誉教授のR.ジョリー氏は、過去の英国の軍人たちの言葉を引用しながら、核兵器がそもそも兵器たり得ないことを論証した。また、日本語に訳された著書[註5]もあるブラッドフォード大学名誉教授のM.ランドル氏は、そもそも英国の核保有の決定自体に何らの国民的合意もなく正統性がないこと、また、「不確実な未来に対処するため」などとする英国政府の「更新」正当化の議論は、全く同じように他の国にも当てはまるのであり、そのような議論自体がいっそう「不確実な未来」をもたらすのに貢献する、などと述べた。

なお、この成功に勇気づけられて、6月27-28日には第二回目の「セミナー」が実施された。

学者によるこのような「体を張った」組織的な行動というものは画期的なものだろう。パグウォッシュ会議をはじめとしていろんな学者の集団は様々な文書つまり言葉は生み出してきたが、学者によるこのような直接的な、しかも逮捕覚悟の行動の例を私は知らない。

もっとも、「逮捕覚悟」とはいえ、これまでの現地の運動の経験から、一晩程度の留置だけで罪に問われることなく釈放されるという例がほとんどで、起訴されるのはほぼ逮捕が3回目の人だけである。その場合でも最悪で交通反則金程度の罰金である。とはいえ逮捕されるリスクを冒しての直接行動であることに違いはない。

トライデント・プラウシェアズ
「逮捕」と聞くと、わが国ではその後の人生をも一変させるほどの重大事とされており、スコットランドで行われているような「キャッチ・アンド・リリース」のゲームを想像することは難しいかも知れない。それだけでなく、このような警察と活動家との関係は世界的にもまた歴史的にも珍しいものだろう。これは、イギリスに於ける長年の非暴力運動の積み重ねによるもので、特にこの10年間のトライデント・プラウシェアズによる「警察との対話」の姿勢によるところが大きいと思われる。

トライデント・プラウシェアズ(TP)は、非暴力直接行動も含む活動で英国の核を廃絶させることを目的に1998年に設立された。創設者はこれも前出のアンジー・ゼルターである。 TP は、重大な国家による犯罪に対しては、市民はこれに直接介入し、その予防をはかることができるだけでなく、むしろその義務があると考える。むしろこれが真に「法を守る」道であるとし、したがって法的整合性を重視する。すなわち警察や司法は市民の安全のために存在することを掛け値なく主張し要求する。これは同時に自らの行動の結果を警察や司法に「引き継がせる」ことになる。すなわち司法システムから逃げも隠れもしない。また、平和のための行動であるから、みずからの行動自体がその目的に合致し調和していなければならない。つまり参加者には言葉の暴力さえも禁じる徹底した非暴力の規範が要求される。あくまでも民主主義制度の不具合を補完するための直接行動であるから、アカウンタビリティーや透明性も重視する。

このような、一見過激にも思えるような積極的不服従の行動が多くの市民の支持を集め、しかも警察との(少なくとも相対的に)良好な関係を作ってきたのは、非暴力や透明性など、この運動が厳しく貫いてきた活動スタイルによるものが大きいと思われる。

TPの活動内容や、私がこの団体と関わりを持つようになった経緯については、昨年の「長崎平和研究」に掲載された拙稿 [註6]を参照頂きたいが、ここではその最も劇的な成功を収めた活動をひとつ紹介しよう。

TPは創設後、イギリス政府など公的機関に核を廃棄するよう働きかけたが、何らまともな応答がないため、核犯罪の防止のための行動に出た。1999年6月8日、アンジー・ゼルターらTPのメンバーの女性3人が、グラスゴーにほど近いゴイル湖(入り江)に浮かぶ「メイタイム」(五月)と呼ばれる実験室に侵入し、中のコンピュータを海中に投げ込み、操作盤などを家庭用のハンマーで破壊した。この施設は、核ミサイル潜水艦の隠密行動が可能になるよう、その音響・磁気特性をテストするためのもので、これなしには原潜は「まる見え」となり大量破壊兵器としての能力が低下する。したがって核兵器システムの重要な一部であり、彼女らはこの行動を「非武器化」(disarm)と呼んだ。

4ヶ月後に開かれた裁判で3人は無罪となり、彼女らによる権力の不法行為への積極的な介入の正当性が裁判所により認められることになった。この判決は世界中を、特に大西洋を挟んだ核に固執する英米両国の首脳に衝撃を与えたが、また地元スコットランド議会でのトライデントの違法性に関する議論に火をつけた。
その後もTPによる大規模な基地封鎖の繰り返しや、核弾頭輸送車両の「非武器化」などの直接行動が、さらにはスコットランド議会内での「反核オラトリオ」の上演のような文化的イベントが取り組まれた。そしてスコットランドの世論と政治の流れを大きく動かし、ついには今年5月の議会選挙でトライデント撤廃を主要政策に掲げるスコットランド国民党の勝利と、その党首の首相就任という成果をもたらしたのである。「ファスレーン365」キャンペーンもこれで大いに勢いづくことになった。

(次の節へ)


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ゴンベイ

JANJAN地域・抵抗権で保障される座り込み 沖縄ヘリパッド
http://www.news.janjan.jp/area/0709/0709162460/1.php
by ゴンベイ (2007-09-17 19:15) 

ゴンベイ@オルタナティブ道具箱

追悼・平和市民活動家 故・石崎昭哲さんへ(福岡市政)
http://www.data-max.co.jp/2007/09/post_526.html
 私がべ平連の運動に飽き足らなさを述べたとき、返ってきた「石崎さん」のことばは
「べ平連がやってきたことは集会とデモだけだ」
 というものでした。今思うと、その言葉は実に多くのことを語っていたようです。集会とデモで人々がベトナムに平和を!と訴えるとき、その世論の力がアメリカのベトナム侵略を止めさせる大きな力になったということ、逆に反戦デモへの最初の一歩を踏み出せないでいる人々に運動を開いておくこと、今思えばこうしたことをおっしゃっていたのです。
by ゴンベイ@オルタナティブ道具箱 (2007-09-23 21:45) 

ゴンベイ@オルタナティブ道具箱

本に溺れたい: 日本国憲法は、1946年、すでに「改正」されている
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2007/05/1946_ac90.html

タカマサのきまぐれ時評2 成立当初から反動的だった新憲法
http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-69.html
by ゴンベイ@オルタナティブ道具箱 (2008-01-15 15:24) 

ゴンベイ@オルタナティブ道具箱

粘り強い非暴力直接行動の実践例をご紹介。

大木晴子「明日も晴れ」ブログ
5年が過ぎた・・・まだ続く反戦意思表示!
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=531
by ゴンベイ@オルタナティブ道具箱 (2008-02-02 16:31) 

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