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イラク戦争の時の日本を振り返る−藤原帰一氏の「戦争解禁」から [反核・平和]

日本をめぐる「安全保障環境」がどうだとか、中国の台湾侵攻の恐れ(台湾戦争)などを理由に、南西諸島での自衛隊軍拡=ミサイル基地化が進められている。政府もさすがに台湾戦争に参戦するため、とは言わないが、国民の中にはその「抑止力」の一環として黙認する向きも多いのかもしれない。しかし台湾をめぐる最近の軍事的緊張は、ペロシ訪台などアメリカの挑発的行動も一つの要因に違いない。かつて日本政府は、アメリカの、全く理由のないイラク戦争(2003年)に賛同し、世論のかなりの部分もそれを支持した。

この、イラク国民を中心に甚大な人命の損失をもたらした戦争について、アメリカが反省したという話は聞かない。支持した日本も同様だ。そのようなアメリカが過去の「自分の脅威」を棚に上げて「中国の脅威」を叫んでいるが、それに単純に付き従うとしたら、あまりにもおめでたいと言うべきだろう。もちろん軍拡を進める中国が軍事的脅威であることに間違いはないだろうが、アメリカの言いなりに、「抑止力」と称して軍拡を進めるのは単純すぎる反応だろう。アメリカに関しては「軍事ケインズ主義」[注1]の発動である要素もあるだろうし、日本にもそれを恐れなければならない状況になりつつあるのではないか。

IMG_4002s.jpeg今、「台湾有事」の掛け声で、アメリカが関わる戦争の恐れが強まっているが、類似の先例について、つまり「イラクの脅威」が叫ばれた時の経験を振り返ることは有意義かも知れない。そのような問題意識から、日本の国際政治学の碩学の一人と目される、藤原帰一氏の文章を読んでみた。イラク戦争について書かれた2007年の「戦争解禁」[文献1]と、岩波「世界」の最新の9月、10月号に書かれた文章[文献2,3]である。

今回は遠く離れた地域ではなく、まさに日本の国土、特に沖縄県の南西諸島が戦火に見舞われる可能性が高いのであり、我々にとって深刻度はイラク戦争とは桁違いである。

藤原帰一氏は自分は「絶対平和主義者じゃないと前から言ってる」とのことで[注2]、九条護憲の反戦派とは一線を画するのかも知れないが、彼の洞察は専門的で深いと思うので、大いに参考になると思う。
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[文献1]藤原帰一「戦争解禁」、ロッキング・オン、2007年
[文献2]藤原帰一、壊れる世界 第1回「覇権と国際秩序の間」、岩波『世界』2020年9月号
[文献3]同10月号、壊れる世界 第2回「大国の戦争」
[注1]軍需によって経済を支えるという考え。ケインズ自身が唱えたと言われる。この用語を提唱しているチャルマーズ・ジョンソンの岩波「世界」2008年4月号の論文が次に転載されている。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200804111727305
原文: https://mondediplo.com/2008/02/05military
[注2]文献1、p.260.
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以下、私にとって重要と思われた箇所を「切り抜き」で紹介します。あくまで私の「好み」によるもので、要約的でもないことをお断りします。また、政治学の専門用語や文献など、ほとんど、または全く知らないことも多く、自分で十分理解できているわけでもありません。

目次(本の、ではなく、切り抜きの)
「世界」2022年9月号から:ロシアのウクライナ侵攻は侵略である世界での第二次大戦後の侵略行為リベラルな国際秩序と覇権秩序中国の対外的強硬姿勢は世界覇権の模索か?バイデン政権の姿勢

「戦争解禁」から:911事件は戦争ではなく犯罪テロに対応するのは警察アメリカのナルシシズムヤクザと顧客の関係とにかく切った張ったを避ける正当性は微塵もなかったアメリカに協力するしかない民主党の迷いイラク戦争はイデオロギー戦争国民も共犯者北朝鮮日本の「現実主義」

まず彼の最新の論説から。これはもちろんイラクではなくウクライナ戦争に関するものですが、アメリカの過去の戦争についても述べてあります。

ロシアのウクライナ侵攻は侵略である
『世界』2020年9月号,p.65
ロシアのウクライナ侵攻は、どのような国際関ルールを破っているのだろうか。まず、国際法において自衛権の発動もしくは国連安全保障理事会の決定による武力行使以外の武力行使は認められていない。ウクライナは国際的にもロシア政府によっても政治的独立を認められた主権国家である。さらにロシア・ウクライナ両国の間にどのような紛争が過去に展開していたとしても、二〇二二年二月二四日の開戦時においてウクライナがロシア領土の保全を武力によって明白に脅かしていたと考えることはできない。ウクライナへの武力行使をロシアの自衛権の発動として解釈する余地はなく、武力によって国境を改定し、他国の領土保全、主権、政治的独立を脅かす行為、侵略として考えるほかはない。
世界での第二次大戦後の侵略行為
同上,p.65-66
第二次世界大戦後に限っても武力行使による国境線の変更や侵略戦争は少なくなく、中国のチベット併合(一九五〇年)、イスラエルがエジプトなど中東諸国を侵略した第三次中東戦争(一九六七年)、インドネシアの東ティモール併合(一九七五年)、イラクのクウェート侵攻(一九九〇年)などの例が直ちに挙げられる。なかには湾岸戦争のように侵略に対抗する国際介入が行われたものもあるが、攻め込んだ側が実効支配を展開した例も少なくない。
さらにベトナム戦争からイラク戦争に至るまで、アメリカが行った軍事介入は、それが国境の変更よりも外部からの政権の変更・転覆や挺子入れを目的とするものが多かったとしても、行われた侵略の数においても規模においても際立っている。皮肉な言い方をすれば、アメリカあるいはその友好国が攻め込んだ側でない場合について侵略とか戦争犯罪などという言葉が用いられたという印象も免れない。またアメリカは、空爆に過度に依存したこともあって、コラテラル・ダメージなどといった言葉では捉えることができない規模の非戦闘員の殺傷も繰り返した。
リベラルな国際秩序と覇権秩序
同上,p.70-71
では、アメリカと西欧以外の諸国は、米欧を中心に構築された国際秩序になぜ加わるのだろうか。それは自国の持つ権力に限界があるための覇権国との連携ではないのか。
「リベラルな国際秩序」の中心に位置する諸国の視点からは、欧米以外の諸国が国際秩序に参加し留まるのは共通の価値に基づく国際協調として当然に見えるかもしれないが、国際秩序の外縁に位置する諸国がその普遍主義と国際協調を共有している保証はない。優位に立つ諸国との連携を強化することで自国の安全と経済成長を模索する、価値よりは実利に基づいた協力ないし迎合、あるいは自国のカが劣っているため受け入れるほかに選択のない強いられた妥協、つまり理念よりは力関係のために「リベラルな国際秩序」を受け入れている可能性は極めて高い。
ここでは「リベラルな国際秩序」は覇権秩序と重なり合っている。覇権とリベラリズムと多国間協調は矛盾しないどころか、この三つが結びつくからこそ国際秩序が生まれるのだと考えることはできるが、リベラリズムと覇権との間に潜在的な緊張があることは否定できない。リベラリズムもデモクラシーも本来は国内政治における観念であり、それが国際関係の説明に用いられたときに単純化、あるいはイデオロギー化することは避けられない。リベラリズムの名の下で大国の恣意的行動を正当化することは容易であり、現実にも繰り返されてきた。普遍的な価値の名の下に価値の多元性を否定し、世界における数多くの文化や意味空間の地域文脈性を力でねじ伏せる危険も無視できない。リベラリズムと覇権の結合した「リベラルな国際秩序」は帝国支配にも重なって見えてくるだろう。
中国の対外的強硬姿勢は世界覇権の模索か?
同上,p.72
中国の場合、既にアメリカに続く経済大国の地位を固めた胡錦湾政権末期、人民解放軍の外洋展開に伴って南シナ海・東シナ海における軍事的緊張が加速した。二〇一〇年の尖閣諸島における中国漁船衝突事件は習近平政権後の米中競合激化の序曲であった。
アメリカに代わる世界覇権を求めてプーチン政権が行動しているとまで言えるのか、また中国の対外的強硬姿勢を世界覇権の模索として考えることが適切なのかなどの点については疑問の余地が残される。それでもアメリカとヨーロッパを中心として構成された秩序のなかにおいてロシアと中国が欧米との国際協調を選ぶという前提が成り立たなくなったことには疑問の余地がないだろう。
バイデン政権の姿勢
同上,p.73
バイデン政権は発足以来、中ロの与える軍事的脅威への対抗を明示し、その対抗の手段として西側同盟の連携を強化した。バイデン大統領の発言において、「リベラルな国際秩序」、あるいは「ルールに基づいた国際秩序」などの言葉はアメリカの同盟国・友好国の結束と同じ意味において用いられている。いわば同盟が国際秩序に読み替えられているのであり、国際秩序の外縁に位置していた中国とロシアは外縁どころか国際秩序の外部にある脅威として捉えられることになった。

では、本題イラク戦争についての本「戦争解禁」から。見出しは私が付けたもので、また前後の文脈の説明も省略していますので、それについては原典で確認をお願いします。行頭に"−"がある部分はインタビューワーの渋谷陽一氏の発言です。

911事件は戦争ではなく犯罪
(p.12) いや、〈戦争ではなくて犯罪〉と僕が言ってるのは、今回の事件は刑事警察の対象になるはずだからなんですね。だとすると、その実行犯に対して国際法上の権利を認める余地はない。刑事犯罪だとすれば、その実行犯-今回の場合はもう死んでいますけれども-もしくは、その後ろ盾となっているような者などに対して刑事罰を加えていくことになるんです。
全く同感で、当時私もそう思い、発言していました。

テロに対応するのは警察
(p.25) 本来、テロに対しては地道な刑事警察の行動以外にあり得ないんです。でも事件の衝撃によってそれに世界戦争の戦略で対抗しようとした。それによって破滅的な状態が生まれてると思います」
これも全く同感

アメリカのナルシシズム
(p.77) ただ、内向きってことは、戦争嫌いってことでもあるんです。アメリカにとっての戦争は、アメリカのためとは考えられていないんです。世界各地の人々のためにアメリカ人が犠牲になるってことです。中西部と南部は孤立主義が強いところですから、何でアメリカばっかり、お人好しにも損な役割を引き受けるのか、アメリカをまず優先すべきじゃないかって考える。ですから共和党が政権をとったからといって、すぐに戦争ができるような状況じゃなかった。
そのときに9・11事件が起こった。それで世論が戦争の味方についてしまいます。世論も、自分たちの恐怖を払拭するために周りの敵を倒していかなければ、と考え始めたんです。
それから大事なのは、〈世界のリーダー=アメリカ〉っていう考え方はアメリカ人にとって非常に大事な感覚だということです。自分たちが世界を指導していて、世界の安全のために自分たちは犠牲になってるんだ、そういうヒロイック(英雄主義的)でナルシシスティック(自己愛的)なイメージ。これはアメリカのナショナリズムそのものなんですよね。
ヤクザと顧客の関係
(p.84) 「『反米世論なんてのが出てきたら、いつでも兵隊引き揚げてやる。そうしたら困るのはおまえたちだ。おれたちは困らない。アメリカの血でおまえたちを守ってやってるんだ」て。守ってやるやつが場所貸しの対価、つまりショパ代をとるわけで、もうヤクザと顧客の関係と同じですね。頼んで守ってもらったわけじゃないのに、高いお金をとられる・・・ま、みかじめ料ですね」
−(笑)アメリカはヤクザの親分ですか。でもドイツはイラクでまたアフガンと同じことをやられたらたまんないっていうんで、国連てひたすらイラク攻撃には反対してますよね?
「ドイツもフランスもそうですね。でも2国ともみかじめ料を要求する相手に対して、文句を言うだけの力がないわけですよ。(後略)」
とにかく切った張ったを避ける
(p.98) -そう考えるとアメリカって元気なのも迷惑だし、元気がなさ過ぎるのも迷惑だし。ほんとに国際政治って、藤原先生の話聞くたんびに・・・。
「はい、難しいですよ(笑)」
−難しいし、いいんだか悪いんだか、って感じですよね。やっぱり僕は世の中はいい方に変わっていくとか、世界はそれなりに進歩しているとか思いたいわけですよ。
「国際政治って言うと国際協調とか国際社会の理想とか、きれいごとが並ぶとさもありますけれど、実は非常に地味な世界ですよね。平和だからって、暮らしが良くなるわけでも人生に希望が見えるわけでもない。ただ『戦争がなくて、ああよかった』っていう世界なんですよ。
場合によっては談合でもいいから、とにかく切った張ったを避けるという、地味な作業なんです。軍隊で脅せば戦争がなくなる、なんていうスッキリした話でもない。政治の目標や理想というのはそのさらに先にあるものでしょうね。つまり国際政治学者の仕事はドブさらいみたいなもんなんです」
−ははははは。
「だから僕たちは一生懸命、このドブさらいをしてるのに〈正義の戦争〉とかいう、わけのわからない理屈で切って捨てられると、混乱が増えるだけなんで、困ってしまうんですよ(笑)」
正当性は微塵もなかった
(p.130) -となると、あの戦争に正当性は微塵もなかったってことになっちゃうわけですか。
「ないでしょうね。侵略の脅威が追っている、相手はいつ攻めてくるかわからないってことだったら、戦争もやむを得ないという議論にもなるでしょう。でも、イラクは具体的にどこかを侵略したわけじゃないし、将来する可能性だって怪しかった。差し迫った危険があるときは先制攻撃を行う必要があるっていうのがブッシュ大統領の戦略、ブッシュ・ドクトリンですね。こういう予防戦争までを自衛行動に含めた議論は、もうそれだけで現在の国際法における戦争概念と真っ向からぶつかるものですが、イラクの場合、その予防戦争の必要さえ疑わしかった。
「アメリカに協力するしかない」
(p.140) 「まず、日本の方はたぶん正義とか理念で協力したんじゃないと思いますよ。レトリックはともかくとして、日本政府はデモクラシーには大して関心がないですから(笑)。アメリカの軍事力で世界は収まってるんだからアメリカに協力する以外の選択肢はないって考え方ですよね。これがひとつめ。
でもね、結果的には、アメリカが脅せば世界が安定するわけでもないっていうことがこの事件でわかったと思います。中東各国はアメリカを恐れてアメリカに協力するはずだったんですが、今ではサウジアラビアもエジプトもアメリカから離れていく方向に向かってる。北朝鮮も暴走してますよね。脅せばなんとか収まるっていうのは現実的に聞こえて、非現実的な思いこみだった。
ふたつめに、日米安保の時代には、アメリカは中国及び旧ソ速に対抗するために日本が必要だった。だけど今はアメリカはそこまで日本を重視していない。だとすればアメリカに日本を守ってもらうためには、何が何でも協力するしかないっていう判断ですよね。これはリアリズムと言うよりは追従なんだけど、特に北朝鮮問題との関連で叫ばれまし。イラクから日本を守るんじゃなくて日米同盟を守るために兵隊送るわけです。でも、前にも言いましたけど、イラクでアメリカに協力したところで、アメリカが北朝鮮政策を変えてくれるなんてこと、ありませんよ」
民主党の迷い
(p.147) −あと日本でちイラク戦争に反対する世論はあるわけですよ。でも国内政治でその受け皿がない。民主党は何をやってるんだという。
「民主党は、憲法改正問題では党内が割れるにしても、派兵反対では本来まとまれるはずなんですけどね。今イラクがどうなってるのか、米軍主導の占領統治では最低限の治安さえ確保できてないんじゃないか、って事実に即して考えていけば、アメリカのここまで愚かな政策に反対するのはちっとも難しくないんです。でも日本だと、昔ながらの安保か憲法かっていう図式をそのままイラクにも当てはめてしまうんですね。それで民主党は、共産党や社民党と一緒にされないよう、〈大人〉に見られたくなっている。でも軍隊なしで日本を守れるのかっていう議論と、イラクを復興するにはどうすればいいのかっていう問題は、全然別のものなんですけどね」
イラク戦争はイデオロギー戦争
(p.246 「・・・たとえば四世紀末のアフリカ分割はどう考えたってイギリスとフランスが競争してアフリカを植民地にした事件ですよね。でも、これが行われているさなかには、『おれたちヨーロッパ人は、アラブの奴隷商人によって虐げられているアフリカの民を解放するんだ』って宣伝されてたし、それを本気で信じてた人もいたんですよ」
-それは大東亜共栄圏と同じ理屈ですね。
「ええ。ベトナム戦争だってそうですよ。北ベトナムの共産党政権も、南ベトナムの解放勢力もとんでもない残虐行為を行ってました。で、世界にデモクラシー広めるのがアメリカの使命だ、見過ごしていいのかって言われたら『そうだ!』って思うでしょ。それで共産化のドミノに対抗しようとして介入しました。でもベトナム戦争は政策として間違ってたんです。
要するに、独裁政権から民衆を解放することの何が間違ってるんだ?っていう一般論で聞いを作っちゃうと答えようがなくなるでしょ?-という問題です」 -じゃあ、イラク戦争ってイデオロギー戦争だったんですか?
「そうですね。湾岸戦争でフセインを倒せなかった。その後、中東で不安定な状態が続いてしまった。それが直接のきっかけです。でもそこで相手の政府を変える戦争をやるっていう解決法を選んじゃったのは、結局、民主化イデオロギーですよね。
で、この理想主義的なイデオロギーに9・11での恐怖が加わったわけですね。アメリカでも、海外の軍事介入は基本的にはそれほど支持されない。『理想もけつこうだけど、何でアメリカ人が犠牲にならなくちゃいけないんだ』って考える。でもそういう現実的な人たちも9・11で黙らぎるを得なくなった。
でも、恐怖の対象ってとても暖昧なんです。非常に大きいって言われたら、そうなのかなと思っちゃう。サダム・フセインが本当にアルカイダと関係があるかわからないとしても、『でも関係あったらどうすんだ?それでまたテロ起こされておまえそれでいいのか』って反論されたら黙らざるを得ない。恐怖がテコになると、どう見ても不合理な政策でも受け入れられちゃうんですよね」
国民も共犯者
(上のすぐ続き) -今回うわあ、と思ったのがアメリカでみんなが自発的に戦争に向かっていったことなんですね。マスコミも積極的に加担して、国民も積極的に大義を信じた。別に軍国主義者に強制的に信じこまされたわけではない。全体主義の恐怖って古臭い言葉だから嫌いなんですけど、なるほど〈大本営発表〉ってこういうことかと。戦争って常にこういうものなんですか。
「いや、この戦争は明らかに異例です。それは9・11事件のせいで、報道に対する極端なシャットアウトが実現した。シャットアウトだけじゃなくアフガンてもイラクでも従軍報道にメディアを誘いこんで、メディアぐるみの宣伝を展開しちゃった。それを国民は毎日、テレビで見るわけ。勧善懲悪の物語、まさにハリウッド映画に作り替えたわけです。
で、国民の方もFOXニュースを見てたほうが楽しいんですよ。現実には客観的な報道だって出てたんです。でもそれは〈アメリカの勝利への道〉という話にならないから楽しくない。それに自分たちが編されてるとか、戦況はもっと悪くなってるとかも見たくないでしょ。それで国民が政府が提供するメディア工作に嬉々として乗ってったんですね。そういう意味じゃ、国民も共犯者なんですよ。ほんとにそう思う。つまり政府が編してる以上に、国民が自分で自分を編したがってたんです。そのくせ今状況が変わってくると、編されていたんだって被害者のふりをするでしょ。自分が自分を騙してたことに目を向けないんでしょうね」
北朝鮮
(p.253) たとえば今、北朝鮮に対しても我々はその問題を抱えてますね。金正日体制が攻撃的な姿勢を緩めるんならご褒美をあげますよ、という考え方は金正日体制が続くという前提に立ってます。で、金体制は確かに倒れたほうがいい体制です。ただ外から戦争で倒す場合は、犠牲が非常に大きいことは覚悟しなくちゃいけない。
結局ね、現実の選択の問題なんです。理念として正しいことであっても、現実に政策にした場合に犠牲があまりにも大きいときには、それを断念するほかにない、いや、断念しなければならないと思います」
この部分は全く同意できない。戦争であろうとなんであろうと、他国の政府を「倒す」と言う考えそのものが間違い。その話ができるのはその国の国民だけだろう。もちろんそれを間接的に支援することはできるが。

日本の「現実主義」
(上のすぐ続き) 〈アメリカは正しい〉と考えるのが日本の〈現実主義〉
-イデオロギー戦争を始めるというのは人権と人命を天秤にかける、それくらい重い決断だと。今回、印象的だったのが日本の論壇なんです。アメリカの論壊では戦争賛成派は、ネオコンと保守派、あと過剰な合理主義者とかでした。でも反対派も多かったわけですね。それは「どの戦争も反対」派じゃなくて、「この戦争には反対」派と言うんでしょうか、軍人から国務省の官僚もいたし、諜報機関のスタッフ、国連の専門調査官、リアリスト派の国際政治学者も反対してました。
「してましたね」
-でも日本だと、私は軍事通です、国際事情通です、みたしな人があまり批判してなかった。欧米ならば「反対派」に属してた人種がしてなかった。
「そう、この戦争に反対って人が日本では少なかった。アメリカの外交の議論の中心は外交評議会ですけど、『フォーリン・アフェアーズ』はもうほとんど毎号のようにイラク戦争に批判的な論文を載せてましたよね。ぼく、今回わかったんですけど、結局日本での〈現実主義〉というのは、〈アメリカがすることが現実だ〉っていう〈現実主義〉なんですね」
-はははははは。イエスマンじゃないですか。
「アメリカがこの戦争をするぞっていうのは02年くらいからはっきりしていた。日本の安全はアメリカなしでは達成できない。だからアメリカが戦争をしたがっているなら、賛成するほかに選択肢はない。アメリカが愚かな政策に走ってもついてくしかない。それが〈現実主義〉だ(笑)。だからこれ以上、議論しないんです。戦争の是非というのは机上の空論だしイラクで戦争をすると国際政治秩序がどう変わるのか、なんて議論はもうしない」
−あの、同盟関係っていうのは、相手が何をやっても義理立てして、賛成しなきゃいけないっていう関係性のことではないですよねえ?
「まあ、今の日本ではそういう意味になったような(笑)。(後略)」

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