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故・吉田所長,「チェルノブイリの10倍の規模になるところだった」 [社会]

2018/11/22追記:門田氏の「死の淵を見た男」から、この吉田氏の発言が収録されている部分を末尾に引用 します。
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福島第一原発所長だった吉田昌郎氏が7月9日に亡くなりました.その夜の「報道ステーション」に招かれた作家の門田隆将氏は,吉田氏の「チェルノブイリの10倍の規模の災害になるところだった」との言葉を紹介しました.そこでチェルノブイリの広域汚染マップを同縮尺の日本地図に重ね,汚染の濃度スケールの数値を10倍にして見ました.東京を含む関東一円が飯館村のレベルで無人地帯になります.飛び地で京都も同様,九州でさえ福島市の汚染濃度です.門田氏は,「吉田さんは国家の死と闘った」と言いましたが,まさに日本壊滅の図です.(1401577.gif7/19改訂)

チェルノブイリの10倍3.jpg
 →PDFはこちら, 旧バージョン, 1401577.gif選挙後のバージョン,mac pages文書—編集可能
  加工前の素材:白地図(透明化gif)Cs汚染マップ(地名抜き)

このようなリスクは,どれだけ低い確率なら,また一体どんなメリットがあれば,受け入れられるというのでしょうか?
自民党は原発を再稼働させ,しかも安倍首相は輸出までしようとしています.このような政党が今度の選挙の選択肢になり得るでしょうか?
脱原発政党に応援を
(汚染マップはDr. Frank Brose という人の記事にあったセシウム137の広域図を,地名を削除するなど最小限の加工をしたものです.)
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2018/11/22追記:門田氏の「死の淵を見た男」p .354〜357から引用。
「チェルノブイリ事故x10だった」

 二〇一二年二月七日、食道癌の手術をおこなった吉田は、その後の抗癌剤治療で吐き気やおう吐に苦しみながら、なんとか回復の道を辿っていた。だが、七月二十六日に脳内出血を起こし、その後、二度の開頭手術とカテーテル手術も一度受けるという厳しい闘病生活をつづけている。
 洋子夫人が言う。
「食道痛の手術は、肋骨を一本外しておこなう十時間近い大手術になりました。そこで一度退院してから、今度は、脳内出血で倒れましてね。その姿をみながら、どうして、パパはこんなにひどい目にばかり遭うんだろう、神様に嫌われちゃったのかしらって、正直、思いました。あれだけパパは頑張ったのに、と。でも、こういう人が、あの時に福島にいたっていうのは、やっぱり運命だったのか、とも思います。なぜ、一億三千万人の中でパパが選ばれたのかしら、と思った時、若い頃から、運命を受け入れることをずっと言いつづけた人だったので、こういうことがやっぱり決められていたんじゃないかしら、と思うんですよ。主人は、私の前で、弱音とかを吐いたことがない人なのでわかりませんが、あの事故の時、現場に残る人たちを分別する時に、まだお若い方や女性の方とか、(免震重要棟の中には)沢山いらっしゃったので、主人の胸のうちはどれだけ苦しかっただろう、と思います」
 その吉田所長が私の取材に答えてくれたのは、食道癌の手術が終わって、脳内出血で倒れるまでの短い期間、二〇二一年七月のことだった。
 長時間に及んだ取材の中で、最も私の心に残ったのは、吉田が、想定していた「最悪の事態」について語ったことだった。彼の頭から離れることがなかったのは、自身が背負わされていたものの“大きさ”にほかならなかった。
「格納容器が爆発すると、放射能が飛散し、放射線レベルが近づけないものになってしまうんです。ほかの原子炉の冷却も、当然、継続できなくなります。つまり、人聞がもうアプローチできなくなる。福島第二原発にも近づけなくなりまずから、全部でどれだけの炉心が溶けるかという最大を考えれば、第一と第二で計十基の原子炉がやられまずから、単純に考えても、“チェルノブイリ×10”という数字が出ます。私は、その事態を考えながら、あの中で対応していました。だからこそ、現場の部下たちの凄さを思うんですよ。それを防ぐために、最後まで部下たちが突入を繰り返してくれたこと、そして、命を顧みずに駆けつけてくれた自衛隊をはじめ、沢山の人たちの勇気を称えたいんです。本当に福島の人に大変な被害をもたらしてしまったあの事故で、それでもさらに最悪の事態を回避するために奮闘してくれた人たちに、私は単なる感謝という言葉では表わせないものを感じています」
 最悪の事態とは、「チェルノブイリ事故×10」だった——吉田はそうしみじみと語った。
 私が班目春樹・原子力安全委員会委員長(当時)に吉田のこの話を伝えると、班目は、こう語った。
「吉田さんはそこまで言ったんですか。私も現場の人たちには、本当に頭が下がります。私は最悪の場合は、吉田さんの言う想定よりも、もっと大きくなった可能性があると思います。近くに別の原子力発電所がありますからね。福島第一が制御できなくなれば、福島第二だけでなく、茨城の東海第二発電所もアウトになったでしょう。そうなれば、日本は“三分割”されていたかもしれません。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の三つです。日本はあの時、三つに分かれるぎりぎりの状態だったかもしれないと、私は思っています」
 入れつづけた水が、最後の最後でついに原子炉の暴走を止めた——福島県とその周辺の人々に多大な被害をもたらしながら、現場の愚直なまでの活動が、最後にそれ以上の犠牲が払われることを回避させたのかもしれない。
 多くの部下たちと共に未曾有の原発事故と真っ正面から向き合った吉田昌郎は、その大きな役割を終えて、今度は自らの病いとの闘いをつづけている。

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藤井美菜

この記事を、私のブログ「ghost mail」でもリンク貼らせていただけないでしょうか。ご連絡をお待ちしています。
by 藤井美菜 (2013-07-18 14:17) 

yamamoto

もちろんです.pdfもご自由にお使い下さい.
by yamamoto (2013-07-18 15:28) 

藤井美菜

ありがとうございます。写真と本文をそのまま紹介させていただきました。
ブログ記事URL
http://fujiimina.blog.fc2.com/blog-entry-409.html
選挙が終わっても、日本中の原発が廃炉になるまで、情報拡散し続けていきます。これからも、よろしくお願いいたします。
(私のブログ記事の訂正、削除はいつでも可能です。)
by 藤井美菜 (2013-07-19 11:29) 

yamamoto

編集可能なワープロ文書もリンクしました.ただしマックのpagesというアプリ.右上書き込みの「自民党・・・」の部分を消せば選挙後も使えるかと思います.
by yamamoto (2013-07-21 08:19) 

ムザイ

 参議院選挙に立候補していた、山本太郎さんが67万票を得て当選しました。
 山本太郎さんは、「被曝させない-原発即時撤退、TPP 入らない-「水」「食」「医療」などが奪われ、脱原発が不可能に、飢えさせない-社会保障を厚く!」をスローガンとしています。
 山本太郎さんは、3.11福島原発事故によって人生の進路を変えた方で、既存の議会政党に属さず「今はひとり」という政党を創設してたたかっています。
 当選の第一声で「茨の道を行く!たたかいはこれからだ!」を発言しています。
 急な出馬に応じて、私たちも全力で応援致しました。今後もできる限りの支援をしてゆくつもりです。
 ブログに応援した時の記事が掲載されています。御笑覧頂ければ幸甚です。
by ムザイ (2013-07-24 01:02) 

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