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再度「レ・ミゼラブル」 [メディア・出版・アート]

DSC_4271q.jpg「反戦情報」というニューズレターに求められて,映画「レ・ミゼラブル」の紹介を書いた.タイトルは「『レ・ミゼラブル』で自分と仲間をエンパワーしよう」(こちらに全文転載).原稿を書いている時点でこの映画の公開からすでに1ヶ月経っていたので,刊行されるころには上映はとっくに終わっているだろうと思っていた.ところがところが,ロングランが続き映画の宣伝としても十分に間に合ってしまった.佐賀の上映館のサイトを見ると,「ラスト」とされていた日がいつの間にかラストでなくなり,どんどん延長されている.今のところ,佐賀ではイオンシネマ佐賀大和,109シネマズ,ともに15日を「ラスト」としている.久留米ではTジョイが14日まで.

以前の記事で書いたように,この映画は人々に,社会の変革へのエネルギーを吹き込むもので,見た人は大いにエンパワーされるはずだ.メジャーなメディアで提供されている文化的コンテンツであり,左翼にとってはイデオロギー戦線でのこの上ないオポチュニティーである.人々の心の深い部分に働きかけるという意味では,百のアジテーション演説,1万枚の政治的リーフレットよりも効果的なものだ.このことに左派はどのくらい気付いているだろうか?周りの人にこの映画を薦めているだろうか?

ずっと前に読み始めて,読みにくさから長く放っておいたのだが,イーグルトン著「イデオロギーとは何か」という本をまた読み始めたら,次のような一節に行き当たった.(203ページ)
ヘゲモニーの概念は、つぎのような問いかけと切りはなすことはできない——すなわち、支配権力が巧妙かつ普遍的に、慣習的日常実践に浸透し、「文化」そのものと骨がらみになり、幼稚園から葬儀場にいたるわたしたちの経験の肌理そのものに溶けこんでいるような、そんな社会編成体のなかにあって、労働者階級はいかにして権力を奪取するのか? よそよそしく抑庄的なものと一般に認められているような権力ではなく、社会全体の「常識」と化した権力と、わたしたちは、どのように一戦まじえることができるのか?

したがって現代社会では、工場を占拠し、国家と対決するだけではもはやじゅうぶんでないのだ。戦うべき場は、「文化」、それも語のもっとも広く、またもっとも日常的な意味で定義される「文化」の全領域なのである。支配階級の力は、物質的であると同時に精神的である。そしていかなる「対抗ヘゲモニー」も、これまで無視されてきた領域、つまり価値とか慣習、言語習慣や儀式的実践の領域にまで、その政治運動の触手をのばさなければならない。
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