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基地封鎖の拡大はその合法性認識の普及がカギ [反核・平和]

1401577.gif無罪判決事例を追加
抗議集会やデモとは違って,基地ゲートを封鎖するという行動は見かけ上は違法行為なので,たいていの人はすんなりと受け止めることは出来ないでしょう.この認識を変えて行けるかどうかが,封鎖行動の拡大にとって重要だと思います.そして,封鎖行動を含む直接行動こそが,沖縄の,そして日本の未来を切り開くカギなのです.


見かけ上,つまりミクロには違法だが,大局的には合法であるという,やや込み入った認識プロセスが重要でなのです.言葉を換えれば,「悪法といえども法なり」という格言が似非格言であること,俗論に過ぎないということの理解です.法には上下関係があり,上位の法に反する下位の法はもちろん,規則も命令も無効であり,真に法を守るということは,このような事例では上位の法に忠実であること,つまり下位の法を「破る」ことこそ,真に法を「守る」ということです.この認識の普及には法律家の関与が決定的です.

そのような学習のきっかけになるように,イギリスの判例を紹介します.これらは「封鎖」どころではない,サボタージュ行為(破壊行為,カタカナ英語とは違う意味)に関するものです.分かりやすいたとえでは,火の手があがった家屋に子どもが閉じこめられているが,入り口に鍵がかかっている.鍵を壊すのは「破壊行為」,つまり「サボタージュ」だが,人命救助のために正当化される,ということです.以下の例では,爆撃や核爆発で大量殺戮が行われる恐れがあるので,火災どころの騒ぎではないのです.

1)ピット・ストップ・プラウシェアズ事件
2003年2月3日 アイルランド・シャノン空港で合衆国海軍の軍用機を非暴力的に非武器化(つまり部分的損壊)
2006年7月10日から審理で陪審全員一致の無罪
http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2006-07-31
http://www003.upp.so-net.ne.jp/maytime/event06/pitstopJ2.html
http://www003.upp.so-net.ne.jp/maytime/event06/pitstopJ.html

2)ロージーとレイチェルによる原潜損壊事件
1999年2月に,バローに停泊していた英海軍のトライデント原潜ベンジャンス号を損壊
2000年9月20日 不一致陪審
http://www003.upp.so-net.ne.jp/maytime/RachelRosie/RachelRosie.html
2001年10月4日 再審でも評決不能,釈放
http://www003.upp.so-net.ne.jp/maytime/event2k/r011004wJ.html

3)トライデント・スリー
1999年10月21日 トライデント原潜関連施設破壊に無罪判決
http://www003.upp.so-net.ne.jp/maytime/newsletter/courtrep.html

4)希望の種プラウシェアズ事件1401577.gif
1996年7月,インドネシアに輸出予定のホーク戦闘機破壊に無罪
http://ad9.org/pegasus/peace/sekai9911.html
http://www.craftech.com/~dcpledge/brandywine/plow/webpages/weba.htm

追記:合法性認識の普及が「前提」ということではありません.たとえ少人数であれ決然とした封鎖の実施こそが「行為によるプロパガンダ」として人々の心に働きかけます.「あたりまえのこと」になるのです.
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文献情報です.以下に9月11日にフェイスブックに書いたものを再掲します.

国内でも市民運動において非暴力直接行動(NVDA)への理解が広がっているようです.私が知っているこの分野の文献をご紹介します.

まず,包括的な,教科書と言えるような本はこれです.

1)マイケル・ランドル「市民的抵抗 非暴力行動の歴史・理論・展望」(新教出版社,2003年)

NVDAのイギリスの核廃絶運動への応用例は,トライデント・プラウシェアズの手引書がお勧めです.

2)アンジー・ゼルター「トライ・デンティング・イット・ハンドブック」日本語訳第1版(2004年11月,発行:ゴイル湖の平和運動家を支援する会,アンジー・ゼルターさんを迎える東京集会実行委員会)
ネット版:http://ad9.org/pegasus/peace/tp2000/handbook/tdihb0.html

他のアンジーの文章や本です.

3)アンジー・ゼルター「わたしたちはなぜ核兵器を破壊するのか」,世界(岩波書店),2000年10月号,p.47.

4)Angie Zelter, Trident on Trial: The Case for People's Disarmament, Luath Pr (2001/7/10)

5)Angie Zelter (ed.), Faslane 365: A Year of Anti-nuclear Blockades, Luath Pr (2008/01)

次は日本からも参加した「ファスレーン365」関連の文章です.(上の5も)

6)三好永作「日本チームの非暴力ファスレーン封鎖行動」,証言2007(長崎の証言の会)第21集,p.142-153.

7)ジョン・メイヤー「平和について考える ファスレーン三六五の意義」,証言2007(長崎の証言の会),p.154-159.

最後に,手前味噌ながら,私の文章も.

8)豊島耕一「十二名の日本市民はいかに英国の核基地を封鎖したか」,世界(岩波書店),2008年1月号,p.278-285
ネット転載 http://ad9.org/f365j/publish/sekai0801.html

9)豊島耕一「『ファスレーン365』と非暴力直接行動の持つ意味」,長崎平和研究,No.27,p.125,2009年4月.→CiNii 登録データ

10)豊島耕一「核廃絶・科学者・直接行動」,証言2007(長崎の証言の会),p.130-141.
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コメント 3

遵法主義幻想

>上位の法に反する下位の法はもちろん,規則も命令も無効であり,真に法を守るということは・・・・
>火の手があがった家屋に子どもが閉じこめられているが,入り口に鍵がかかっている.鍵を壊すのは「破壊行為」,つまり「サボタージュ」だが,・・・・

上手い論立てですね。
全面的に賛成致します。

もう一歩踏み込むとすれば、マルクスの「法律学の幻想」批判(=プルードン批判)でも確認された、史的唯物論的認識態度を悪しき遵法主義にも対置することではないでしょうか?
本源的・根本的には「道があるから人が歩む」のではなく、「人が歩んだから道が出来た」という真の事実を法的上部構造の特殊歴史的性格においても認識し、それを永劫視・絶対化しないことだと思います。
最上位の法でも不変ではありえないのですから。
by 遵法主義幻想 (2012-10-03 09:12) 

バッジ@ネオ・トロツキスト

上記補足です。

憲法9条が「理想」などでは無く、戦後世界において既に完全に現実に転化してしまっていることを多くの唯物論者でさえいまだに自覚していないようです。憲法9条は、それが「実定法的現実」である以上に、現実の人類社会の変化発展の中で真の現実に転化しているのですが(世界最強の軍事大国アメリカでさえ、軍事力によっては9.11テロやサイバー攻撃に対処出来ない時代が到来しているようなことに顕著です)。

同様な認識態度の問題性に、「民族自決権」や「領土問題」「著作権法」などでの思考停止もあると思います。
内政不干渉原則や無主地の先占法理、私的所有制度を超歴史化し絶対化してしまうような思考もまた、悪しき遵法主義や法律学の幻想に陥った認識態度の一種でしょう。ここには、微塵の唯物論も存在しません。

法的諸関係も、労働や生産の社会化とそれに照応した生活の社会化に規定されます。人権が国家主権を超え、宇宙法や南極法が誕生し、生命情報の排他的法的擁護がナンセンス化することなども、唯物論的社会観に立脚すれば理解はさほど困難ではないように思います。

by バッジ@ネオ・トロツキスト (2012-10-03 09:42) 

yamamoto

もちろん人権宣言や憲法など国際法や国内最高法規といえども不変ではありません.他方,「悪い裁判所も裁判所である」という命題は守らなければならず,つまり逃げ隠れをしないということでないと,独善を食い止めるものがなくなってしまいます.
by yamamoto (2012-10-03 18:32) 

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