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「連帯」の意識を欠いた日本社会の惨状 [メディア・出版・アート]

ファクラー氏の本に関する後継記事:メディアどうしの仲間意識,日米の違い「私は長年暮らしてきた日本に恩返ししたい」
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re-book1.jpgニューヨーク・タイムズ前東京支局長マーティン・ファクラーの『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』を半分ほど読んだ.(双葉新書、2016年) 「国境なき記者団」(→関連テレ東番組)の評価を待つまでもない,この国のメディア状況の劣悪さが痛い.それだけでなく,権力や「ネトウヨ」から攻撃された時の組織や人々の対応から,この国には「連帯」という意識を大きく欠いているのではないかと思われる.また,分野を問わず,人々が余りにも臆病になっている.私がこの30年来感じていることだ.労働組合でも大学教授会でも同じだ.昔は「力関係を考えると・・・」という左翼風の枕詞で,攻撃に正面切って対抗しないことの理屈付けがされた.今も変わらないのだろうか.

恐いのは,自分の臆病さの「代償行為」として,国家主義などに反応しやすく,その方向で「勇ましく」なり易くなっていることだ.

同書から数カ所引用.
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朝日新聞の「吉田証言」取り消し問題
私から見ると、朝日新聞が「吉田証言」をわざわざ取り消したのは間違いだった。なぜか。吉田清治氏の証言に表立って疑問が呈されるようになったのは、90年代に入ってからだ。朝日新聞が記事を載せた当時は、当然のことながら記者は吉田氏がウソをついているとは思いもしなかった。記者が意図的に誤報を載せたわけではない。「吉田証言は正しい」と信じたから、合計16本の記事を掲載したわけだ(朝日新聞以外の新聞も同じように吉田清治氏の証言に基づいた記事を書いている)。
なぜ記事を取り消す必要はないのか。
こんな例を挙げてみたい。19世紀まではニュートンの物理学が完全に正しいと思われていた。20世紀に入ってからアインシュタイン博士の相対性理論が発表されるとニュートンの物理学の一部は間違いだということがわかった。
だからといってニューヨーク・タイムズが19世紀に書いたニュートンに関する記事を、すべて取り消す必要があるわけがない。人類がもっ知識は、時代の変遷にともなって少しずつ上書きされていく。情報がアップデートされたときに、アップデート前の古い情報をいちいち取り消す必要などないのだ。
太陽系の一番外側にある冥王星は、つい最近までずっと惑星だと考えられてきた。06年8月、世界中の天文学者が参画する国際天文学連合は、惑星の定義をあらためている。これにより、冥王星は惑星ではなく「準惑星」ということになった。だからといって、ニューヨーク・タイムズが06年8月以前に「冥王星は惑星」と書いている記事をすべて取り消すはずもない。
朝日新聞が「吉田証言」を取り消したのは、「冥王星は惑星」という過去の記事を取り消しにするかのような対応だ。日本を覆う右傾化の空気が、想像以上に大きなプレッシャーになっていたことは理解できる。だが、必要のない記事取り消しを発表してしまったがために、安倍政権や右派論客、ネット右翼たちに「それ見ろ。朝日新聞は間違った情報を垂れ流す報道機関ではないか」という格好の攻撃材料を与えてしまった。

朝日バッシング問題での毎日批判(p.90)
産経新聞や読売新聞は安倍政権と仲良くしたい新聞だから、このような記事を書く動機はまだ理解できる。しかし、毎日新聞は朝日新聞と論調が近いはずだ。朝日新聞と同じく調査報道にも力を注いでいた。場合によっては、今回朝日新聞が受けた攻撃と同じパッシングを、次に毎日新聞が受ける可能性もある。
なぜ会社の垣根を超え、権力と対時して朝日新聞を擁護しようとしないのか。このジャーナリズム精神の欠落こそが日本の民主主義に大きな危機を招いている現実をメディアの人聞は直視しないのだろうか。今私が抱く危機感の根源がまさにここにある。

植村隆氏に対する態度(p.106)
「捏造記者」「反日」という理不尽なレッテル貼り

14年10月末、私はネット右翼から攻撃を受け続ける植村隆氏のインタビュー取材に出かけた。〈RewritingtheWar,JapaneseRightAttacksaNewspaper〉(戦争の歴史を書き直したとして、日本の右派勢力が新聞を攻撃している)と題する記事は、ニューヨーク・タイムズ(14年12月3日、電子版は2日)の一面トップに掲載されている。
植村氏の記事が正しいのか、間違っているのかではなく言論の自由という観点から、植村氏についてはニューヨーク・タイムズでしっかり書くべきだと考えた。
植村氏の記事は「吉田証言」報道のように取り消しもされず、誤ってもいないのに、植村氏は職を奪われてしまった。本人のみならず、家族まで攻撃された。奇妙なことに、日本のメディアは植村氏を擁護しようとはしない。植村氏が攻撃されている様子を黙って見過ごし、右派メディアはネット右翼と一緒になって攻撃している有り様だ。
北星学園大学で働く植村氏のもとへ取材に出かけると、それはメディアによるほとんど最初の本格的なインタビューだった。植村氏はこれまで来たすべての取材依頼を断っていたという。どうやら私がこれまで書いてきた記事を見て、ジャーナリストとして信頼してくれたようだ。
植村氏への一連の攻撃は、越えてはいけない一線を完全に越えている。もし彼と反対の意見だとしても、そこは言論の自由の名のもとで正々堂々と意見をぶつけ合い、議論する。しかし、「植村隆は反日だ」とか「日本の名誉を傷つけた握造記者だ」と攻撃したり、ましてや家族まで攻撃したりするのは論外だ。立場が右であろうが左であろうが、こうした行為こそ批判し、ジャーナリストは植村氏を擁護しなければならない。
植村氏の存在が気に入らないからといって、記事の内容について意見をぶつけ合うのではなく、個人攻撃、人格攻撃にまで走る。人間性までも否定する。これではとても健全な民主主義とは言えないし、言論の自由がない独裁国家・北朝鮮と同じだ。「我々とは違う意見をもっ者は国の敵である」と見なし、相手を自殺に追いこむくらいまでメチヤクチヤに攻撃する。日本はいつから全体主義の国になってしまったのだろう。
法政大学の山口二郎教授など、一部の学者やジャーナリスト、弁護士らが植村氏へのバツシングを批判し、反論していた。だが大多数の知識人は植村氏叩きを批判せず、メディアもほとんどだんまりを決めこんでいる。なぜ朝日新聞は、あのとき植村氏をもっと積極的に守ろうとしなかったのだろう。
「我々は吉田証言の報道を誤った。だが植村隆氏は誤った報道はしていない」
そうはっきり言い切って、朝日新聞は植村氏を擁護するキャンペーンを張るべきだった。見て見ぬふりをしながら植村氏を擁護しなかった朝日新聞は、「これ以上自分たちのところへ火の粉が降りかかってはたまらない」と組織防衛に走ったとしか思えない。ただでさえ朝日新聞は、「吉田証言」の記事取り消しによって瀕死の状態に陥っていた。ネット右翼は朝日新聞本体に抗議の電話をかけたりメールを送ったりするだけでなく、朝日新聞に広告を出しているスポンサーにまで抗議を繰り返したと聞く。
「植村隆氏を擁護すれば、抗議がさらにエスカレートして広告主を失いかねない」
朝日新聞がそう怖れて腰が引けたのだとすれば、あまりにも情けない。
朝日新聞は組織防衛に走り、すでに同社を退社している植村隆氏という個人の記者がスケープゴートにされてしまった。植村氏は「吉田証言」とは何の関係もないのに、「吉田証言」取り消しで揺らぐ朝日新聞の盾にされてしまったようなものだ。

猿払村の事件(p.116)
孤立無援となってしまった猿払村

私は猿払村に赴いて一連の騒動を取材し、ニューヨーク・タイムズに〈PressureinJapantoForgerSinsofWar(戦争の罪の記憶を忘れさせようとする日本での圧力)という記事を執筆している(14年10月29日、電子版は28日。)取材では、猿払村が激しい電話&メール攻撃を受けた当時の巽昭村長(09年12月13年11月在任)にも会った。石碑の除幕式を行おうとした接払村が攻撃されたとき、他の自治体、北海道新聞を含む日本のメディアは誰も支持してくれなかったという。巽昭村長はこう嘆いていた
〈Thisisn’tafightthatonesmallvillagecanwagealone.〉(これは一つの小さな村だけで対抗できる戦いではありません)
猿払村の職員にはさまざまな日常業務がある。人口が3000人もいない小さな村の職員は数が多いわけではないから、一斉に電話が鳴り続けたら通常業務ができなくなってしまう。規模は違えど、「吉田証言」問題で総攻撃されていた朝日新聞と同じ状態だ。
石碑建立に対する攻撃にさらされた猿払村は、完全に孤立していたという。
「他の自治体も北海道も、誰も応援しようとしない。メディアは猿払村への弾圧を黙殺し、道内のローカルニュースを細かく追っているはずの北海道新聞でさえ、ことの経緯を報じただけで、明確な支持はしてくれなかった」
村の人はそう話していた。村役場の職員に話を聞いてみると、電話が鳴りやまなかったといっても、どうやら限られた人数の同一人物が何度も抗議してきただけのことだった。ソーシヤルメディア上で騒いでいるノイジー・マイノリテイと同じく、ネット右翼は一人で数十人、100人分の攻撃を猿払村に浴びせかけた。職員も「実際に攻撃していたのは数十人でした」と語っていた。だが、普段はかかってこない強いクレームの電話が一日中鳴り続ければ、村の職員は圧倒され、萎縮してしまう。
抗議の声は多数派によ長ものではなく、所詮ノイジー・マイノリテイによるものだと理解していれば、猿払村も対応の仕方があったはずだ。1億2700万人の日本人のうちのたった数十人による抗議など「ご意見承っておきます」と受け流し、予定どおり石碑の除幕式を執り行えば良かったはずだ。

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