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学長の役割とは [憲法・教育基本法]

(23日)末尾に追記

iwaさんの「学長への手紙」の有効性についての議論をきっかけに,国立大学のありかたについて幅広い問題提起がされています.コメント欄が長くなりすぎるので,ここで記事の形にします.こちらで引き続き議論をよろしくお願いします.なお,ミエミエのブログではありますが,いちおう「仮面舞踏会」の作法を守っていただくようお願いします.私はyamamotoと申します.

学長を取り巻く環境について
iwaさんのご指摘のように,「本部で文部科学省から派遣された事務局幹部に取り囲まれて仕事する」(21日投稿)状況が確かに長く続きました.私自身ずっと,これではダメだ,大学は学長という機関をもっと大事にしなければならない,自立したものに変えなければならない,と思ってきました.

しかし最近は,少なくとも制度上は変わってきています.私の大学の場合,教員出身の副学長と,同じく数名の学長補佐を配下に置き,また理事にも教員出身者が複数います.陣容だけを見れば,学長は事務局幹部に包囲されたような状態ではなくなっています.あとはそれにどう「魂」を入れるか,ということです.結局はミイラ取りがミイラになり,官僚の代理人が増えただけ,ということにならないように(学者というのはお人好しで官僚に簡単に騙されるので,この危険は大)しなければなりません.つまり,制度の問題がすべて解消したとは言えないまでも,これから先は主として,これら学長スタッフが,そして一般教員が,「どう行動するか」という問題であるように思われます.

国立大学を巡る状況について
「組織的な抵抗に対しては報復があり得る」とは,「政財界からの文部科学省への圧力」の結果,要するに「民営化」の状況に追い込まれる,とのご意見と理解しました(2006-08-22 10:43).「国鉄末期」との比喩もされています.しかし,この種の議論というのは,大学の中では,この十年来,いやもっと昔から,ずっと聞かされてきた話です.「独法化を飲まないと民営化される」などと言われたこともあります.そしてその言説は心理戦の武器として相当効果があったように思います.

しかし,「民営化」というものは「組織的な抵抗に対する報復」として起こるようなものなのでしょうか?つまり,おとなしくしていたら民営化されないのでしょうか?むしろ逆ではないでしょうか.国鉄がよく引き合いに出されますが,国労がおとなしくしていたら民営化されなかったのでしょうか?おそらくそんなことはないだろうと思います.郵政は,別に労組のありかたとは関係なく,民営化されようとしているわけですし.

続けてiwaさんは「上記のような状況認識はあくまで国立大学と日本の政財界、中央官庁、マスコミといった狭いパワーエリートの世界との関係で学長達が抱いているであろう認識に過ぎません」と書かれていますので,上に書いたことはiwaさんへの批判と言うことではありません.おそらくiwaさんも同じような認識ではないかと想像します.

行動することで学長は権威を回復する
「問題は誰がその主体になるか」ですが,権威は低下したとはいえ,やはり大学の顔は学長であり,学長の役割は決定的です.むしろ,積極的に社会的な発言をすることで権威を取り戻さなければなりません(ユネスコ高等教育世界宣言第二条b項).もちろん,学長だけを矢面に立たせるようではだめで,「後方支援」ではありませんが,学部長や教授会も積極的にモノを言わなければなりません.また,著名な学者も,その「ノブレス・オブリージュ」を果たしてもらう必要があります.

教育基本法に関して「対案」というアイデアを出されていますが,これについてはまた稿を改めます.

23日追記:「報復措置」に関してですが,iwaさんの,個別大学をねらったものではなく,国立大学全体に対するもの,という見方は,やはり現実的ではないと思います.そのような,国立大学の全体的利害には個別の大学や学長は強くは反応しません.関心の9割は,自分の大学がどうかということにあるのです.他大学と差別されることが一番怖いのです.この心理が支配者側による「分断支配」の基盤を与えています.


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コメント 4

iwa

返事が遅れてしまい申し訳ないです。

「学長を取り巻く環境について」「行動することで学長は権威を回復する」については、基本的におっしゃるとおりだと思います。
私の勤務校で見ていると、せっかく理事や副学長が経営陣として乗り込んでもミイラ取りがミイラに…というyamamotoさんの危惧の方が現状では当たっている気がしますが。
(というか、雑務に忙殺されてモノを考える暇がないようです。)

残りの国立大学を取り巻く状況についてですが、確かに学長達は個別大学の利益(あるいは自分の学問分野の利益)しか考えていない場合が多いかも知れません。
また文部科学省の指導に従わない大学への個別的報復(評価結果の操作など)のおそれは、確かに存在するでしょう。

しかし、教育基本法改定阻止とか高等教育無償化といった、社会全体にかかわる抽象度の高い問題についてなぜ学長たちが何も言わないのかという問題に対しては、また別の理由を想定しなくてはならないと思います。
国立大学の存在意義、ひいては学問の自由の価値についての国民の認知・評価が低い中で、国立大学の学長や教授会が国の教育政策の根本に対して批判的立場を表明してみせても、意図したような方向に政策が動くどころか、「まだあんな浮世離れしたことを言っている」と思われ、サンドバックになるのが落ちではないのかと。
少なくとも学長たちの共通の意識として、そうした国立大学の立場に対する悲観的意識があり、それは少なからずこの国の現状を反映したものでもあると思います。

この現状では、教育・研究の自由の価値について(国にではなく)色々な場面で広く国民を啓蒙していくことが、遠回りなようで結局は早道なのではないかと思っています。
勿論、こんな遠回りをしていたのでは教育基本法改正阻止には間に合わないことは確かですし、このままいくと「失われて初めて学問の自由の価値を国民が理解する」という結果も招きかねないのですが。
by iwa (2006-09-03 14:36) 

iwa

消極的な事ばかり書いていると、私も2ちゃんねらーの仲と思われかねないので個人的なことを少し書きます。

私は改憲策動や教育基本法改悪については無論反対の意思を持っており、プライベートではそれらに関する会などにも参加しています。
しかし、勤務校の組合は比較的そうした活動に熱心でなく、また事務職員の組合員はあまり目立って活動できない空気があるため、大学では政治的な活動は封印しています。
(これは私の個人的状況からそうしているだけの話で、教職員や学生が自由に政治的な意見表明をする自由は最大限尊重されるべきだと思います。)

プライベートでの活動で革新政党の関係者に日頃接触していて感じることは、現状の力関係や世論の空気に対する冷静な認識が欠けており、ただ自分の信念に従って行動すれば良しとする自己満足的傾向に陥りがちであるということです。
政治活動に心情倫理を持ち込んでいるとも言えるでしょうか。

主要な「敵」が政財官界の権力者や特権階級や外国勢力であった時代なら、抵抗に立ち上がらないことは怯惰以外の何者でもなかったでしょう。
(同じく、国立大学も単に対文部省でずるずると(しかし競い合うように)譲歩してきた過去があり、これは明らかに怯惰でした。)
しかし、改憲や教育基本法改正に対し問題を感じないような世論が大多数を占める状況で、国を相手に「正義は我にあり」と主張してみても、「権力者(+国民の大多数)対うるさい少数派」という図式を強化するだけです。
従来型の抵抗は、権力者にとって想定の範囲内どころか思う壺でもあります。

世論が「敵」に回った(と私は認識しています)状況下でどんな抵抗が有効なのか、活動には参加しながらも考えあぐねているのが正直な所です。
by iwa (2006-09-03 15:09) 

iwa

二つ目のコメントの1行目「2ちゃんねらーの仲」は「2ちゃんねらーの仲間」の誤りです。失礼しました。
by iwa (2006-09-03 15:11) 

yamamoto

フォローありがとうございます.

>国立大学の存在意義、ひいては学問の自由の価値についての国民の認知・評価が低い中で、国立大学の学長や教授会が国の教育政策の根本に対して批判的立場を表明してみせても、意図したような方向に政策が動くどころか、「まだあんな浮世離れ

これはやってみなければ分からないでしょう.なにしろ,このようなアクションはもう何十年も見られないのですから.同じ様なことが独法化の時も言われましたが,少なくともこのような発言が,教基法審議に多少なりともブレーキをかけることはあっても,加速することはないでしょう.

権力に対する抵抗というものは99%失敗するもので,残りの1%に賭けるというのがその本質です.抵抗しなければその1%が存在しないのです.宝くじと同じで,「買わなければ当たらない」のです.独法化はそのケースで,99%の方の結果が出たわけですが,教基法に関しては大学は側面援助の立場です.勝てるチャンスはあります.いや,負けることは想定したくないです.そんな日本にはもういたくない.

1日の記事に書きましたたように,ぜひ教授会で審議をと思って同僚に働きかけているのですが,平和運動や九条では理解を共有する同僚でも,「よく分からない」という反応が多いのに落胆します.あるいは,もっぱら「愛国心」の問題ととらえている人も多いように思われます.

その原因の一つは,憲法九条と違って,教育基本法が何かと言うことが大学教員の間でさえほとんど知られていないということがあるでしょう.例えば,その10条の意味などは義務教育でもほとんど教えられないし大学入試にも出ないので,当然かも知れません.さらに,これが学校で教えられない理由は,文部省,文部科学省が10条違反の行政をやり続けて来たためでしょう.自分の不正に気付かせるような教材はできるだけ隠しておきたいのでしょう.

「世論が『敵』に回った」事態を助長した責任は,メディアが第一ですが,大学がこの数十年来,何も発言しなかった,メッセージを発しなかったことにもあります.発言したら敵が,つまり不利な世論がより強くなる,という考えはおかしいと思います.もちろん運動は多面的でなければなりませんが,言うべき人や団体が何も言わないのは,運動の他の戦線にマイナスの影響しか及ぼさないでしょう.

>プライベートでの活動で革新政党の関係者に日頃接触していて感じることは、現状の力関係や世論の空気に対する冷静な認識が欠けており、ただ自分の信念に従って

このあたりをもう少し具体的に説明してもらえないでしょうか.

さて,とくらさんが1日の記事にTBをかけてくれていますが,民主党案も,教育の権利を国民から国家に「移管」させるという点では同じなのです.文字通りの意味で「民業圧迫」です.候補者公募審査の時,教基法についてのやりとりはあったのでしょうか?この問題の深刻さをどの程度理解しておられるのでしょうか?
by yamamoto (2006-09-05 07:49) 

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