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九条原理主義の擁護--伊藤真著「高校生からわかる日本国憲法の論点」 [憲法・教育基本法]

  九条関連記事:「攻められる」ことと「攻める」こととの等確率性

花のニッパチさんの記事で紹介されていた,「司法試験界のカリスマ塾長」伊藤真氏の「高校生からわかる日本国憲法の論点」をアマゾンから購入しました.なんと地元の巨大ショッピングモールにあるメガサイズの紀伊國屋書店に在庫してありませんでした.とりあえず九条の部分を読みました.これほど説得力のある,しかも簡明な九条擁護論はありません.改憲論者はどう反論できるのか,むしろ訊いてみたいです.

以下,その部分から引用して紹介します.

憲法が「自衛戦争」を認めているという見方に対して,次のように明確に否定しています.

それに,仮に侵略戦争だけを否定して自衛戦争は認めているとしても,「自衛のための戦力」と「侵略のための戦力」を区別することはできません.「自衛のための戦力」を認めれば,それが侵略のために使われる危険性が生じますから,戦力一般を認めたのと同じことになります.だとすると,九条二項の条文は完全に骨抜きになってしまいます.ですから憲法九条は,自衛戦争を含めて一切の戦争を放棄したと解釈すべきです.つまり,国防や国際貢献という美名のもとで行われる戦力すら禁止するのが,憲法の考え方なのです.

集団的自衛権については,「仲間をふやすことにつながって安全になると同時に,『敵をふやす』ことにもつながります」と,ものごとには必ず両面があることを明確に指摘しています.

この章のさわりの部分です.

 日本国憲法が掲げている平和主義は,ある意味で壮大な実験のようなものだと私は思っています.憲法制定当時の吉田首相や幣原大臣の答弁にあったとおり,過去の侵略戦争の多くは「自衛」の名のもとに行われました.そのような暴力の連鎖を断ち切って,真に平和な世界を築くためには,誰かがそれまでの常識をうち破って,第一歩を踏み出す必要がある.それが,一切の武力保持を禁じ,あらゆる戦争を放棄した日本国憲法の役割ではないでしょうか.世界のどの国でもやったことのない挑戦をするからこそ,私たちは,国際社会における「名誉ある地位」を占めることができるのだと思うのです.

 したがって,それは決して『一国平和主義』ではありません.国際紛争の原因となるような問題を,日本が積極的に外に出て解消していくことは,武力を使わなくても可能です.貧困,教育,食糧,人権,環境などの問題を,さまざまな形の援助で解決できれば,世界の平和に多大な貢献ができるはずです.なにも軍隊を出して血を流すことだけが,国際貢献ではありません.国にはそれぞれ役割があり,すべての国が警察官を演じる必要はないのです.これまで,それがうまくいっていなかったのはたしかですが,それは努力の問題であって,非暴力平和主義自体が非現実的なものだとは思いません.きわめて現実的かつ戦略的に,日本はそのような道をとることができると私は思っています.

また,小林節氏の「戸締まり論」を次のように批判しています.

・・・軍事力以外の手段で安全を確保する方法はあるはずです.・・・
 このような考え方は,しばしば『理想論にすぎない』『空想的だ』などと批判されますが,私はそうは思いません.むしろ,軍事力によって日本の国土を防衛できると考えるほうが,空想的です.実際,世界最大の軍事力を誇る米国ですら,あの同時多発テロを防ぐことはできませんでした.・・・

この部分だけを見れば,「程度問題だ」という突っ込みを受ける余地はあるでしょうが,章全体としては間違いなく「程度問題」も含んだ議論になっています.

「安保ただ乗り論」も次のように論破.

・・・しかし,『安保ただ乗り』の何がいけないのでしょうか.もちろん,電車のキセルのように相手をだましてただ乗りするのはよくありませんが,相手が承知した上でただ乗りできるなら,それに越したことはありません.外交とは,そのようなしたたかなものであるべきです.

しかし現状が「ただ乗り」などという状態ではないことを,「思いやり予算」などを例に引いて反論してもいます.また「ただ乗り」論が,「沖縄をはじめとする基地周辺の住民に対してあまりにも無神経」というのもそのとおりです.

全体として,私が「九条原理主義」と名付ける立場に立ったものとして,たいへん心強く思っています.

これと比べて,長谷部恭男氏の「憲法と平和を問いなおす」(ちくま新書)は妥協的です.

・・・各国が自衛のために何らかの実力組織を保持することを完全には否定しない選択肢がある.ここでは,これを『穏和な平和主義』と呼ぶことにしたい.(160ページ)

この穏和な平和主義は,憲法第九条の文言と衝突するのではないかとの疑問があるかもしれない.しかし,そうした疑問が生ずるのは,第九条を原理(principle)ではなく,準則(rule)としてとらえるべきだという,特殊な前提がとられているからである.(171ページ)

そして,憲法九条が準則ではなく,原理を示しているにすぎないのであれば,自衛のための最低限の実力を保持するために,この条文を改正することが必要だとはいえないことになる.(173ページ)

論理の重要な骨格を数ページに分散させるなど,大変まわりくどい記述の仕方であり,表現ですが,要するに自衛隊合憲論を言いたいわけです.改憲派のブログからは,「長谷部護憲防御ライン」は「2005年現在の」「護憲勢力の最終防御ライン」と評され,しかもそのラインは「突破されなければならない」と,いわば足下を見られています.

 → 松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG
   http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/11632074.html

私は「妥協的立場」を攻撃すべきだと言うつもりはなく,逆に,九条の文言の一字一句を守る,変えないという立場でさえあれば,あらゆる立場の人と手を組むべきだと思います.しかしだからといって「原理主義」を沈黙させてはいけないのです.それどころか「原理主義」の高らかな唱道こそが,あらゆる意味で護憲運動を力づけるものだと思っています.

私自身の「原理主義」を中心に,この文章の続編をできるだけ早く書くつもりです.

関連文書(第2章後半部分を全文入力しています)
石橋政嗣氏の「非武装中立論」


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ニッパチ

読んでくれて、ありがとう。多くの人が読んでくれることを願って止みません。なぜなら、今ほど原理原則が大切なことはないからです。
by ニッパチ (2005-10-01 19:45) 

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