http://www.higashiaichi.co.jp東愛知新聞 2020年12月28日
発言 弁護士 内田雅敏
領土ナショナリズムの陥穽にはまってはならない王毅中国外相発言に対する志位共産党委員長の批判先頃来日した中国の王毅外相が、茂木敏充外相との日中外相会談後の共同記者会見(11月24日)で尖閣諸島に中国公船が押し寄せるのは「日本の漁船が入ってくるからだ」として、尖閣諸島は中国の領土と主張しました。この発言について、すぐに反論しなかった茂木外相を「だらしがない」と酷評したのは、共産党の志位委員長でした。
産経新聞は社説で「盗人たけだけしい」とまで述べて批判しました。志位委員長は定例記者会見で「尖閤諸島の周辺の緊張と複雑化の最大の原因は、日本が実効支配する領土、領域を力づくで変更しようとする中国側にある」と述べまし。「戦狼(せんろう)外交」とも称される中国の力による覇権主義的外交政策についての批判は当然であり、そのこと自体は間違いではありません。
志位委員長は、尖閣諸島が日本の領土であることについて、①尖閣諸島は近代まで、どこの国にも属さず、国際法にいう無主の地であった②1895年の閣議決定で日本に編入、以後一貫して実効支配③敗戦後、サンフランシスコ講和条約により米軍の施政権下に置かれ、1972年沖縄返還により日本に戻った④中国は1895年から1970年まで日本の領有に対し異議を述べてこなかった⑤中国が領官官主張したのは尖閣諸島周辺に石油天然ガス資源の存在がいわれるようになった1971年頃からー等々の「事実」を根拠として挙げています。
これらの「事実」もおおむね間違いではありません。1953年1月8日付「人民日報」(中国共産党機関紙)は「米国の占領に反対する琉球群島人民の闘争」と題する記事を掲載していますが、同記事は琉球群島の範囲として「わが国台湾の東北および日本九州島西南の聞の海上に散在し、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、トカラ諸島、大隅諸島など七つの島嶼からなっている」と紹介しています。
尖閣諸島編入の問題点しかし、尖閣諸島の「領有」を巡っては以下のような事実もあります。①日本が尖閣諸島を領土に組み入れたのは、日清戦争の行末が見えた1895年1月14日でした。3カ月後の同年4月、日本は下関条約で、台湾、澎湖(ほうこ)島、遼東半島を取得(遼東半島については、その後、露、仏、独の三国干渉により返還しさらに当時の日本の国家予算約8000万円の4倍強の2億テール(約3億6000万円)の賠償金を取りました。
尖閣諸島の日本領土への組み入れは、戦争絡みで、しかも当時、中国は日本の領有宣言に異議を述べることが困難な状況にありました。
②前記領有宣告に先立つ79年、日本は琉球王国の廃止・沖縄県の設置に抗議した中国との間で通商条約問題も絡めて、尖閣諸島を含む先島諸島(宮古群島、八重山群島など)以西を琉球本島と切り離し、中国領土としてもよいと提案し、仮調印までしました。
③85年、内務卿山県有朋が、尖閣諸島に国標を立てようとしましたが、中国との関係を考慮した外務卿井上馨の反対によって断念しました。国標の建設は戦後になってからです。
④の日本の国土への編入についても対外的に公表したのは戦後になってからです。
以上のような「事実」を考慮に入れれば、江戸時代末期に作成された日本地図では尖閣諸島は日本の領土とされてはいなかった点はともかくとして、日本側としても尖閤諸島を日本の「固有の領土」とは言えないのではないでしょうか。(2面ヘ続く)
尖閣諸島問題を棚上けした日中共同声明日中国交正常化を果たした1972年の日中共同声明の際、尖閣諸島問題は「棚あげ」するとする日中間の首脳で合意されました。
また78年10月、日中平和友好条約締結のために来日した鄧小平は、尖閣諸島の領有問題について「私どもは、両国政府はこの問題をとり上けないのが比較的賢明だと考えています。このような問題は一時棚上げにしても問題はないし、10年間ほうっておいてもかまいません。将来かならず双方ともに受け入れることのできる問題解決の方式をさがしあてるでしょう」(「北京週報」1978年第43期)と述べています。
2014年12月31日付の琉球新報は、82年9月の日英首脳会談の際、当時の鈴木善幸首相が来日したサッチャー首相に対し、尖閣諸島の領有権に関しては日中聞に現状維持をする合意があった、と明かしていたことを報じています。
また79年5月31日付の朝日新聞は「『尖閣』で大局的解決を望む」、同日付の毎日新聞は「『尖閣列島調書』に慎重な配慮を」、同じく読売新聞は「尖閣問題を紛争のタネにするな。」各社説は、いずれも尖閣諸島について日中聞に領有権の問題には触れないでおこうという「暗黙の合意」が存在したことを前提として論を展開しています。つまり、日中両国とも尖閣諸島問題については、お互い言い分があり、どちらか一方「固有の領主」だと断定できるようなものではないのです。
日中両政府は、この事実をそれぞれの国民に明らかにすべきです。ところが両政府とも、それをせず、それぞれ自国の「固有の領土」とあおるものですから問題がますます悪化するのです。
領土問題で愛国者に変身領土問題となると人々はいとも簡単に「愛国者」に変身します。「寸土たりとも譲るべからず」という強硬輸がのさばり相手国への敵愾(てきがい)心、不信感をあおる口実にされてきました。2004年中国で「愛国無罪」を叫ぶ若者たちがイオンなど日本店舗を襲ったことはまだ記憶に新しいところです。日本側でも同じです。
米軍基地の重圧に呻吟する145万余の人の住む沖縄の現状を放置しながら、無人の尖閤諸島については「1センチたりとも譲らない」と息まく姿(民主党政権下の枝野幸男官房長官発言など)は尋常ではありません。
領土の「魔力」から解放され、冷静、客観的に問題を見て、柔軟に対処できる知恵と能力を身につけなければなりません。
「領土問題」を純然たる「領土」の問題だと考えると、互いに国内事情から譲ることが困難となり、最終的には武力による「解決」ということになります。そこにはゼロ・サム、すなわち勝者と敗者しかいません。領土問題は外交問題であると同時に国内問題であり領土ナショナリズムの陥算(かんせい)にはまってしまうと出口が無くなります。
人類はこの問題をつい最近まで、戦争によって解決してきました。1982年、南米大陸最南端のフォークランド諸島(アルゼンチン名マルビナス諸島)の領有をめぐって、英国とアルゼンチンが戦争をしたフォークランド紛争はまだ記憶に新しいものがあります。
戦争に勝ったのは英国ですが、本国からははるか離れたアルゼンチンに近い島がなぜ英国領なのでしょうか。
尖閣諸島問題を普ながらの方法、すなわち戦争によって解決するか(全面戦争はともかく、局地的な戦争を望む勢力が日中双方にあります。)それとも日中の共同管理によって解決するかが問われています。
尖閣諸島海域を「国際入会地(海)」に「易地忠之」の知恵「領土問題」は、ある意味では資源問題、漁業権問題です。ここに「領土問題」解決の鍵があります。欧州連合(EU)の基礎は戦後間もないl950年、独仏によって締結された欧州石炭鉄鋼共同体条約にあったことを理解すべきです。「領土問題」を資源問題だと考えれば、そこでは勝者と敗者という関係ではなく、互いにウィン・ウィンという関係を築くことも可能となります
その昔、日本の農村には、分かち合いの土地である入会地が所々にありました。個入の利益を主張しない土地で、季節に応じ、生活の必需に応えて、新しい約束事をつくり、まきにして、炭にしても、敷き草にしても、この共同の土地から皆で分かち合いました。これは互いに生き抜くための知恵でした。
尖閤諸島はもともと琉球(沖縄、)台湾、中国・福建の漁民たちの共同漁場であり、そこには国境線はありませんでした。
領有権を棚上げにする暗黙の合意があった尖閣諸島については、その帰属は双方に見解の相違があることを認めたうえで、入会地、つまり「国際入会地(海)」にする。国境を越えた地球市民としての双方の利益に沿って共同で開発活用する。これ以外の解決の方法はありません。
08年、福田康夫首相と胡錦涛主席は尖閤海域の共同開発に合意したのです。
2012年8月29日、北京で開かれた日中国交正常化40周年記念シンポジウムで、唐家璇中日友好協会会長(元外相)は尖閤問題について①領土問題の存在を認める②争いを棚上げし、問題を激化させない③関係の安定のために有意義なことを実施するーという「三つの必要」と、①一方的な行動を取らない②事態を複雑化させない③事態を拡大化させないーという「三つの不必要」を提案しました(同年年9月5日付の毎日新聞朝刊)。もっともな提案です。
もっともな提案ですが、外には南沙諸島の強引な埋め立てと軍事基地化、内には香港市民の自由のはく奪など、人権弾圧をためらわない現在の習近平独裁体制の下ではなかなか難しく、悩ましい問題です。
日中共同声明第7項では「両国のいずれもアジア太平洋地域で覇権を求めるべきでなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国、あるいは国の集団による試みにも反対する」と、反覇権条項がうたわれています。6年後の日中平和友好条約でも同様です。1974年、鄧小平は国連総会において以下のように演説しました。
「中国政府は、今回の総会が、発展途上国の団結を強め、民衆の経済的権益を守るうえで、また帝国主義、とりわけ覇権主義に反対する各国人民の闘争を促進するうえで、積極的に寄与するよう期待している。(略)もし中国が変色し、超大国になり、世界で覇を唱え、いたるところで他国をあなどり、侵略し、搾取するようなことになれば、世界人民は、中国に社会帝国土義のレッテルをはるべきであり、それを暴露し、それに反対すべきであり、また中国人民とともにこれを打倒すべきである」(4月10日)
力ずくで現況を変えようとする習首席は、鄧小平のこの言葉を思い起こすべきです。駐日中国大使館の参事官として在任中、毎年行われている秋田県大館市主催の花岡事件(中国人強制連行・強制労働)追悼式に参列した「知日派」王毅外相も、「争いを棚上げし、問題を激化させない」とした外交部の大先輩、唐家璇の知恵にならってほしいものです。
大切なことは「易地思之」、すなわち自己(自国)の観点を絶対視せず、相手側の考え、主張にも耳を傾け、いかなる場合でも「対話」を放棄せず、相互の信頼関係を強め、友好的、平和的な解決の道を見いだそうとする努力をすることです。
政府間の対立を民聞には持ちこまない、という精神が大切で、さまざまなレベル、多様な分野の民間交流を積極的に展開して行くべきです。国同士はどうであれ、ばかな政治家や、学者にあおらなければ、民衆同士は決して戦争を望みません。領土ナショナリズムの陥穽にはまってはなりません。