SSブログ

「領土ナショナリズムの陥穽にはまってはならない」-- 尖閣問題での志位発言への内田弁護士の批判 [社会]

uchida202011.jpg2/28追記全文転載しました
---------------
2ヶ月前のことですが、「しんぶん赤旗」に、「日本側に責任転嫁する傲岸不遜な暴言 志位委員長 中国・王毅外相を批判」という記事が載りました。当時ニュースにもなったと思います。気にはなっていましたが、最近これに対する原則論からの貴重な批判を知りました。志位発言から1ヶ月後、東愛知新聞に掲載された、内田雅敏弁護士の発言です。とてもバランスのとれた議論です。このような正論、原則論が、大手メディアから全く聞かれないことに大いに危惧を感じ、文字化して限られた範囲で「拡散」していますが、ここでその要約と、一部を引用し紹介します。
なお、内田雅敏氏の発言については、「徴用工」問題でも紹介しています。
(尖閣問題関連記事:無人島のために殺し合いゲームまでしなければならないのか?
--------

発言 弁護士 内田雅敏

領土ナショナリズムの陥穽にはまってはならない

王毅中国外相発言に対する志位共産党委員長の批判

先頃来日した中国の王毅外相が、茂木敏充外相との日中外相会談後の共同記者会見(11月24日)で尖閣諸島に中国公船が押し寄せるのは「日本の漁船が入ってくるからだ」として、尖閣諸島は中国の領土と主張した。この発言について共産党の志位委員長は、すぐに反論しなかった茂木外相を「だらしがない」と酷評した。

参考:しんぶん赤旗記事 「日本側に責任転嫁する傲岸不遜な暴言」(2020年11月27日)

これに対して内田雅敏氏は、志位委員長が定例記者会見で述べた、「尖閤諸島の周辺の緊張と複雑化の最大の原因は、日本が実効支配する領土、領域を力づくで変更しようとする中国側にある」、「戦狼(せんろう)外交」とも称される中国の力による覇権主義的外交政策についての批判は当然であり、そのこと自体は間違いではない、としています。また、志位委員長が、尖閣諸島が日本の領土であることの根拠として挙げた5項目も、「おおむね間違いではない」としている。

しかし、次のような曖昧さ、ないし中国の言い分に理のある点も指摘している。
(1)日本が尖閣諸島を領土に組み入れたのは、日清戦争の行末が見えた1895年1月14日であるが、戦争絡みで、しかも当時、中国は日本の領有宣言に異議を述べることが困難な状況にあった。
(2)それ以前の1879年、中国との間で通商条約問題も絡めて、尖閣諸島を含む先島諸島(宮古群島、八重山群島など)以西を琉球本島と切り離し、中国領土としてもよいと提案し、仮調印までした。
(3)1885年、尖閣諸島に国標を立てようとしたが、中国との関係を考慮した外務卿井上馨の反対によって断念した。
(4)日本の国土の編入を対外的に公表したのは戦後になってからである。

以上より、尖閤諸島を日本の「固有の領土」とは言えないのではないか。

日中国交正常化を果たした1972年の日中共同声明の際、尖閣諸島問題は「棚あげ」するとすることが日中間の首脳で合意された。

このように、日中両国とも尖閣諸島問題については、お互い言い分があり、どちらか一方「固有の領主」だと断定できるようなものではない。日中両政府は、この事実をそれぞれの国民に明らかにすべきだが、両政府とも、それをせず、それぞれ自国の「固有の領土」とあおるから問題がますます悪化する。

領土問題となると人々はいとも簡単に「愛国者」に変身する。米軍基地の重圧に呻吟する145万余の人の住む沖縄の現状を放置しながら、無人の尖閤諸島については「1センチたりとも譲らない」と息まく姿(民主党政権下の枝野幸男官房長官発言など)は尋常ではない。領土の「魔力」から解放され、冷静、客観的に問題を見て、柔軟に対処できる知恵と能力を身につけなければならない。

(中見出し)
尖閣諸島海域を「国際入会地(海)」に
「易地忠之」の知恵

「領土問題」を資源問題だと考えれば、そこでは勝者と敗者という関係ではなく、互いにウィン・ウィンという関係を築くことも可能。

尖閤諸島はもともと琉球(沖縄、)台湾、中国・福建の漁民たちの共同漁場であり、そこには国境線はなかった。
領有権を棚上げにする暗黙の合意があった尖閣諸島については、その帰属は双方に見解の相違があることを認めたうえで、入会地、つまり「国際入会地(海)」にする。国境を越えた地球市民としての双方の利益に沿って共同で開発活用する。これ以外の解決の方法はない。
2008年、福田康夫首相と胡錦涛主席は尖閤海域の共同開発に合意した。

(以下、末尾の部分を全文引用)
日中共同声明第7項では「両国のいずれもアジア太平洋地域で覇権を求めるべきでなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国、あるいは国の集団による試みにも反対する」と、反覇権条項がうたわれています。6年後の日中平和友好条約でも同様です。1974年、鄧小平は国連総会において以下のように演説しました。

「中国政府は、今回の総会が、発展途上国の団結を強め、民衆の経済的権益を守るうえで、また帝国主義、とりわけ覇権主義に反対する各国人民の闘争を促進するうえで、積極的に寄与するよう期待している。(略)もし中国が変色し、超大国になり、世界で覇を唱え、いたるところで他国をあなどり、侵略し、搾取するようなことになれば、世界人民は、中国に社会帝国土義のレッテルをはるべきであり、それを暴露し、それに反対すべきであり、また中国人民とともにこれを打倒すべきである」(4月10日)

力ずくで現況を変えようとする習首席は、鄧小平のこの言葉を思い起こすべきです。駐日中国大使館の参事官として在任中、毎年行われている秋田県大館市主催の花岡事件(中国人強制連行・強制労働)追悼式に参列した「知日派」王毅外相も、「争いを棚上げし、問題を激化させない」とした外交部の大先輩、唐家璇の知恵にならってほしいものです。

大切なことは「易地思之」、すなわち自己(自国)の観点を絶対視せず、相手側の考え、主張にも耳を傾け、いかなる場合でも「対話」を放棄せず、相互の信頼関係を強め、友好的、平和的な解決の道を見いだそうとする努力をすることです。

政府間の対立を民聞には持ちこまない、という精神が大切で、さまざまなレベル、多様な分野の民間交流を積極的に展開して行くべきです。国同士はどうであれ、ばかな政治家や、学者にあおら(れ)なければ、民衆同士は決して戦争を望みません。領土ナショナリズムの陥穽にはまってはなりません。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント