今日(22日)の毎日のコラムが目に止まった.中央大教授・山田昌弘氏の「異議唱えぬ日本の若者—香港の民主化運動、対照的な熱気」という文章だ.
http://mainichi.jp/shimen/news/20141022ddm004070006000c.html
香港での学生の運動と比べて,日本の若者は政治的に非常に不活性なことを嘆いている.中程の一節を引用する.
以前、ある学生新聞の記者が、高騰する大学授業料に関する意見を私に求めてきた。「私が学生の頃は、学生自治会が大学で授業料値上げ反対のデモやストライキをやっていた」と昔話をしたら、「そんなことをして、就職にひびかないんですか?」と言われたことがある。
学生と接して私の持つ印象も同様だが,気になるのは山田氏の文章が若者批判に終わっていることだ.氏の肩書きは大学教授である.教育者なのだから,そのような若者のあり方の原因の一端を担っているのである.そのような当事者意識が文章に全く見られないのはどうしたことだろう.

話を戻して,この国の若者,特に大学生の政治意識のレベルの低さは,山田氏ならずとも深刻に受け止めるべきだ.つまり,決して年寄りの決まり文句「最近の若者は・・」のタイプの言説と片付けるべきではないということだ.相当に日本に特有の現象だからである.確かに,最近の脱原発デモ,秘密法反対の街頭活動などに,若者の参加が増えていることは事実で,希望の持てるニュースではある.しかし若者全体からすればごくごく一部だ.

大きな原因は高校までの教育にあるだろう.「政治的中立」の名の下に,教師は生徒に政治的関心を呼び起こすような授業はおろか,そのような言動・行動までもが,がんじがらめに縛られている.そのような学校の中で生徒の政治意識が養われるはずがない.(曲がりなりにも今でも授業内容の自由が守られている大学ではその“リメディアル”教育が行われるべきと私は提唱している.http://ad9.org/pegasus/F365/forATSBj.html

きのう今日と,文科省が「道徳」の教科化を実施するとのニュースが流れているが,官僚検定(検閲)の教科書のもとで行われるのだから,おぞましいほどの思想統制が懸念される.行き着く所は批判精神の絶滅だ.これに対抗するにはどうしたらいいだろうか?

従来,いや,そうとう昔の話ということになろうが,「道徳教育反対」がスローガンだったと思う.それは間違っていないし,それを貫くことが出来れば大きな成果だったはずだが,そうはなっていない.さて今これに対抗するスローガンは何だろうか? 私は「道徳教育の代わりに哲学を」というコピーを提案したい.哲学には倫理的思考も含まれる.したがって「道徳」も包含すると主張できる.そして「道徳」という言葉が意味する狭隘な思考分野から,ものごとを根本的に考えようとする態度を養う思考分野へと解放される.
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フランスでは哲学がバカロレアの必須科目である(ナポレオンが導入したらしい).
ブログ「村野瀬玲奈の秘書課広報室」は毎年の哲学の試験問題を翻訳している.今年のはこれ.
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5887.html
哲学する心の根本には「疑う」ということがあり,これはあらゆる批判精神の源泉だろう.香港の学生行動を報じたテレビ東京WBSは,その背景に,批判精神を育てる高校の教育があることを紹介していた.
https://www.facebook.com/kouichi.toyoshima/posts/588270717945348