3月7日修正:訳書で欠けていたフレーズを追加.後継記事世界は非暴力直接行動のモードへ

わが国ではまだまだ「直接行動」の認知度が低いようですし,むしろこれを「テロ」や「暴力」と結びつける傾向の方が強いでしょう.少なくとも直接行動が民主主義に役立つと考える人はごく少数と思われます.しかし私たちは今まさに中東諸国において「デモ」という直接行動による「民主化」を目撃しています.中東で起きている革命は,選挙・議会を通じる合法的な手続きによるものではなく,まさに「直接行動」です.

しかしこれらの国は独裁国家であったりして,民主主義の土台がなかったから「直接行動」による変革もやむを得なかった,ということかも知れません.では民主主義国では直接行動の出る幕はないのか? これについてマイケル・ランドルの「市民的抵抗」(新教出版,2003年)から引用します.決してそうではない,必要である,という結論です.以下で「市民的抵抗」は「非暴力直接行動」と同義と思われます.
 市民的抵抗は,防衛や安全保障に関してだけでなく,エンパワーメント(力の強化*)に関わりがある.市民的抵抗自体が,民主的過程に重要な局面を付け加えることができる.たしかにこれには前の章で検討したような危険性はあるが,それにもかかわらず,民主主義のもとにおいてさえ,市民的不服従やほかの形態の介入的非暴力行動は,国家の内外いずれであれ,個人や集団に対する基本的人権の否定と侵略戦争やジェノサイド戦争の準備を前もって阻止するために時として正当かつ必要なものでありうる.


 市民的抵抗は ,世界のどの地域においても,人々にその日々の生活に影響を及ぼす問題に直接介入する手立てを提供する.それは,闘争がその目的を遂げた場合,明らかに民衆に自信を持たせる.しかし,たとえ成功しなくとも,また部分的にしか成功しない場合でも,集団行動をとる集団内に発生する団結した力は個人や集団の自信と自尊心とを増進し,草の根レベルでの民主的参加の新たな可能性を開くことができる.こうしてそれは,無気力やしばしばそれと取り違えられる無力感を矯正する手段として機能する.また,とりわけ比較的旧くに確立された民主政の場合,この二つ(無気力と無力感)はおそらくほかのどんなことにも増して市民的自由や政治への真の参加への重大な脅威を表しているだろう.(p.234,最終ページ.ただし斜体部分は訳書で欠けていたフレーズを転載者が追加.)
「無気力」は apathy の訳ですが,これは「無関心」の方が適切と思われます.「無力感」(sense of powerlessness)と対比されているので特にそうです.以下,原文を続けます.