この半年ほど,高校生と話をする機会が連続した.親戚や公的な場などいろいろだが,自分が映画が好きなこともあって,話題に映画を持ち出すことが多い.ところがこれが全くうまくいかない.相手が全く映画を見ていないのだ.たまたまあまり映画を見ない若者たちだったというのではなく,そこから映画を見に行く暇がないという高校生の実態が見えてしまった.(いわゆる進学校にほぼ限った現象ではあろうが.)

課外授業というのがある.これは昔からで,私が高校生だった頃も,高校3年で受験を控える季節になると,朝ゼロ校時に授業があった.夏休みも何週間か学校に行った.ところが今では,1年生も2年生も,朝も放課後も,そして夏休みもほとんど,これがあるというのだ.土日はと言えば,部活で全部つぶれ,結局個人で自由に使える時間はほとんどないというのが実態のようだ.

しかしこの「課外授業」というのはどうやら九州に特異な現象のようで,少なくとも東京近辺では見られない.つまり一般的な現象ではない.受験教育の問題が指摘され続けておそらく半世紀近く経つだろう.大学受験に関連しての高校教育への悪影響を全くなくすると言うことは不可能だろう.問題なのはその程度だ.九州の状況は明らかに常軌を逸している.それも程度において甚だしい.全く限度というものをわきまえないのだ.戦争中の,特攻隊や竹槍を考えた軍部にあったようなメンタリティー,そして「シカタガナイ」とこれに抵抗しない父母や市民.精神状況はかつての大日本帝国の頃と変わっていないように思われる.

保坂展人氏が昨日来ツイッターで教育問題に触れているが(http://twitter.com/hosakanobuto,21日午後のツイート),そのような全国レベルの問題からもさらに抜きんでた異常さが,九州という島では起きている.

─────────────
以下は,相手が映画を見ていたら使ったはずの,映画ネタの一つです.

先日の勤務校のオープンキャンパスで,末端の私の実験室までたどり着いてくれた3人の高校生に物理の話をした.量子力学の「粒子と波動の二重性」の説明をするのに格好の映画ネタがあった.数年前に公開された「カムイ外伝」の,主人公と海賊の頭領との決闘シーンである.

両者が分身の術を使い,数メートル離れた二つの場所で同時並行して(目にも止まらぬ速さの)斬り合いをする.そのあと,そのうちの一つで決着がついている,という場面だ.もちろん結果は主人公カムイの勝利である.これが量子力学の「物質の波動性」と「波束の収縮」にそっくりなのだ.むしろ作者は物理学のこの話にヒントを得たのではないかとさえ思う.

残念ながら,3人のうちだれもこの映画を見ていなかったので,このたとえで説明することは出来なかった.(もっとも,この映画が上映された頃は3人ともまだ中学生だった計算になるが.)

学科内のメディアにこのたぐいの話を書きました.
『波束の収縮』の謎への実験的アプローチ2021/2/19リンク更新