論点0 そもそも文部科学省にはこのような命令を発する権限がないので,提案自体を撤回すべきである. 文部科学省設置法第三条では,文科省の任務は,教育の振興と人材の育成などと抽象的であるが,同法四条が規定する「所掌事務」では,提案されている学習指導要領のように教育内容を規制する権限は明文的には認められていない.文科省としては,おそらく同条の九の「初等中等教育の基準の設定に関すること」を根拠としたいのであろうが,「基準の設定」という表現はきわめて一般的で,外形的なことに関する基準を超えて教育内容の基準まで設定する権限があるとは言えない.
「学問の自由」の観点からもこのような命令は違法である.初等中等教育といえども,その教育内容には最新の学問研究の成果が反映されなければならず,また教育は学問の再生産のプロセスでもある.そしてその学問に関しては,憲法23条で「学問の自由は、これを保障する」としている.これは,国家が教育内容にみだりに介入することは憲法上許されないことを意味する.
したがって,法規としての拘束力を持たせる意図で作られる「指導要領」に教育内容に関する事項を含ませることは,違憲・違法であり,そもそもこの提案自体を撤回すべきである.もちろん現行の「指導要領」も撤廃すべきである.
実際的な面でも,これまでの「指導要領」が子どもの学力を低下させる原因となるなど,その害悪が明白となっている.その愚を繰り返すことは止めなければならない.教育内容に関しては,法制上の本来のあり方に,つまり教師,父母,そしてそれぞれの教育委員会に任せるべきである.何らかの全国的な基準が必要だとしても,それは,これらの人々や団体の協議によって作られるべきだ.文科省はそのための会議室とコピーの機械を提供するだけでよい.
論点1 指導要領案は国家社会の「形成者」を育成するという観点を欠く 教育基本法第一条は,教育の目的として,「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して」行うとしている.国家社会の「形成者」という意味は,民主主義の観点からすれば,主権者とほぼ同義であろう.そのための資質としては,投票などの参政権だけでなく,意見表明の権利の自覚と能力,集会・結社の自由,表現の自由などの権利の自覚が重要である.子ども自身についてのこれらの権利は,
子どもの権利条約の12条,15条,13条が保障するところであるが,これらは当然教育内容にも反映しなければならない.
しかるに指導要領案では,もっぱら社会に順応するという側面のみが強調されており,そもそも「権利」という言葉自体がこの文書にほとんど見あたらない(道徳で「公徳心をもって法やきまりを守り,自他の権利を大切にし進んで義務を果たす」で1回,社会では単なる憲法の引用として1回だけ).
この観点は「社会」の教科でも強調されなければならないはずだが,例えばその第6学年の「目標」にはそれは全く見られず,もっぱら与えられた状況の受容のみが語られている.その第2項を引用する.
「日常生活における政治の働きと我が国の政治の考え方及び我が国と関係の深い国の生活や国際社会における我が国の役割を理解できるようにし, 平和を願う日本人として世界の国々の人々と共に生きていくことが大切であることを自覚できるようにする。」
他の項にも「主権者」という観点は見られない.
なお,別便の意見で述べたように,そもそも文部科学省にはこのような命令自体を発する権限がないので,提案全体を撤回すべきである.
論点2 「国語」,「社会」および「道徳」の指導要領案が子どもの内心の自由を侵し,違憲である 指導要領案は,これらの教科で「愛」という個人的,内面的なものに介入するなど,子どもの内心の自由に踏み込んでおり,したがって憲法13条(幸福追求権)と19条に違反している.
国語では,学年を通じての「指導計画の作成と内容の取扱い」の部分で,例えば「日本人としての自覚をもって国を愛し,国家,社会の発展を願う態度を育てるのに役立つこと」と,倫理的な意味で普遍的なものとは言えない特定の対象への「愛」を強制することにつながりかねない表現が見られる(20ページ).
社会では,例えば33ページで,「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」とあり,ここでは直接的に天皇への「愛」を生徒に強制している.
道徳では,たとえば106ページで,「すがすがしい心をもつ」とあり,直接的に心のありかたにまで介入している.
何を愛し何を愛しないかは個人の問題であり,個人の幸福追求の範疇である.「心」のありかたも同様である.これに国家が介入することは憲法13条に違反するので,これらの言葉を強制力を持つ法令に入れるときは,このことに十分な注意が必要である.ところが指導要領案にはそのような配慮は全く見られない.
なお,別便の意見で述べたように,そもそも文部科学省にはこのような命令自体を発する権限がないので,提案全体を撤回すべきである.
論点3 外国国籍の子どもの存在を無視している たとえば第1章「総則」で道徳教育に触れた部分で,「日本人を育成するため」とあり,また108ページ,道徳の第5,第6学年の部分では,「日本人としての自覚をもって世界の人々と親善に努める」とある.外国国籍の子どもには指導要領は適用されないのか,あるいはそのような子どもがいる学校ではこの指導要領そのものが無効とされるのか,不明である.
なお,別便の意見で述べたように,そもそも文部科学省にはこのような命令自体を発する権限がないので,提案全体を撤回すべきである.
論点4 文案作成者の国語力を疑わせる部分がある第1章「総則」で道徳教育の目標述べた部分を引用する.
道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,伝統と文化を継承し,発展させ,個性豊かな文化の創造を図るとともに,公共の精神を尊び,民主的な社会及び国家の発展に努め,進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。
この長い文章で,それぞれの要素の係り結びの関係を理解することはおよそ困難である.次のように表記を変え,それぞれの要素に番号を付けて分析し易くしてみる.
道徳教育は,
[0]教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,
[1]人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,
[2]豊かな心をもち,
[3]伝統と文化を継承し,発展させ,
[4]個性豊かな文化の創造を図る
とともに,
[5]公共の精神を尊び,
[6]民主的な社会及び国家の発展に努め,
[7]進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため,
[8]その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。
項目1から6までが7を修飾して7が8に係るのか[解釈A],1から4までは直接8に係り,5と6が7に係るのか[解釈B],それとも1から7までがすべて並列して8に係るのか[解釈C],この文章の形式だけからは判読不能である.解釈BとCでは8の冒頭の「その」は「それらの」でなければならない.しかしこのことから解釈Aを取れというのであれば,それはあまりに不親切と言うべきである.(項目0は全体の背景を述べた独立したフレーズであろう.)
このような悪文が教育の現場に,しかも教育の指針として持ち込まれるとすれば重大である.
なお,別便の意見で述べたように,そもそも文部科学省にはこのような命令自体を発する権限がないので,提案全体を撤回すべきである.