早く書かなければと思いながらついつい先延ばしになっていましたが,最も重要な,それこそ「アジェンダ・セッティング」に関わる点について簡単にまとめてみました.来年1月11日の共産党の大会まで20日余りしかありませんし,決議案への意見募集*の期限(12月24日)も迫っています.

 ただ,一般の人に読ませたいにしてはこの文書は長大すぎ,要約が必要と思われる今日この頃ですが —あ,すみません—— それにめげずに多くの人が意見を寄せられるといいと思います.同党への距離は様々でしょうが,この時期,重要な政治勢力に違いないこの党が最善の働きをしてくれるよう,どうか皆さんもなにがしかの時間を割いて下さい.
 * 募集要領など
[12月19日訂正] 当初の記事で「一般公募」と書きましたが,党員だけでした.どうもすみませんでした.でもこの「公開討論」以外なら,意見はいつでも受け付けていると思います.
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-11-17/2005111702_05_0.html
 決議案本体への入り口
 http://www.jcp.or.jp/jcp/23rd-5chuso/index.html
———————————————————————————————————————

       第24回党大会決議案への意見

                      yamamoto

1)ファシズム的状況という重大さの認識の問題

 現状分析の大筋や各論はよく書かれていると思うが,しかし現在が政治的に重大な転換点にあるという問題,それも戦後これまでのどの時期にもまして決定的かつ重大な性質のものであるという認識が見られない.それは,「ファシズム」という名前で呼ぶのにふさわしいような転換が起ころうとしている,あるいはすでに起こりつつあるという問題である.

 国会の翼賛化,メディアの翼賛化,ビラ配りへの弾圧,排外主義の強まり,それに,なによりも,小泉というカリスマ的リーダーの登場と,これだけの悪政にもかかわらず彼が未だに高い支持率を保っているという重大な事実がある.ヒトラーがユダヤ人を悪玉にしたように,「公務員」という悪玉も作られている.

 これらの兆候は,日本社会が,後戻りの出来ない変化,ファシズムという状態への変化の入り口にさしかかっていることを意味しているのではないだろうか.もしそうだとすれば極めて重大な事態であり,それにふさわしい危機感を持つ必要がある.しかし決議案にそのような認識は見られない.

 第一章の終わりに,「・・・矛盾を深め、どの分野でもいよいよ立ち行かなくなるもとで、いま日本の情勢は、大局的にみれば、国民中心の新しい日本への条件をはらんだ歴史的転機をむかえている」とあるが,逆の,上に述べたようなより悪化の方向への「転機」でも有り得るのである.つまり,貧困への不満などの国民の負のエネルギーが,社会の真の革新に結びつくのではなく,逆に,排外主義,ナショナリズムの推進力となりうることが懸念されるのであるが,それについての警戒が示されていない.一面的に楽観的な見方しか示されていない.

 森政権の末期に,同党の地方幹部が「自民党はもはやどうしようもない行き詰まり状態にある」というような趣旨のことを言われたのを記憶している.私は,楽観的すぎるのではないか,彼らは何らかの活路を見つけるかも知れないと思ったが,小泉が登場し,かつてない勢いで日本の反動化と対米従属化,軍事化を進めた.民主勢力は大敗北を喫した.あの時のような一面的な分析が繰り返されているように思える.

2)「九条」廃棄阻止の方策と展望が示されていない

 ファシズムへの転換と並行して,あるいは連係して進んでいるのが「九条」廃棄の動きであるが,この重大性の認識もさほどのものでないように思われる.このまま推移すればほぼ確実に九条廃棄が実現してしまう状況にあること,よほどのことをやらない限りこれを阻止することは困難だということをはっきり認識する必要がある.九条問題を中心に扱った箇所は3章の(10)節,マル1のロであるが,通りいっぺんのことが書いてあるだけで,上のような深刻な認識は見られない.そこに書かれたことをやって行くだけで改憲が阻止できると本当に考えているのだろうか.だれもそうは思はないだろう.だとすれば,決議案の提案者は本気で「九条」廃止を阻止しようとは思っていないと言わざるを得ない.

 国民投票で阻止できると思うのは楽観的すぎるだろう.おそらくその直前に,東シナ海で,あるいは国内で,国家間の小競り合いや「テロ」が演出され,つまり謀略が行われることは十分に予測しなければならない.それによって世論が操られてしまうという事態は十分に見込まなければならないと思う.つまり,何よりも国会で,議席で改憲勢力を追いつめることが重要なのである.この「一回戦」での相当な前進なしに阻止は困難だ.国民投票という「二回戦」に期待をかけることは,「一回戦」をみすみす不戦敗することにつながりかねない.

3)どうしたら国政を転換できるのか,何のための党か

 九条擁護においても,またファシズム阻止においても,死活的な重要性を持つのが二年後の参院選と,次の総選挙である.ここで自民党と改憲勢力を大きく追いつめなければならない.今回の総選挙の「健闘」の程度では負けである.共産党だけの議席増で国会の勢力を変えることは困難であり(それは「確かな野党」という標語で同党自身が認めている),特に衆院の小選挙区制度のもとで自民党を追いつめ,国政の転換を図るには,どうしても野党共闘,統一戦線が不可欠である.しかし,決議案にはそのような方向での具体的な方策は書かれていないし,その必要性にさえ触れられていない.これでは現実政治に責任を持った態度とは言えない.

 この決議案には,現状分析など正しいことがたくさん書かれているけれども,現実の政治を,しかも限られた時間の中で,どう具体的に変えていくのかという観点が欠けていると言わざるを得ない.要するに学会発表や学術論文のレベルである.学術論文は正しければそれでよい.しかし政治組織の方針であれば,限られた条件,資源,時間の枠の中で,どうすればこの社会の決定的な悪化を食い止めることが出来るのか,多くの国民に災いが襲いかかるのをどうしたら避けることが出来るのか,このことに対する処方箋を出さなければならないはずだ.九条問題にせよ,ファシズム阻止にせよ,それが見つからない.

 具体的な方策が書かれているのは,党の勢力を何とか維持して行くにはどうすればいいのか,ということだけではないのか.かりに党組織がそこそこ維持されても,社会が大転換を起こし,九条を失い,多くの国民に,軍国主義と「“新”“自由”主義」がもたらす災いが襲いかかるとしたら,一体何のための党なのか.

 分析が「正し」ければそれでいいのか,歴史の本に「共産党は正しい指摘をしていた」と書かれさえすればそれでいいのか.問題は「変える」ことではないのか,それが出来なかったら結局「役立たず」ということではないのか.決議案を読み終わって,このことを深刻に問い直して欲しいと感じる.