すでに20億人以上がフェイスブックを使っていることを考えると、人類の大きな一部がデジタル・コモンズへ足を踏み入れる準備が整ったとも言える。ただし本当の意味でのコモンズではなく、マーク・ザッカーバーグの所有下にある。
私たちはそれに大きな拍手を送ったわけだが、こういう反応の仕方については、そろそろ真剣に自己反省した方が良い。
アメリカでは今年になって「ビッグテックの文明化」という言い方が流行り始めた。フェイスブックのような企業をどう規制すべきかという議論だ。もし本気で企業を民主化し、企業の法外な権力を弱めたいなら、所有形態に注目する必要がある。つまり所有を分割し民主化するべきだ。
売買可能な株式を廃止し、株を図書カードのように扱えば良い。カードをもらい、それを使う。使い終わったら他の人に渡すか、あるいは返却する。就職や転職した際には、1票の投票権が与えられ、解雇の際にこれが失われる。つまり会社に勤めている間は一株一票を持てるわけだ。
市場はすばらしい。例えば、地元の直売所に行くと、そこには20軒ほどの店が並び、自分が持つ選択の力を実感できる。「市が立つ日」を通して市場価格が変動し、売れ残った商品は廃棄されていく。荒々しくも陽気で活気みなぎる場、まさに共同体だ。
例えば、トマトを育てて売れば資源を効率よく活用できる。
だが、ここで問題がある。多くの人が資本主義と市場を混同しているのだ。事実は異なる。
トマトの市場は、デリバティブや通貨の市場、ウオール街やアマゾンのような場とは本質的に異なる。
アダム・スミスは市場が持つ自由の力と効率の高さを激賞した。同時にスミスは、株式を公開している会社、すなわち匿名の株主が会社を所有することに猛反対した。資本主義の守護聖人と名高い人物が現代における資本主義に真っ向から反対していた事実は興味深いだろう。
スミスが反対した理由は、株式は匿名で取引される流動的な通貨となり、いずれ集中が進んでしまう。まさに現代の状況。ニューヨーク証券取引所に名を連ねる全企業の9割が、たった3社によって、ブラックロック、ステート・ストリート、バンガードによって所有される事態が起きている。アメリカのこのような状況は市場にとって有害であり、もはや市場資本主義ではなく独占資本主義だ。
金融市場と労働市場を、すなわち資本主義そのものを既存の体制から取り除いた場合、アダム・スミスが思い描いたような共同体市場にはるかに近い市場が生まれる可能性がある。それは先ほどの直売所のような市場で、競争のもとに機能する。まさに「人民の、人民による、人民のための市場」だ。
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