7月16日に代々木公園で開かれた『さようなら原発10万人集会』を同日夜9時のNHKニュースは,開始20分経過後,いわき市の「海開き」の後に70秒ほど扱った.はじめに20秒ほどデモと集会の映像を流し,これをフォローする形で大越キャスターは「野田首相も脱原発依存の旗は掲げていますが,具体的に原発の割合をどの程度にするかは,国民的議論にかかっている」と続けた.このあと,例のいかがわしい「意見聴取会」の映像が流れる.つまり,「デモの人は脱原発を言っているが,政府も同じことを言っていて,問題はどの程度減らすか,である」というメッセージを勝手に付け加えたのである.

デモ参加者の主張は,そのスローガンやシュプレヒコールのとおり,「原発反対・再稼働反対」である.程度問題などではないのだ.再稼働反対は原発即時ゼロを意味する.

原発の比率について国民から意見を聞くというふれこみの「意見聴取会」は,電力会社の社員や幹部の発言者「当選」,そして発言と,またまた昨年の「やらせ」を彷彿とさせる展開を見せている.しかしこのイベントと「パブコメ」は初めからプロパガンダそのものだ.

まず,選択肢に「即時ゼロ」を選択肢から排除し,「ただちにゼロなどあり得ない,非常識」という暗示メッセージが込められているという点で,そのプロパガンダ性が明白だ.10万を超えるデモ参加者の多くにとっては初めから選択肢がない.

「意見聴取会」の発表者選びも恣意的そのものだ.経産省(?)が勝手に作った選択肢ごとに3人を割り当てると言うのでは,発表者を国民から公平に選ぶどころではない.原発維持派を重点的に選ぶことになる.だから電力会社の社員が選ばれることになるのだろう.

脱原発を「時間をかけて」達成するというのは非現実的だと思う.再稼働が進み福島の惨事も「のど元過ぎる」頃,原発勢力は本格的に息を吹き返し,メディアを動員しての国民洗脳にかかるだろう.そうすれば元の木阿弥である.現実的な道筋は,再稼働を阻止し,大飯も止め,そのまま廃炉に持って行くことだ.これは電力会社は(短期的な)経営の観点から容認できるものではない.したがって脱原発は電力業における「革命」として実現するほかに道はないと思われる.

昨日(16日)の集会に参加した音楽家の坂本龍一氏は,“Keeping silence after Fukushima is barbarian. ”(福島の事故後も沈黙しているのは野蛮だ)と述べた.キング牧師の「究極的に悪いのは悪人の残忍さではなく,良識ある人々の沈黙である」という言葉と似ている.