SSブログ

「暴政のデパート」への対処 — 「反戦情報」への寄稿 [社会]

山口で出版されている月刊情報誌「反戦情報」6月15日号に掲載された拙稿を転載します.
--------------

「暴政のデパート」への対処
 — 5・27さよなら原発 佐賀集会に取り組んで —

佐賀で大規模な脱原発集会
大飯原発の再稼働をめぐる状況は,今日現在まさに緊迫している.ほぼ1年前の6月29日には,当時の経産相の海江田氏が佐賀県庁を訪問し,玄海原発の再稼働を古川知事に要請した.これに前後する「佐賀の熱い夏」の闘いは菅首相(当時)の「ストレステスト」発言につながり,再稼働は阻止された.今まさに始まった「大飯の熱い夏」は,ネット上では国際署名の情報も飛び交い,地球規模になりつつある.

佐賀では5月27日に,全九州に呼びかけての大規模な脱原発の集会とデモが取り組まれた.筆者は実行委員として,またその事務局の一員としてこれに加わったが,昨年の再稼働阻止の闘いにも増して幅広い人たちが結集した.中心になったのは福岡市の九電本店前テント村の人たちで,「外人部隊が佐賀に乗り込んできた」という印象もなくはない.佐賀初の「サウンドデモ」という形態が中心街目抜き通りで展開されることにもなった.しかし集会・デモの「輸出」は悪いことではないし,むしろ運動圏での文化交流として大いに意味のあることだろう.それに「外人部隊」とは言うものの,実行委員会は佐賀市内で開かれ,多くの佐賀県民が出席している.私自身も職場は佐賀なので「地元民」である.

参加者数は全九州から2,500人ほどと推定され,佐賀では近年にない大規模なものとなった.デモも3つに分流し,メインの中央通りコースは私がいた最前部から最後尾を見通せない長さで,警察もデモ隊ではなく交通の方を大規模に規制していた.そのためデモが信号で分断されることもほとんどなく,開放感あふれるパレードとなり,沿道のビルの窓からも声援が送られ,車の中から手を振る人も見られた.先導するのが少し派手な扮装の「宇宙人」というのも洒落ている.「宇宙人から見ても原発は理不尽」なのだそうだ.

残念なことに,私の印象では,この集会への地元からの参加者の数は従来に比べて大きくは増えていないように思える.私の職場である佐賀大学にしても,同僚や学生の姿を会場では全くと言っていいほど見かけなかった.大規模なため巡り会うチャンスがなかったのかも知れないが,しかし職場にもどっても参加したという話を聞かない.組合がチラシを全学に配布してくれたにもかかわらず,である.従来の市民運動に比べれば大きく盛り上がっているとは言え,参加者は市民全体からすればやはりごく一部の人たちに留まっている.

学生は原発支持派が多数?
原発問題への関心ということで特に失望させられるのが学生の状況だ.私が担当する理工系の選択の授業で原発や再稼働の賛否を訊いたところ,一般の世論調査の結果とは逆に,どちらも圧倒的に賛成・肯定派が多数だったのだ.原発の再稼働の賛否は25対9,原発を続けることにも25対7(無回答2)と,いずれも74%が賛成であった.

その授業というのは原子炉の物理に関するものだったので,このような授業を選択するくらいだから原子力(核エネルギー)利用についてもともと肯定的な意見を持っているためかとも思ったが,そうでもないようだ.このアンケート形式の調査では,その時の原発の状況についての知識も問うた.それは,(1)4月現在「再稼働」が問題になっている原発の名称または場所と,(2)国内で稼働している原発は何基かの質問だ.前者は当然大飯原発,後者は泊原発の1基が正解だ.もし原発に関心があるとすれば,これらは知っていて当然と思われるが,しかしそうではなかった.1で正解は15%,2で正確に1基と答えたのは12%にすぎない.つまり,このような「なんとなく原発支持」という傾向は,若者の,少なくとも佐賀大学の理系学生に一般的なものかも知れない.

このアンケートでは日常依存するメディアの種類も答えてもらっていたが,これと原発への態度の相関について興味ある結果が得られた.上記のように原発肯定派が多数ではあるが,日常の主な情報源としてテレビを1位に挙げたものとネットを1位に挙げたものとではっきりと差があるように思える(もう一つの選択肢は新聞).つまり再稼働と原発継続の両方で,後者(ネット依存者)で反対の割合があきらかに多いのだ.テレビ依存者では再稼働と原発継続に対する反対派がそれぞれ22%と9%に対し,ネット依存者ではこれが36%,46%となっている.テレビが100%受け身なのに対し,ネットでは自分から積極的に情報を取りに行かなければならない.つまり情報に対し能動的な人ほど原発に対して否定的であると言えるかもしれない.ただサンプル数が少ないのでどの程度「有意の差」と言えるかはよく分からない.

もっとも,ネットを1位に挙げたのは32%で,テレビ依存が圧倒的である.新聞を1位に挙げたものは一人もいなかった.選択肢には「ケイタイ」も付け加えるべきだったかも知れない.ケイタイに流れる簡単なヘッドラインだけで世の中が分かったつもりでいるかも知れないのだ.原発のことに限らず,学生たちは世の中のことに非常に疎いように思われる.はっきり言えばあまりにも「幼い」.当然政治にも関心が極めて低い.権力者にとってこれほど支配しやすい国民はいない.はたして私の見方は「近頃の若いものは」という老人にありがちなステレオタイプかどうか,同僚や,若い方々自身の検証をお願いしたい.

大人たちの政治的能力は?
大学の教職員は,学生とは違ってもちろん新聞も読み,社会のことはよく知っているはずだが,政治的能力はやはり大きく低下しているのではないか.福島原発事故に多くの人が今なお苦しめられ,被ばくも受け続けていると言うのに,人々の関心と行動とはこれに見合ったものとは到底思えない.組合運動もパワーを抜き取られていて,復興財源と称して国家公務員という特定の職業グループから給料を抜き取る,つまり無法な課税というべき給与減額にすら国公労は抵抗できていない.国公労が労使の当事者間での解決を避け,裁判に持ち込むという形になったのは情けない.

国家公務員だけではない.国立大学職員も同様の名目で無法課税ないし国家への強制カンパをさせられつつある.4月から信州大学など3つの大学で,5月からは佐賀大学でも給与が大幅減額された.国立大学は数年前に「法人化」され,職員は「民間人」となり労働基本権を持ったはずだが,抵抗らしい抵抗は見られない.国家公務員同様,給与の原資の大半が税金のため,このところの公務員バッシングにあらかじめ恐れをなし,萎縮しているためだ.しかしこのような姿勢は社会にはびこる無法な劣情をますます増長させ,組合は際限なく後退させられて行くだけである.賃金も守れない組合は存在意義を失い,解体していく危険さえある.

このような状況に至った大きな責任はそれぞれの組合のナショナルセンターにあるだろう.国公労のことはよく分からないが,国立大学の組合についてはまちがいなくそう思う.単位組合の執行部はいわばアマチュアで,東京のプロが指導しなければ運動は成り立たない.しかしそのプロが組合運動のベーシックスを見失っているように思える.つまり,組合運動のような大衆運動のエネルギーというものは,運動そのものによって生成するものであって,運動する分消耗するというものではない.運動の展開というものは,そのような,高度に非線形な力学に従うものだという基本則を忘れているのではないかと疑っている.今回の給与減額を受けての職場集会で,執行部はストを初めから除外すると言ったのだが,私はこれが東京の方針ではないかと疑っている.

橋下徹に代表される公務員バッシング現象,そして最近では生活保護受給者バッシングなど,特定のグループを攻撃対象にする「劣情の動員」は,ナチス政権下でのユダヤ人への攻撃を連想させる.理不尽なバッシングに正面から立ち向かわないことは同種の劣情をはびこらせ,ファシズム成長のための燃料補給を許すことになるのだ.
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0