ブログ「今日の出来事」が,教基法敗北後のブログの論調に多く見られる楽観論を批判している.
http://lin-fc3.dyndns.org/top/cgi/archives/2006/12/post_40.html
私も全く同感だ.はっきりと大敗北と認識せず,「転進」というような類の言葉で粉飾する大本営発表の文化が今日の左翼・リベラルに引き継がれるようでは困る.それだと次の闘いも必ず負ける.

「かつてない盛り上がり」と評価する向きもあるが,教育委員の公選制廃止の時に比べれば雲泥の差のようだ.あの時は,全国津々浦々,教育委員会も,校長も,PTAも挙げて反対したらしい.それでも強行されているのだ.今回は,校長と言っても,情けないことに表に出てくるのは「元」校長ばかりだった.

相当に落ち込んでいる気分という境界条件で,とりあえず今回のことについてメモを取っておきたい.

「冬来たりなば春遠からじ」という言葉があるが,確かにいつかは春が来るだろう.しかし社会現象の時間的周期は決まっているわけではなく,いつ「春」が来るかは予測できないし,「冬」がどんなに厳しいかも分からない.極端な話,全面核戦争が起きても人類は死滅せず,生き残るだろうし,そのあといつか「春」が来るだろう.しかしその際,人類という種は「ボトルネック」という大変な経験をしなければならないだろう.つまり大半の人々は死ぬということだ.私も,このブログを読んでいるあなたも恐らくあの世に行った後の世界での,「種」としての生き残りというシナリオについての話だ.運良く生き残りメンバーに選ばれたとしても,家族や友人のほとんどは死んでいる.生き残った人が経験するのはそのような過酷な生である.

要するに,ことの重大さに気付いている人の使命は,この「冬」をどのくらい和らげることができるのか,ということである.わが国にとっての当面の問題は,全面核戦争の危険もさることながら,最大の焦点は九条喪失という「冬」を避けられるのかどうか,ということだ.

批判は,まずはやはり最も信頼すべき政党と機関紙から始めざるを得ない.今日12月17日の「しんぶん赤旗」の一面トップには「未来は渡さない 改悪教基法 運動 数カ月でガーッと」という見出しで,いろんな人の「元気の出る」ような発言が紹介されている.それはいいとしても,最後の締めくくりが「たたかいのこれからを考えます」というのはどうか.その前に,「これまで」を深く見つめ,有用な情報をまとめておくことではないのか.「総括」という言葉が廃れたからと言って,それに相当する作業までが不要になったわけではない.それとも,その作業は「これから」を考えるプロセスの中で必要に応じて,というつもりなのだろうか?

あるいは,これがもっともありそうなことだが,「阻止するためには何が必要か」という観点からの方針を持っていなかったのではないか.民主党までが改正派の国会で,擁護派は圧倒的少数だ.ふつうの闘い方では全く勝算がない.それでも勝ち抜く,つまり改悪を阻止するためにはよほどの決意と,奇策も含む戦略と戦術,それに想像力が必要だったはずだ.このような意味においてどのような「方針」を持っていたのか,それが問題だ.それがなかったのではないか,私はそう疑っている.

「有用な情報の抽出」,つまり教訓,つまり「総括」について,あるいは今風に「自己点検・評価」と言えばいいのだろうか,とにかくいくつか羅列して見たいと思う.

1)戦略・戦術に責任を持つべき「プロの組織集団」が存在したか?機能したか?
最近の多くの運動と同様,多くのアマチュアの集団が前面に出てで闘った.政党がリーダシップを取るというスタイルが旧くなって久しいし,一般にはこれは悪いことではない.しかし,大きな,今回のような「天下分け目」の政治闘争では,プロの組織集団が存在し,センターの役割を担わなくてはならない.それは政党と,今回の場合は教員組合だろう.これらが十分にその責任を果たしただろうか?前置きに書いたことの繰り返しになるが,「本当に勝つためにはどうすべきか」という観点から,あらゆる検討を行って戦略・戦術を立てただろうか?また,時々刻々,人々から新しく提起される戦術,戦略に機敏に反応し,資金と資材,それに人材とを供給しただろうか?

政党では,これまた繰り返しになるが,組織力と,この問題での原則的態度という点で,共産党にその第一の責任がかかっていたと思われるが,それに十分応えただろうか?組合では,ぐらつく委員長をかかえた日教組より,全教が原則的態度を貫けた組織だろうと思うが,そこの指導力はどうだったか?「せいいっぱい頑張るという態度」に終わったということはないのか?私の印象,疑念は,「せいいっぱい」主義ではなかったのか,というものだ.(もちろんたくさんの個人が「天下分け目」と認識し,必死で闘ったことは言うまでもない.)

この問題で原則的態度を取ったのは共産党と社民党だけだが,これらの党の議員や幹部にとって,教基法問題がどのように位置づけられていたのだろうか.「天下分け目」という認識があったのだろうか.これらの人々にとって,国会で敗北することはいわば日常となっているわけで,日々患者の死を看取る末期ガン病棟の医師のようなものだ.そのようなことを日常とする人は,それに慣れざるを得ない.これは人間としてやむを得ないことだが,その「慣れ」の範囲で,この問題に対応したと言うことはないのか.それを突き破るのは外部からの刺激だが,それが十分に届いたのだろうか,あるいは必要な刺激を与えたのだろうか?

もはや中盤とも言える九条擁護の闘いであるが,もし政党が上にのべたような役割を果たさないならば,そのための中枢が別に形成されなければならないだろう.アマチュアの集団ではなくプロの集団として.

以下,個別の戦術面について.
ポジティブな面はいろんな人が述べているので,ここではあえてネガティブ面に焦点を合わせる.つまり「敗因分析」である.

2)メディア戦略がほとんどなかった.テレビの影響力に対する運動の側の感性が弱い.テレビ意見広告が禁じ手であったとしても,本や集会のCMなどの形でテレビメディアに進出することは可能だったのではないか.メディアに対する要求のしかたが余りにも控え目過ぎる(テレビ局へのデモも考えるべき).これはメディア関係者と連帯することと決して矛盾しない.

3)ネットメディア戦術に関しても,運動の終盤でようやくその端緒が見られた程度である.技術と手段はすでに存在していたので,これも全く出遅れだった.

4)パワーと浸透力のあるキャッチコピーが出なかった.(最新号の週刊金曜日で佐高氏が指摘している*.)優秀なコピーライターを雇うべきか,一般公募で掘り起こすべきか.

5)美術系アーティストの運動への参入が少なすぎる.例えば,ネット上で「司令塔」の役割を担った「情報センター」は,コンテンツは優れているがデザインがひどい(「あんころ」はかなりまし).映像系,文字系(コピーライターなど)に関しても同様.

6)問題の国際化に失敗した.日教組の委員長は「教育インターナショナル」(EI)の事務局長に連帯の挨拶をしてもらったと言うが**,一次資料である法案も読まずにどうして「連帯」できたのだろうか,それともEI事務局長は日本語が読めたのか?法案の英訳さえなされなかったのはお粗末の限りである.(九条問題に関しては,再来年にピースボートが中心になって国際会議を企画するなど,この点では進んでいるが,再来年では遅すぎるという気もする.)

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とりあえず今日はここまで.数日間は思い付いたことをこのurlで追加,修正します.

* 「週刊金曜日」12月15日号,11ページ.
** 同上,8ページ.