「世に倦む日日」の「街宣テンプレート」をまねて,「教基法問題での教授会演説テンプレート」と言うのを作りました.まず前書き.

教基法改悪を阻止するには,組合などの声明だけではだめで,「ユネスコ高等教育世界宣言」の2条b項によるまでもなく,是非とも公的機関が発言する必要があります.

大学教員にとっては,その主要な場は大学の教授会です.そのためには,誰かが口火を切って発言しなければなりません.「忙しい」というのは理由にならないでしょう.教授会の間は少なくともそこに座っているのですから,ほかにすることもありません.このことで大学が発言しないとすれば,歴史は,その大学の総合評価を「零点」とするかも知れません.

多くの場合,教授会声明を出したりすることまで行くのは困難でしょうが,しかし言い出しっぺがいなければはじめから可能性はゼロです.宝くじと同じで,ほとんど当たる可能性はないが,「買わなければ絶対当たらない」のです.発言しても無視や沈黙しか返ってこないにしても,やるべきです.たとえば以下のような趣旨の演説が100の教授会でなされれば,そのうち1つぐらいは何らかの形のあるものにつながるのではないでしょうか.

教授会で議論になりにくいとすれば,たとえば教育学部の専門家などを講師にした学内セミナーのようなものを,公的行事として--「公的」というとこがポイントですが--開くべきでしょう.

以下は,先日の教授会で私が発言したときのメモを文章化したものです.「テンプレート」になるかどうか分かりませんが,ご参考にしていただければ幸いです.どなたか改良版を作って下さることを期待します.論文ではだめです.今必要なのはアジ演説です.
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「戦前責任」が問われる時代
  ---教育基本法改正問題での大学の不作為は負の「社会貢献」---

国会で審議されている教育基本法の改正案は,当然のこととして大学教育にも根本的に影響し,大学とその職員が無関心でいることは許されません.大学の場合は,単にみずからの職場に関わると言うだけでなく,教育機関の中でも総合性と集積性を備える機関として,教育界全体に与える影響も大きく,それだけ責任が大きいと思われます.したがってそのような機関の沈黙は,将来「不作為の責任」を問われることが懸念されます.

教育基本法の改正案の内容は,政府案のみならず民主党案も,現行教基法において「民業」,つまり民のなりわいとされる教育という活動を,「官業」,つまり国家的に統制される活動に変えようとするものです.数多くの徳目を法律で強制しようとしていることからもこのことは明らかではないでしょうか.これは戦前の体制への逆行であり,全体主義国家,思想統制国家への道です.端的に言えば日本の「北朝鮮化」です.現在の北朝鮮は,日本の過去を,そして悪くすると近未来を映す鏡です.

一見一般的,普遍的に見える徳目でも,公権力の強制力によればどのような変質も可能です.これは,東京都に突出してみられる,中世の「踏み絵」の再現と言うほかはない日の丸・君が代強制の異常さからも明らかです.教基法改悪の未来がここに見えます(このような強制を「特別な人たちだけに向けられたもの」として容認するならば,その強制は社会全体を覆うようになるでしょう).そしてこのようなイデオロギー運動の目指すものが何かは,想像力を少しだけ働かせれば誰にでも明らかです.すなわち国家・社会の軍事化です.

アフガン戦争やイラク戦争の目的とされたものが全くの虚偽であって,これらがあきらかに戦争のための戦争であったことは今や明かです.日本の航空自衛隊は未だにそのような戦争の手伝いをやっています.教基法の改悪は,ブッシュの,アメリカの戦争にわが国が本格的に関わっていくための思想的な準備ではないでしょうか.これは私の誇大妄想なのでしょうか.いや,決してそうは思いません.なぜなら,アメリカはずっと昔から,数年に一度は戦争がないと経済が回らないような軍事化した経済になっており,そして日本のあらゆる面での対米従属ぶりは多くの人にとっての常識です.そして「ミサイル防衛」への参加などで日本も経済の軍事化への道を歩もうとしているのではないでしょうか.

戦後生まれの私たちには先の戦争への責任はありませんが,これから起こるかも知れない戦争には十分に責任があります.そのような「戦前責任」を問われる時代にすでに入っていると思います.前回とは違って,今度は十分に言論の自由が保障された中での責任ですから,私たちの父母,祖父母の世代のような言い逃れは出来ません.

改正案の内容について吟味し,教授会として何らかの発言をすべきです.このような提案に対しては常に,(自分の大学が,教授会が)「突出するのはよくない」とか,「文部科学省からにらまれて将来不利な扱いを受けるのではないか」などという「慎重論」が出されます.しかし将来の戦争というリスク,子や孫たちが戦火に怯え,兵隊に取られるという巨大なリスクに比べれば,それらの「リスク」が一体どれほどのものだと言うのでしょうか.

大学は様々の社会のセクタの中でももっとも自由にものが言える機関のはずです.そのような機関が発言しなくて一体だれが発言するのでしょうか.また,国会で審議が行われている今でなくて,一体いつ発言するというのでしょうか.

「この問題はよく分からない」という声も聞かれますが,教育学会歴代会長の声明や弁護士会の声明など数多くの警告が出されているのですから,知ろうと思えばいくらでも情報は得られます.これらの警告に注意を払わないというのは怠慢ではないでしょうか.
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関連リンクなど
「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」による,現行法と対比しての政府案の批判
http://www.kyokiren.net/_recture/date060428.pdf

教育法学会の会長声明
http://homepage2.nifty.com/1234567890987654321/kyokihou.index.htm

「教育基本法 第十条の条文の成立過程」
http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/Education/edulaw-art10.html