2015.9.25追記:コメント欄,私の5番目のものに「この運動のアイデアのもとになっているのは,岩波書店「世界」2005年11月号に掲載された千葉大学の小林正弥氏の論文だと思いますが,これを次に転載しています」とあり,その後のリンクが切れていますので修正します.次をご覧下さい.
「オリーブの木」方式の平和連合の提唱
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2006年5月20日の「しんぶん赤旗」に,「参院選での『平和共同候補』を求める運動について」という文章が掲載された.これについて一刻も早く書かなければと思いながら,記事から20日以上も経ってしまった.実は掲載当日は気づかず,「ある国際人権派の雑食系ブログ」さんの「改憲阻止のための選挙共闘に消極的な日本共産党」というエントリーを見て,あわてて新聞を探し出した(もちろん上のようにウェブ上にもあるが).

さてこの文章だが,単なる報道ではなく明白に評論文であるのに,署名がない.ということは,デフォルトすなわち新聞の表題のすぐ下にある「発行所」つまり中央委員会の意見ということになるのだろうか?もしそうならば,つまりこれが日本共産党規約第十七条第一項に言う「党の全国方針」という性格を持つならば,即,党員はこれに対して批判的な意見を公表出来なくなる.

第十七条 全党の行動の統一をはかるために,国際的・全国的な性質の問題については,個々の党組織と党員は,党の全国方針に反する意見を,勝手に発表することをしない.
 地方的な性質の問題については,その地方の実情に応じて,都道府県機関と地区機関で自治的に処理する.

しかし今という時代は,かつて「プラウダ」の「無署名論文」なるものが幅を利かせ,世界中の左翼に絶対的な支配力を持ったような時代だろうか.もちろん政党である以上,中央集権的な支配と統制は当然のことだが,もしこれが全党を縛るような重要な決定ならば,当然,「中央集権」の前提となる事前の党内の民主的議論を経た意志決定という手続きが不可欠だ.しかしこの問題でそのようなプロセスが取られた形跡は見られない.だからこの文書は規約第十七条の対象外と思われ,党員ブログも是非フリーハンドで議論をしてもらいたいと思う.

さて肝心の内容だが,要約すると,「平和共同候補」運動は,市民運動による無原則的な政党への介入であり,憲法改悪反対闘争において「選挙共闘」しか視野に入れておらず,事実上,特定政党の応援団という疑念がある,というものだ.かといって,ではどのような憲法改悪反対闘争をやれば勝てるのか,という方針や展望が示されているわけではない.選挙共闘にかんしても,「国政選挙での共同を実現する条件——政策的一致と共闘の意思をもった政党は存在しない、という判断をしています」で終わっている.結論らしいものは,第三パラグラフの最後の,「いま,憲法改悪反対の運動を発展させるためになによりも必要なことは,『選挙共闘』問題などではなく,広範な国民各層のあいだで憲法改悪反対,憲法擁護の声を広げることに可能なあらゆる努力をつくすことではないでしょうか」というフレーズだ.要するに「がんばりましょう」としか言っていないのだ.「平和共同候補」運動が戦略・戦術上の具体的な提案をしているのに対し,これでは全くお話にならない.

また,この文章は非常にアンフェアな議論の仕方をしている.公開されたこの運動の正式のマニフェストである「2006平和への結集の訴え」という文書には一言も触れず,批判の対象は,もっぱら,この文章の読者のだれも検証することができない,この運動の代表者たちの記者会見での片言隻句である.もし読者がこの文章を正確に検証したいと思ったなら,この記者会見に出席した人々から「取材」するほかはない.どこかのグループの私的な内部文書としてならともかく,このような文章が公的な議論の対象となりうるはずがない.このこと一つを取ってもこの文章は無価値と言わざるを得ない.

しかし残念ながら,少なくない「しんぶん赤旗」の読者や党員は,この文章を「党の全国方針」と受け止めてしまうかも知れない.そう考えると「無価値」と決めつけるだけではすまず,有害な影響を及ぼす恐れが大きい.

「九条の会」もそうだが,共産党が次の参院選を改憲阻止運動の中にどう位置づけているのかが不明である.末尾の,「大変重要な意味をもちます」では何も言わないに等しい.この点で「平和共同候補」運動は明確な提案をしているのだから,共産党は「可能なあらゆる努力をつくす」などとはぐらかさず,国民に,あるいは改憲を憂慮する人々に,明確な説明責任を果たしていただきたい.護憲派が国会で3分の1を占めなくても九条を守る展望は十分あるというのなら,はっきりとそうと言ってもらいたい.私も含め多くの人々は,それはきわめて危険だと思っている.この点での公然たる議論が不可欠である.