木曜夜は,博多座でミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」を観た.名前だけは知っていたが,フライヤーによると世界各国で3千万人以上の観客を動員したとあり,超人気の作品のようだ.

ロシア帝政下のユダヤ人一家の物語である.牛乳屋のテヴィエ夫妻には5人の娘がいるが,上の3人の「しきたり」に反した恋と結婚をめぐる,親と娘たちとの葛藤と愛が描かれる.二番目の娘の相手はキエフから来た学生で,革命運動と関わり,シベリア流刑になってしまう.そしてこの一家自身と,一家が住むユダヤ人地区の住民全員に,さらにつらい運命が・・・.

「ユダヤ系の人たち」の苦難を描いているが,もちろんこのカッコの中はいろんな人種や民族,社会集団と「互換性」があり,その意味で普遍性を持つ物語である*.すぐに連想するのは,ユダヤ人国家イスラエルによって強制移住させられたパレスチナ人のことだ.あるいは日本なら,たとえば在日コリアンの人たちのことが,あるいは北朝鮮によって拉致された人々のことが想起される.この作品を見る人はすべて --それぞれの国の政府で権力を揮っている人も含めて-- ここで描かれたユダヤ人たちに同情し,迫害をするものに対する義憤を持つだろう.しかし上に述べたような「普遍性」に思いを巡らせる人はどのくらいだろうか?9割だろうか,それとも6割?そしてその普遍性の広がりはどのくらいだろうか?

テヴィエ役の市村正親の演技はうまく,また役者たち全員の熱演を大いに堪能できた.当たり前のことながら,実際に多数の生身の人間が長時間にわたってステージを動き回り,声と体で目いっぱい表現し,一つの世界を作り上げていく.めったに舞台を見ることがない私にとっては,その迫力はすばらしかった.

地元に住んでいるのに今回が初めてだったが,劇場もとてもよい.気取った高価なレストランだけでなく,中で弁当を売っていたり,持ち込み自由の休憩室があったりと,いかにも庶民的なムードのロビーである.
(この作品は1月27日まで上演)
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* このような,一つの例題から,同型,相似形の状況や問題に対して「応用」の想像力を欠く人のことを,私が教わった中学の国語の先生は,「電線が切れている」と表現した.


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