広島G7の評価はとりあえず他の論者に任せることにして--例えば日刊ゲンダイ22日「これじゃあロシアに“宣戦布告”同然だ 岸田サミット あらゆる面で『ヒロシマ』を冒涜」
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G7首脳の原爆資料館訪問は40分だったと言うことで、展示をある程度じっくり見たでしょう。彼らが人間的な感性を曇りなく働かせていたならば、国に帰ったらすぐに核兵器禁止条約への署名に向けて動くはずです。その感性・感情のスイッチはどのように切られているのでしょうか。それでも、いつかはそのスイッチが入ることにわずかな期待をします。もちろん世界中の市民運動と世論の圧力次第です。

原爆投下によって日本が降伏した、という見方がアメリカ側の正当化の理屈で、日本でもまだその見方が主流なのかも知れません。しかし日本への原爆投下の容認は「ハイドパーク覚書」(右の写真*.末尾にテキストと日本語訳)という米英の秘密協定にあります。これは1944年9月、ルーズベルトとチャーチルによる「原爆は日本人に対して使うことになろう」と合意したもの。(* 小西誠氏のフェイスブック記事から拝借)

日本の降伏を決定づけたのはソ連対日参戦というのがむしろ有力な説ではないでしょうか。立命館の藤岡惇氏は「ソ連参戦と天皇制存置の口約束の組み合わせ」という説を述べています.
「原爆投下と敗戦の真実
― 米国の「アメとムチ」作戦の全貌―」
https://core.ac.uk/download/pdf/60552323.pdf

長崎原爆投下の後も、私の久留米市(8月11日)ほか、幾つもの都市に空襲が行われています。8月10日以後の日本本土空襲をwikiから拾ってみます。

10日 花巻空襲、熊本空襲/12日 阿久根空襲/13日 長野空襲/14日 岩国大空襲/14日 山口県光市 光海軍工廠空襲/14-15日 熊谷空襲,伊勢崎空襲,小田原空襲,土崎空襲.

「戦争を終わらせた」はずの原爆の後に,これだけの空襲というのは,おそらく爆弾の在庫一掃をやった、ということでしょうか?

次に「ハイドパーク覚え書き」のテキストと訳