当ブログで再三紹介しているSW Leslie氏の,"The Cold War and American Science" という本ですが(例えばこの記事),全部の粗訳が終わりました.今回は,その最終章の冒頭2ページの訳と,残りの部分の抜粋を紹介します.(2020年6月18修正~主に下線部分
2021年1月、翻訳・出版しました。→緑風出版のサイト

9章 審判の日々:3月4日と4月3日

MITの教員メンバーは,1969年1月にストライキを呼びかけた.MIT自身へのストライキではなく,むしろ「米国における生活の中の科学と技術のいまの役割に関連した問題と危険について公開の討論」を誘発することをめざしたシンボリックな意志表示であった.いつものように仕事をする代わりに,同僚や学生たちに科学の利用や悪用について,その1日,深く考えることを強く勧めた.3名の学科長を含む,科学者と工学者である48名の教員が「3月4日声明」に署名した.(右の写真のキャプション:ケンプリッジ警察が反戦活動家を排除するのを眺める機器研究所の職員.警察はデモ隊をすぐに追い払ったが,シット・イン,ティーチ・インや同様のイベントは,MITとそれに率いられる軍事資金による研究に国民的関心を集めた.)