東大教授・井上達夫氏による「憲法の涙」というタイトルの本がある.今年3月に出版されている.タイトルの由来は,改憲派からも護憲派からも憲法が無視されているということから来ている.改憲派による憲法無視は今さら言うまでもないが,護憲派からの無視とは,「集団的自衛権」は違憲として反対するが,自衛隊は事実上認めており,これも解釈改憲である,というものだ.
九条に関する井上氏の結論は,ひとことで言えば九条をまるごと削除せよということだ.軍備に関する問題は政府の政策レベルの問題で,憲法に書くべきではないというのだ.つまり彼は正真正銘の改憲論者である.憲法と現実とを一致させることを最重要と考え,戦争と平和の問題よりも優先しているかに見える.九条の裏には中国はじめ東アジアの人々の,そして日本の民衆の多くの失われた命があるということは,氏にとっては大したことではないようだ.日米安保に関しては,アメリカの侵略性をイラク戦争などの例を挙げて十分認めているにもかかわらず,東アジアにおいては完全に防衛的であるという前提で議論している.
この本は上のようにいろいろと矛盾を含み,また憲法から非戦のタガを外す危険な改憲論に他ならない.しかし冒頭で紹介した「護憲派の解釈改憲」論は,護憲派の一部への批判としては全く的中している.
第一章から引用する.(36ページ.対話形式)
原理主義派の欺瞞
— それはそれとして、このアンケートで私が注目したのは自衛隊を違憲だと答えた憲法学者のほぼ全員が、同時に、九条改正の必要がない、と答えていることですね。九条と自衛隊の存在が矛盾していて、九条は変える必要がない、正しい、と。つまりこれは、自衛隊を廃止せよということに論理的にはなりますよね。
先ほど、修正主義的護憲派の欺瞞の話 — 自分たちも解釈改憲を採用しているのに、安倍政権の解釈改憲を非難しているのはおかしい、という話をしましたが、今度は原理主義的護憲派の欺瞞の話になります。
これも前に言ったように、九条に照らして、自衛隊と日米安保が違憲であることは明白です。憲法解釈に関して、原理主義的護憲派が正いのは明らかなんです。
彼らの欺瞞は — だからといって何もしない、ということ。自衛隊を廃止せよ、という運動もしていません。日米安保反対運動を国民的規模で組織しようという動きも、一九六〇年の安保反対運動の終焉以来ありません。
いや、今回のように、専守防衛の枠を超えた自衛隊・安保強化の動きがあると、そこだけちょっと反対する。かつてのPKOのときみたいに。しかし、それだけですね。
一般の読者には奇妙な立場に思えると思うのですが、彼らは、実際には、自衛隊と日米安保を容認しているんです。その便益も享受している。
しかし、自衛隊と日米安保は「違憲だ、違憲だ」と一言い続けろ、と。そう違憲の烙印を押し続けることによって、自衛隊と安保を専守防衛の枠にとどめておけるから、と。
専守防衛の自衛隊安保を合憲と言いくるめる修正主義的護憲派の解釈改憲は「大人の知恵」だという議論がありますが、原理主義的護憲派はさらに開き直っている。この「大人の知恵」を実現するには、自衛隊・安保自体が違憲だと若者的純真さを偽装して主張するほうが治政治的に一層効果的だ、「大人の知恵」が許す点で妥協するには一見「非妥協的」な違憲論から出発して交渉したほうが得策だとというわけです。
(引用終わり)
残念なことに,16日に発表された共産党の決議案の自衛隊政策は,部分的であれ,まさしくこれに当てはまる.
http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/26th-7chuso/27taikai-ketsugi-an.html#_20党綱領から自衛隊,安保に関する文章を短く引用したあと,次のように述べている.
――わが党は、憲法9条にてらせば、自衛隊が憲法違反であることは明瞭だと考える。この矛盾をどう解決するか。世界史的にも先駆的意義をもつ憲法9条という理想に向かって自衛隊の現実を改革していくことこそ政治の責任であるとの立場に立つ。
――憲法と自衛隊の矛盾の解決は、一挙にはできない。国民の合意で一歩一歩、段階的にすすめる。①まず海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。②安保条約を廃棄しても、同時に自衛隊をなくすことはできない。安保条約と自衛隊の存在は、それぞれ別個の性格をもつ問題であり、安保条約廃棄の国民的合意が達成された場合でも、その時点で、「自衛隊は必要」と考える国民が多数だという状況は、当然予想されることだからである。③安保条約を廃棄した独立・中立の日本が、世界やアジアのすべての国ぐにと平和・友好の関係を築き、日本を取り巻く平和的環境が成熟し、国民の圧倒的多数が「もう自衛隊がなくても安心だ」という合意が成熟したところで初めて、憲法9条の完全実施に向けての本格的な措置に着手する。
――かなりの長期間にわたって、自衛隊と共存する期間が続くが、こういう期間に、急迫不正の主権侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には、自衛隊を活用することも含めて、あらゆる手段を使って国民の命を守る。日本共産党の立場こそ、憲法を守ることと、国民の命を守ることの、両方を真剣に追求する最も責任ある立場である。
引用部分の冒頭で「自衛隊が憲法違反」と断言しているが,それを廃止する方策については極めて間接的で,政権を取らないと出来ないかのようでもあり,井上氏の「自衛隊を廃止せよ,という運動もしていません」という指摘が当てはまることになる.しかも,「日本を取り巻く平和的環境が成熟」するのを待つかのような言い方は,政府・自民党の「日本を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増している」という軍拡のためのレトリックとウリ二つである.つまり暗に現在の「平和的環境」=「安全保障環境」は自衛隊廃止を出来る状況ではない,と認めているのである.自衛隊の存在自体がその,つまり平和的環境の阻害要因になっているという視点は,上の文章に関する限り全くない.
もちろん,共産党もその一翼をになう平和運動一般は「自衛隊を廃止」の方向に貢献するのは間違いないし,「段階的」手続きも書いてあるので,井上氏が言うように「何もしない」わけではないと反論されるかも知れないが,それこそ極めて「段階的」,間接的であり,直接に自衛隊廃止を求める運動とは全くレベルが違う.
より重大なのは,その後に,「急迫不正の主権侵害」の場合は「自衛隊を活用」することもある,と言う点だ.大規模災害の場合とまとめて書くという文章作法も乱暴だが,主権侵害のケースで隊員が手にするのは恐らくスコップではない.つまり自衛戦争も辞さず,と述べているのである(この種の発言はしばしば同党幹部の発言で繰り返されはしたが,
前回の大会決議にはこの記述はなかった).違憲の自衛隊だがその存在自体は容認するというのが消極的な「解釈改憲」とすれば,自衛戦争の容認はむしろ積極的な「解釈改憲」と言わなければならない.
同党が,あるいは護憲派の多くが自衛隊違憲論や廃止論を前面に出さないのは,いうまでもなくそれどころではない,「集団的自衛権」や紛争地への自衛隊派遣という深刻な事態があるからで,それを食い止めるのが先決,と考えるからだろう.政治的共同戦線を組もうとするとき,「一致できる妥協点」によらなければなならい,ということも理解できる.しかしだからと言って「原理主義」的主張をやめることは誤りだ.アジェンダの範囲を右へ右へと押しやり狭めるものであり,決定的なのは説得力を欠くということだ.
護憲派の一部(または大部分?),つまり「専守防衛」の範囲の自衛隊を容認する人たちと,上記の井上氏に共通に見られるのは,「軍隊による国土防衛」の過大評価だろう.本気で武力侵略しようとする国があれば,それなりの軍事力を投入するはずで,応戦すれば多大な人命の損失を覚悟しなければならない.「あらゆる手段を使って国民の命を守る」ことが必ず保証されるとは限らない(もちろん自衛隊員も国民である).
都合良く防戦できると考えるのは,言わば「原発避難訓練」をそのまま信じるようなものだろう.他方,武力によらない
「代替防衛」(Alternative Defence)では,少なくとも戦闘による死者は出ない.
カントの「永遠平和のために」の
第三条項の冒頭に,「常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによって,ほかの諸国をたえず戦争の脅威にさらしている」とある.どこの国の軍隊に関しても言えることだが,「攻められる」心配と同等の頻度,熱心さで,自国の軍隊が他国を「攻めてしまう」ことを心配する必要がある.
両者の数学的確率が等しいことを理解することが重要だ.
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上に引用した共産党の大会決議案は一般に公表されており,党員以外でもこれに意見を述べることは可能ですし,歓迎されると思われます.多くの方が「パブリックコメント」を出されたらいかがでしょうか?
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