重要なニュースや事件を,それにふさわしい取り上げ方をしない時,これを形容・批判する単語が見つからない.「小さくしか扱わない」とか「瑣末事として扱う」など,いくつかの単語を組み合わせる必要がある.ところが英語では“marginalize”という1単語で表現できる.辞書には“treat (a person, group, or concept) as insignificant or peripheral”とあり,まさにぴったりだ.

報道が,重要な事実を全く伝えない場合は,「隠蔽」とか「無視」という言葉で批判すればよいが,“marginalize”したうえで「報道はした」というアリバイだけは作る,という場合もしばしばだ.したがってこのような場合の批判が重要だ.“マージナライズ”とカタカナで使う手もあるが,「瑣末化」と日本語化した方がいいだろう.

次は,9/2のブログですでに紹介したが,「瑣末化」の見本のような記事.元法制局長官,最高裁判事も含む4,000人もの専門家・市民が安保法制反対の集会を開いたが,その8/27の毎日新聞の報道だ.最後のページの隅っこに小さく,しかもタイトル文字まで小さくして扱っている.

(引用ブログ記事)
http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2015-09-02

参考までに,“marginalize”の使用例を,先に紹介した“Journal of Resistance Studies” という新雑誌の論文の一節[注]から引用.
The banning or tight control of foreign media and Red Cross visit to political prisoners in West Papua is just one tactic used by the Indonesian government in a long sequence of silensing and marginalizing critical voices.

(拙訳)

外国メディアや赤十字が西パプアの政治犯と面会するのを禁止したり厳しく制限することは,批判者を沈黙させたり批判的意見を瑣末化させるために,インドネシア政府が長い間取って来たまさに一つの戦術である.
「セクシャル・ハラスメント」にせよ「パワー・ハラスメント」にせよ,この言葉が出来てはじめてその現象が見えるように,極端に言えば「存在する」ようになった.「瑣末化」の言葉で,欺瞞的な報道姿勢を見えるようにしたいものだ.
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[注] J.MacLeod, "Building Resilience to Repression in Nonviolent Resistance Struggles", J. Resistance Studies, Issue 1, Vol.1(2015). 92ページに使用例.