もう2週間も前の話になるが,7月29日の国会包囲の際,2名が警察に逮捕された.幸い31日には釈放されたが,これへの対応をめぐって主催者の反原連が逮捕された人たちに対して冷淡ではなかったかと批判された.しかし「冷淡」という点では,このイベントへの,そして毎週金曜の官邸前集会への参加を毎回「しんぶん赤旗」で奨励している共産党も,残念なことに冷淡以下の扱いであった.というのは,今日に至るまで,逮捕者が出たことすら全く紙面で報道していないのである.

不思議に思って,8月1日前後だったと思うが,共産党に直接電話してみた.そうすると,国会に侵入しようとしていたので逮捕されたのではないかとか,「ニセ左翼」の人たちらしいから扱わないのだという.国会侵入という話は聞かないし,人を所属団体で(しかも想像だけで)差別扱いするのは全く道理に合わない.およそ公に説明・釈明できないような「理屈」で情報コントロールするのは報道の役割を放棄している —もし赤旗が単なる党のプロパガンダ機関だけでないとすれば— というような反論をした.「少し調べてみる」というような返事を受け取って話は終わった.

共産党に限らないが,70年前後に「内ゲバ」などに関係した経歴のある団体については,運動圏の中に強い拒否反応があり,それは理由のないことではない.特定の個人に対しては「あの人はxx系だ」とか,団体に対しては「yy会の実態はzz派」だというような「耳打ち」が行われることもある.非公式の情報交換は自由だが,それが運動圏における個人・団体の選別に関係してくると重大な問題が起きる.私自身,あるグループの人たちとのつながりのことで「排除」の圧力を受けたことがある.これまでの人生で「差別を受ける」という経験は全くなかったのだが,このとき初めて差別されることとはどういうことかが分かった気がする.「運動圏における差別」である.運動圏といえどもそこにいる人にとっては「実生活」である.

個人であれ団体であれ,(程度問題ではあるが)過去の来歴を問題にすればキリがないし,運動参加者の間での情報や認識の共有は不可能である.さもなければ「事情通」の耳打ちが支配すると言うおかしな状況になってしまう.要するに,誰でも検証可能な「現在の,実際の言動と行動」だけを基準にするべきなのだ.応援のクリック歓迎

29日の逮捕の件にもどれば,この2人が当日現場で実際に何をしたのかだけが問題で,それが不明な間は,しかも警察に拘束されて本人から話も聞けない状況では,何重にも「推定無罪」の原則を肝に銘じるべきである.弾圧と闘って来た歴史を持つ共産党であればなおさらのことだ.

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(2018年追記)次の本に書いた文章の中でも同様のことを述べました:木村朗編「九州原発ゼロへ、48の視点—玄海・川内原発の廃炉をめざして—」(2013年),p.158〜170.
こちらに転載しています.