土曜日に当ブログで宣伝した福岡県原水協の講演会に参加した.感想などを断片的にメモしておこうと思う.2時間超にわたる講演は多岐にわたり,レジュメも内容豊富だ.以下はその内容のほんの一端である.最後に「連想」として原水禁運動の歴史問題に触れる.

「抑止力」という言葉について
 この訳語のもとになっている“deterrence”はラテン語に語源があり,de + terrere ,つまり直訳すると「テロルの」という意味だそうだ.つまり「テロの脅しをかけて思いとどまらせる」ということになる.
 私は以前からこの訳語が気になっていた(批判的)が,それに根拠をもらったことになる.「長崎の証言の会」の年報「証言2010」に次のように書いていた(78ページ).
同様に“deterrence”に「抑止」という漢字が当てられているのも,翻訳に付随する歪曲的美化である.英語にはおそらく「脅しつける」というニュアンスがあると思うが,漢字による訳語はあまりにも紳士的だ.これはたとえば,「核報復バランス」という言い方で代替できるかも知れない.
 「核の傘」,nuclear umbrella という言葉も似たようなものだ.「抑止力」と同様,これも核兵器を売り込もうとする連中のセールス用語である.核報復の脅しをかけることを,相手を傷つけることがない「傘」になぞらえるのだから,誇大広告どころか虚偽広告である.

軍事力ではテロはなくせない
当ブログの読者の方にはこのことは言わずもがなであろうが,冨塚氏は具体的な数字を示して見せた.2008年のランド研究所のデータである.テロが軍事力で成功裏に抑えられた事例はわずか7%で最下位,8割強は「政治的解決」と「警察力による解決」である.あたりまえといえばそれまでだ.

終了後に講師を囲んで少人数の懇親会があった.県原水協の事務局長も同席されたので,「原水協のメインな活動といえば署名だけではないか」と苦言を呈した.少し前に,高草木氏が福岡の「非核の会」で講演したときにも,本人自身が「『また署名か』といわれそう」と言っていた.

最後に原水禁運動の長年の病気について
本当はこれこそ議論を仕掛けたかったのだが,分裂の問題だ.これもいい加減に歴史的な総括が取り組まれるべきだ.分裂の原因の一つは,当時のソ連の核実験についての態度だ.「あらゆる国の核実験に反対」のスローガンの是非が問題になった.「主流派」つまり現在の「原水協」のグループは,「不一致点の押しつけ」であるとの論理で,「反主流派」つまり「原水禁」につながるグループを非難した.「ソ連の核実験」への態度は一致しないので「保留」すべきだと言うのだ.

しかしこれは形式論理に過ぎる.いや,はっきり言えば詭弁だろう.つまり,そもそもの原水禁運動の出発点,共通の「一致点」が何かによって,何が「不一致点」かは全く異なる.出発点が「アメリカの核に反対」であれば,確かにソ連の核に対する態度は「新しい論点の持ち込み」だが,逆に,「核兵器一般に反対」が出発点であれば,「ソ連の核を除外する,棚上げにする」というのがむしろ「新しく持ち込まれた問題」である.

私の意見は後者であり,「主流派」の側こそが「ソ連の核を棚上げ」という,「特定の意見」を持ち込んだのだと思う.少なくとも,「座標軸」の取り方次第で何が「不一致点」かが変わるという性質の問題であることは確かだ.

この点に関する限り,原水協の側の自己批判が必要だと思う.わが国の反核運動は,本来持つべき大きな力を発揮し得ていないと思うが,その最大の原因はこの分裂にある.組織の統一など無理だしその必要もない.ただ相互に認め合い,協力し合えればいいのだ.

ところが「禁」,「協」のどちらの集まりでもこの問題を議論したがらない.「棲み分け」で満足しているかのようだ.しかしその「棲み分け」は,一般の人から見れば「分裂」であり,そのような「争い」には関わりたくない,という心理が働くのだ.このことの重大性について,両組織の幹部も,共鳴者も認識し,歴史評価についての勇気を持って欲しいと思う.