今日(6/11)の毎日新聞に興味深い記事を見つけた.「平和をたずねて」というシリーズの,「快楽としての戦争」の2回目.急いで一週間前の1回目(6月4日)を探し出して併せてコピーを取った.

平和をたずねて:快楽としての戦争/1 そこに「素敵!」もあった
平和をたずねて:快楽としての戦争/2 心のすき間に忍び込む

福岡県の山間にある旧薦野村出身のもと兵士が寄せた戦争体験の手記集で,1984年に出版された本の記述から1回目の記事は始まる.冒頭にあるその本からの引用文は次のようなものだ.
敵兵捕獲しては穴を掘って銃殺する事何人と数え切れない程です。・・・戦火の合間には町,或は民家へ巡視警備に出動致し,食料の徴発其の他支那人の女美人とも接し本当に楽しい事も有りました。本当に支那の婦女は美しいです。素敵!尚まだ色々と有りますが此の位にして置きます。
ほかにも同様の,いわば戦争の快楽を表現した元兵士の言葉が引用されている.つまり,戦争体験の伝承というと,当然ながら悲惨さ,つらさ,苦しさがその主な内容になるのだが,決してそれだけではない,あきらかに兵士に「快楽」として記憶されたものもあるということだ.

戦争に期待した気分も告白されている.
日本が戦争したころは,内地におっても全然面白くないし,戦争なんかやったら何かおもろいことあるんとちゃうか,という気分がありましたね。・・・
この記事が指摘するように,この事実はとても重大な問題を提起している.そして今日の記事の締めくくりに,昨年話題になった「希望は戦争」という,一人の若者が書いた文章が引き合いに出されている.数日前の秋葉原の悲惨な事件も,犯人の若者が,いわば一人で勝手に「戦争」を始めてしまったのかも知れない.ただしこれらは快楽を求めてではなく,社会に対する「報復」として.