山口県光市で起きた母子殺害事件の裁判の問題で,有名ブログ「世に倦む日日」が,18日から3回連続で,安田弁護士を批判している.批判と言うより攻撃に近い.私は同ブログには大いに啓発されるし,またしばしば積極的に引用し,サイドバーの上の方に直リンクも置いているので,大変気になる.

私は今回のメディアの報道を見ていないが,「世に倦む日日」の記事だけでは安田弁護士批判の議論に納得することはできない.その記事には,次のように口を極めた安田批判がある.

口頭弁論を欠席して時間稼ぎを図るというやり方も姑息で卑劣きわまる。
http://critic2.exblog.jp/3251270

今回の安田好弘と足立修一の問題は、二人が被告人の人権の擁護にのみ妄執狂奔して、正義を実現する弁護士の使命を忘れ、無視逸脱している
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安田好弘と足立修一の今回の所業は、社会正義の実現の弁護士の使命を最初から放棄していて、単にこの事件を「死刑制度廃止」の政治目的のために宣伝利用している。
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弁護士の特権を利用して、正義を捻じ曲げ、被害者遺族の人権を踏み躙り、「死刑拒絶」のイデオロギーを貫徹しようとしている。そのように見える。
http://critic2.exblog.jp/3265670

ここまで断定していながら,その根拠は記事の文面には示されていないので,読者は他を当たるしかない.いくつかのブログを見てみたが,欠席の理由は,弁護人に就任したばかりで準備が間に合わないこと,また,当日は弁護士会の行事とぶつかったこととなっている.このため安田弁護士は裁判所に公判の延期を求めていたようだ.これらの理由はしごく尤もなことに思え,それを無視した裁判所の方に問題があるように思う.少なくとも,安田弁護士に100%責任を負わせるのは公平ではない.前の弁護士が辞任したことには安田氏に責任はないだろうし,その弁護士と裁判所の間で合意されていたであろう公判日程についても同じである.このような場合は互いに都合を再調整するのが普通ではないのだろうか.

ネット検索でもやはり安田弁護士批判が圧倒的のようだが,そうでないものもいくつかある.見つけた限りでは,その中で最も冷静な議論をしているのは「辺境通信」の「安田弁護士対マスコミ・第2幕」という記事である.
http://iccho.me.uk/blog/news/archives/2006/03/post_94.html

そこには,別のブログの引用として,この件でのメディアの的確な分析もある.世に倦む日日は「そのように見える」と最後に言葉を曖昧にしているが,ようするにマスメディアに「そのように見せ」られただけではないのか?

冤罪も少なくないとは言え,統計的に見れば,殺人罪で起訴された人のほとんどは実際に罪人であろう.だから被疑者に対しては,私も含め,ほとんどの人が「推定有罪」の判断と,それによる仮想的な憎悪を持たざるを得ない.これは自然発生的なもので,防ぎようがない.そして,そんな推定罪人を弁護するなどという人間(つまり弁護士)に対しても,自発的な,あるいは「旧い脳」は,悪感情を持つだろう.これに理性と法でタガをはめるのが近代社会のはずだ.「罪を憎まば弁護士も憎し」では法治国は成り立たない.ところがその大事な一線までも超えてしまいそうな恐さを感じる.

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