"National defense" versus "prevention of aggression by its own armed forces"
English version (PDF)
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何度も何度も繰り返される,「もし攻められたらどうするのか」という問いかけ.
同じウェイトで「もし我が国が他国を攻めてしまったらどうするのか」という問いを同じ頻度で発しなければならないということを誰もほとんど考えない.市民も,どの国の政府も.国に「防衛省」を作るなら,同じような熱心さで「侵略防止省」を作らなければならない.

憲法記念日にあたり,ずっと繰り返し力説している「定理」を再掲します.(「日本の科学者」2005年1月号に掲載.こちらのPDFの1枚目です.)
2007年2月24日の記事を再掲したものです.)
ウェブで公表している文章英語版(PDF)
関連記事の一部:憲法九条下での国防九条護憲運動の弱点
2023/6/1追記:関連リンク「軍拡か軍縮・撤廃かの"量子コンピュータ的"議論方法」

「攻められる」ことと「攻める」こととの等確率性

    −−数学における平和教育?−−

 軍縮問題や憲法9条を議論するときなどに必ず提出される質問は,「もしわが国が攻められたらどうするのか?」というものである.特に憲法9条を擁護する人に対して,その立場の「欠陥」を指摘する時に使われる.しかし,どのような問いかけも多かれ少なかれ誘導尋問の性格を持っていることに注意する必要がある.言い換えれば,質問自体にイデオロギーが込められているということだ.

 この質問の誘導尋問性は,これと対をなすべき,これより2文字だけ少ない「もしわが国が攻めたらどうするのか?」という質問が発せられることがほとんどない,ということに表れている.(実際わが国や国民は,ほんの60年ほど前,アジア太平洋諸国を「わが国が攻めた」事態に対して,これをどうにも制御出来なかったにもかかわらず,である.)

 この原因には,質問者の作為もあるかも知れないが,また一つには,自分の国は1つ,しかし他国はたくさんあるので,侵略される確率の方が大きいような錯覚もあるのではないだろうか.しかしこの二つの事象は数学的には同じ確率なので*,これを理解することで防衛論議をかなり冷静,公平に行う基礎が出来るのではないかと思われる.いわば数学(確率論)による平和教育である.

 いま n+1 個の国があり,どの国も他の国を侵略する確率は等しいものとする.ある国がある一定期間に他の何れかの国を侵略する確率を p とする.この期間に最大で1回だけ,また一つの国に対してしか侵略をしないとすれば,p はまた,その期間に侵略を行う回数の期待値でもある.特定の一つの国を侵略する確率(また同時にその回数の期待値)は p/n である.なお,国々の間での侵略傾向には全く相関がない(例えば軍事同盟などは存在しない)ものとする.

 逆に,ある一つの国が,他の何れかの国から侵略を受ける回数の期待値を求めよう.k 個(k は1からn )の国から同時に侵略される確率P(k) は



であり,その場合の数はnCkである.そこで,何れかの国から侵略される回数の期待値は,すべての可能な k を重みnCkP(k) を付けて足しあわせればよい.





ここで kr +1 と置き換えると,<f>は次のように p に等しくなる.






= p


 侵略は反対側から見れば侵略されることであり,すなわち戦争という一つのイベントに付けられた二つの名前であることを考えれば,このような計算をするまでもなく明らかなことではある.一国の軍隊が侵略者であるか防衛者であるかが確率半々なら,いっそやめてしまおう,これが九条に込められた知恵ではないだろうか.

     * * * * * * *

 最近はむしろ「国際貢献」のために軍隊(自衛隊)が必要だ,という議論がメインになって来ている.PKOなどで他国と同じ責任を果たすべきではないかとの意見である.国連の実力を伴った平和維持機能は今日たしかに必要であろうが,しかしすべての国の義務が一律である必要はない.つまり非武装国家の特権として,軍事面の役割の免除が認められるべきだというのは論理として十分に成り立つ.(もちろん自衛隊を廃止するという公約と一体でなければならない.)

 この論理に矛盾がないのは,どの国家にもこの特権を得る道が平等に開かれているということから明かだ.この特権を求めて非武装国家が増えるとすればむしろ好ましいことで,その結果常設国連軍が必要になるとしても,その兵力は大変小さくてすむはずである.

(以下追記)

* このことを理解すれば,軍隊を持つすべての国は「防衛計画」と同じ比重で,自国の軍隊の「侵略防止計画」を作らなければならないということに気付く.