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「護憲派による解釈改憲/もう一つの『パブリックコメント』を」の記事の後半部分とほぼ同じ内容ですが,共産党の大会決議に的を絞って再論します.)
全国の九条の会や護憲派の皆さんにとっては無関心ではいられない問題だと思います.
共産党の大会が来年1月15日から開催され,決議案も発表されています.その中に,実に5大会16年ぶりに,急迫不正の主権侵害の場合は「自衛隊を活用する」という文言が復活しています.16年前の22回大会でのその部分の文章と,今回の文章を並べてみます.
22回大会(2000年)(“・・・”は省略箇所)
・・・自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりがないが、これが一定の期間存在することはさけられないという立場にたつことである。これは一定の期間、憲法と自衛隊との矛盾がつづくということだが・・・
そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である。
23回,
24回,
25回,
26回大会は記述なし
27回大会(今回)かなりの長期間にわたって、自衛隊と共存する期間が続くが、こういう期間に、急迫不正の主権侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には、自衛隊を活用することも含めて、あらゆる手段を使って国民の命を守る。日本共産党の立場こそ、憲法を守ることと、国民の命を守ることの、両方を真剣に追求する最も責任ある立場である。
一見,「あるものは活用する」と容易に耳目に入りそうな言説ですが,これは次のような重大な問題,特に「護憲派による解釈改憲」という問題を含んでいます.
問題の箇所は「(20)日米安保条約、自衛隊――日本共産党の立場」の節にあります.党綱領から自衛隊,安保に関する文章を短く引用したあとの所です.
http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/26th-7chuso/27taikai-ketsugi-an.html#_20引用された党綱領は「自衛隊が憲法違反」と断言していますが,それを廃止する方策については,海外派兵立法の廃止と軍縮措置とが書いてあるだけで,自衛隊を必要と考える世論をどう積極的に変えて行くかについては全く書かれていません.むしろ,「日本を取り巻く平和的環境が成熟」するのを待つかのような言い方は,政府・自民党の「日本を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増している」という軍拡のためのレトリックとウリ二つです.つまり暗に現在の「平和的環境」=「安全保障環境」は自衛隊廃止を出来る状況ではない,と認めていることになります.これは明白な自衛隊肯定論,必要論であり,自衛隊の存在自体が「日本を取り巻く平和的環境」の阻害要因になっているという視点は,この文章に関する限り全くありません.
より重大なのは,その後に,「急迫不正の主権侵害」の場合は「自衛隊を活用」することもある,と言う点です.大規模災害の場合とまとめて書くという文章作法も乱暴ですが,主権侵害のケースで隊員が手にするのは恐らくスコップではないでしょう.つまり自衛戦争も辞さず,と述べているのです(この表現は16年前の22回大会決議に初めて見られましたが.冒頭に書いたようにその後過去4回の大会決議にはこの記述はありませんでした).違憲の自衛隊だがその存在自体は容認するというのが消極的な「解釈改憲」とすれば,自衛戦争の容認はむしろ積極的な「解釈改憲」と言わなければなりません.
自衛隊を「活用」という曖昧な言葉も問題です.普通には,武装した集団を「急迫不正の主権侵害」の際に「活用する」と言えば,軍事的活用つまり応戦・交戦と取られるでしょう.単にバリケードを作ったりして非暴力で対抗するだけだ,というのなら,はっきりそう明記すべきです.隊員が実際に交戦するのかしないのかがかかっているのです.これは海外であれ国内であれ同じです.もし交戦を意味するなら,軍法のようなものを整備しなければなりません.さもなければ刑法の「正当防衛」の範囲でしか武器の使用が出来ないことになります.
また,「自衛隊を活用」により本当に「国民の命を守る」ことが出来るのかどうか,言葉だけではないといことを示すには,実際的な検証が必要になります.それは,侵略の想定や,演習などを認めるということです.少なくとも武器の更新,弾薬の補充は認めることになるでしょう.もしそうでなければ,隊員から「準備もさせないで戦えと言うのか?」と問われるでしょう.
また,本気で武力侵略しようとする国があれば,それなりの軍事力を投入するはずで,応戦すれば(双方の)多大な人命の損失を覚悟しなければなりません.「あらゆる手段を使って国民の命を守る」(もちろん自衛隊員も国民である)ことが必ず保証される,都合良く防戦できるはずだ,少なくとも損害はより抑えられると考えるのは,言わば「原発避難訓練」をそのまま信じるのと同じように非現実的でしょう.「軍隊による国土防衛」の過大評価ではないでしょうか.もし「あるものは使わなければ」という程度の考えによるのであればもってのほかです.
また決議案には,自衛隊「活用」の目的として,(あらゆる手段を使って)「国民の命を守る」ことを掲げていますが,自国民は武力で守るが,他国民を守ること(PKF,PKOなど)まではしない,という区別も説明しづらいでしょう.
共産党が,あるいは護憲派の多くが自衛隊違憲論や廃止論を前面に出さないのは,いうまでもなくそれどころではない,「集団的自衛権」や紛争地への自衛隊派遣という深刻な事態があるからで,それを食い止めるのが先決,と考えるからでしょう.政治的共同戦線を組もうとするとき,「一致できる妥協点」によらなければなならい,ということも理解できます.しかしだからと言って「原理主義」的主張をやめることは誤りです.アジェンダの範囲を右へ右へと押しやり狭めるものであり,決定的なのは一貫性のなさで説得力を欠くということです.
他方,武力によらない
「代替防衛」(Alternative Defence)では,少なくとも戦闘による死者は出ません.この方法論の研究と実践とが護憲派に真に求められているのではないでしょうか.
カントの「永遠平和のために」の第三条項の冒頭に,「常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによって,ほかの諸国をたえず戦争の脅威にさらしている」とあります.「自衛」隊も例外ではありません.それどころか,侵略的な米軍の事実上の支配下にある軍隊ではないでしょうか.
どこの国の軍隊に関しても言えることですが,「攻められる」心配と同等の頻度,熱心さで,自国の軍隊が他国を「攻めてしまう」ことを心配する必要があります.
両者の数学的確率が等しいことを理解することが重要です.
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那覇でのJSA九州・沖縄シンポでの発表の後半部分ではこの大会決議のことを暗示したつもりでしたが,何人の人にそれを感じてもらえたでしょうか?
レジュメ http://ad9.org/blog/mytalks/JSA-Okinawa2016resume.pdfスライド http://ad9.org/blog/mytalks/JSA-Okinawa2016repr.pdf録音 http://ad9.org/blog/mytalks/801_0420t.mp3