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機動隊員との対話(基地被害防止ボランティアその3) [社会]

[その1その2,その3,その4]
1401577.gif12/18,本文中にリンク5ヶ所追加しました.
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12日は座り込みの人数が多かったせいか,あるいは若者が多かったためか,メインゲートまで来た何台ものダンプが引き返した.14日は人数が少なく,機動隊が座り込みを排除し「倍返し」のように延べ108台ものダンプが入った.

排除されてしまうと,ただダンプの数を数えるだけのむなしい時間が過ぎる.それでもセンターから離れたところなどで,ダンプ前に突入を図ろうとする人がいる.機動隊員がそれに対応するため,マンツーマン・ディフェンス体制を取る.私は突入するつもりはなかったが,前に機動隊員2人が立った.

DSC_9495w260.jpg「どこから来ましたか?」と尋ねると,福岡県警と答える.さらに私の出身地と縁があることが分かると,郷土の話題などで二人で「ゆんたく」(沖縄方言でおしゃべり)を始めた.

基地建設について意見を聞くと,「公正中立だから言えない」との模範解答だった.後で考えれば「でもやってることは『中立』ではないのでは?」と反問すべきだったが・・.

私自身のイギリス・スコットランドでの経験を話し,そこの警官は「自分も核兵器に反対だ」と意見を言ったことを紹介し,基地封鎖で留置場に入れられたことも話す.

「このような抗議行動は世界でも起こっているのですね」と隊員.「むしろ日本が異常に少ないんです」と私.

さらにイギリスの市民運動の非暴力直接行動について説明.事前の警察署長とメールのやりとり,名簿の提出,テロが起きた時の直接行動の「自粛」,封鎖の手法などなどなど,ひとくさり海外の市民運動事情についての「講義」をやった.

那覇での科学者会議のシンポのことを話し,その時の私のレジュメを渡そうとすると(スライドは末尾にリンク),意外にも気さくに受け取ってくれた.(この余分のレジュメは,座り込みの仲間の誰かに渡すこともあるかも知れないとリュックに入れていたのだが,まさか機動隊員に渡すことになるとは思いもよらなかった.)

交代で途中から私の前に並んだもう一人の機動隊員は北九州市からとのこと.ガレキ搬入・焼却反対運動の話,阻止行動があったことなどが共通の話題に.関連して放射能の話,「8,000ベクレル拡散」の件にも話しが及ぶ. 「空間線量とベクレルとはどう違うのですか?」と質問され,少し説明した.分かりやすく説明できたか気になる.交代で私の前を離れるとき,その隊員とは互いに挨拶をした.

このように対話が成り立つのはまれで,たまたまこの2人が人なつっこい性格だったのか,それに同郷のよしみということがあったのだろう.

なお,座り込み排除されたあと,ダンプがさかんに通っている状態で突っ込もうとするのは良くない.なにより阻止しようとする隊員を危険にさらす.これは「非暴力」の原則に反する.阻止するのであれば,初めの座り込みと同様,ダンプが来る十分前に,時間に余裕がある状態で道路を塞ぐようにすべきだろう.
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23/6/14追記:那覇でのJSAシンポで使ったスライド
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