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SNSの「川下」で汚染されるマスメディア [メディア・出版・アート]

Image_20211216_0001r.jpg「関西生コン」弾圧については、このブログでも過去に取り上げたが、岩波の「世界」12月号にかなり刺激的な論文が出ている。同誌はすでに1月号が出ているが、積ん読になっていたものの中に発見した。タイトルに書いたように、今やマスメディアはSNSの強い影響下にあり、その「主流」の傾向に忖度しているというのである。著者は早大・東大の名誉教授にして「フリーランス社会科学者」の花田達朗氏。冒頭の2パラグラフをそのまま引用する。(強調太字は引用者)
関西生コン事件と産業労働組合、そしてジャーナリズム・ユニオン(下)
      花田達朗
5「関西生コン事件」と日本「マスコミ」の沈黙

なぜ有力な労働法学者たちが「戦後最大規模」と言っているこの労働事件が、世の中に知られていないのだろうか。あるいは歪められたイメージで一部に知られているのだろうか。この事件の当事者や弁護士や観察者は、一様にその理由としてメディアの影響を指摘している。ジャーナリストの竹信三恵子は、本誌に掲載された三国連載のルポ「労組破壊 —— 『関西生コン事件』とは何か」(『世界』2020年2月〜4月号)において、最終回のタイトルに「『影の主役』としてのメディア」という副題を付している。そのメディアには2つあるという。「ひとつが、関生支部について『暴力的集団』とのイメージを拡散し、事件を敬遠する空気を作り出したSNSのヘイト的報道。もうひとつは、警察発表報道以外はほぼ沈黙を続けた主流メディアだ」

竹信はその二つが独立して働いているのではなく、連動していると見る。「マスメディア批判が強まっているいま、一般視聴者がマイナスイメージを持つテーマはできるだけ避けたいという萎縮がメディア各社に強まっている。そんな中で、ネットが管理職らの情報源になり、直接現場に接している記者が記事を書こうとすると、そうした管理職らが『こんなものを書くのか』と抑え込むことになる」。つまり、情報やイメージの流通過程において、いまやSNSが川上にあり、マスメディアは川下にあるということ、SNSの方、がマスメディアよりも先行していて、SNSはマスメディアにとっての情報環境となっていること、そういう状況の中で関生支部に対する「SNSのヘイト的報道」がネガティブキャンペーンとして社会に浸透していき、それがあたかも社会的現実であるかのように誤認され、マスメディアの管理職やデスクや記者もその強い影響下に置かれているということである。そうなると、現実は完全に逆立ちしてしまう。「主流メディアには、ネットがつくる情報環境を現場取材によって検証する役割が期待されてきた。それが、ネット環境がつくった仮想現実をもとに取材する、という方向に変わってしまったのか。」これは妥当な解釈だと思う。日本「マスコミ」の(中間)管理職層に致命的な問題があることも私の観察と一致する

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科学者会議「九州・沖縄シンポジウム」 [仕事とその周辺]

1401577.gif12/12 私の発表のレジュメスライドを公開します。 #文化的記憶喪失 #cultural-amnesia
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直前のご案内になりますが、12月11日(土) 午後1時~6時に、「民主主義の現状と未来」と題して、日本科学者会議(JSA)のシンポジウムがオンラインで開かれます。申し込み方法など詳細はJSA福岡支部のウェブサイトにあります。一般参加歓迎です。「九州沖縄地区」とあるのは、従来この地域の会員を中心に開かれているものだからですが、今回オンライン開催となり、全国・全世界から参加可能です。私も分科会Bの後半で報告を致します。
JSA福岡支部のサイトに案内があります。1401577.gifJSA本部のイベント案内にも。
http://jsa-fukuoka.sakura.ne.jp/topics/files/f13d8dd72b709ee0dc73240f26e9a245-14.html
申込先はなぜかこれにはなく、このサイトのトップページの方にあります。

Image_20211206_0001w1200.jpg私の発表「民主主義と非暴力直接行動」のあらすじを、項目でお知らせします。Bパート、15時20分-15時55分の枠です。(写真は宮城康博, 屋良朝博「普天間を封鎖した4日間」,高文研,2012年より)

民主主義と非暴力直接行動
1 はじめに − 理系なのになぜ「文系」的な話をするのか
2 「非暴力直接行動 - NVDA」(または市民的不服従)とは
3 世界における最近のNVDAの事例、著名人の言及
4 社会運動において世界標準であり、それにより実際に成果を上げているNVDAがなぜ日本での実践が極めて少ないのか? 日本のデモはなぜ「細長い」のか?
 1)70年前後の学生運動における暴力イメージの影響、タブー視
 2)「一般市民の反発」の想定とそれへの「忖度」、反例
 3)「日本人はおとなしい」という集団自己暗示と反例
 4)「挑発行動である」「弾圧を誘発する利敵行為」という一面的な見方
 5)「法を守る」ことの理解(の浅さ)、法の上下関係の無視
 6)逮捕や刑事告訴のリスク、ダメージ
5 非暴力直接行動が不可欠である理由
6 非暴力直接行動の効用
7 リスクと対策
8 最近の論調 − ベストセラー、斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」がNVDAの必要性に言及


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