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岡田晴恵氏の「秘闘」を読み終えた [メディア・出版・アート]

hitou-okadharue.jpg岡田晴恵氏の「秘闘 私の『コロナ戦争』全記録」はこれまで2回紹介記事を書いたが(1回目2回目)、ようやく読み終えた。なんともすごい本だ。全国民必読と言っていいほどで、この2年以上の日本のコロナ対策の迷走の原因を明かしている。核心の一つは、尾身、岡部、舘田の3氏のいい加減さを、穏やかな口調ながら徹底的に告発していることだ。この3氏を退場させない限り、今後もまともな方向へは行けないだろう。これまでの2年余りの惨劇の中で、このような勇気ある女性がいたということが、この国の微かな希望である。

                迷走の「主犯」たち
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       尾身氏             岡部氏        舘田氏

zdf20210915kindergarten.jpg「第6波」は収束するどころか、下げ止まりの傾向さえ示している。要するに「戦略」がないのだ。少なくとも、その説明がない。現在の「エピセンター」はおそらく学校や幼稚園、保育園で、そこから家庭で大人に移って、それが広がるというパターンが主だろう(関連記事)。以前ドイツの保育園の頻回pcr検査のニュース動画(右の画像)を紹介したが、そのような戦略を取るという話もない。「感染対策をしっかり」と、もっぱら抽象的に、心構えを説教するだけだ。

最後の方の3ページ強をそのまま引用して紹介します。多くの方がこの本を読まれ、日本のシステムの病弊を知り、改善への圧力を高めていただくことを期待します。そして「日本グリーンゾーン化戦略」への道を。
同じ場所で
表参道の並木道の下を、私は黒いコートを着て、うつむき加減で歩いていた。そう、ここで武漢の新型肺炎発生のメールを受けてから2年が経つ。欅並木の通り沿いの店もずいぶんと入れ替わった。この通りから一本奥に入ると"For Rent"の紙が貼られた空き店舗が目立つ。私がうつむいて歩くそばをマスク姿の人たちが静かに通り過ぎていく。

日本のコロナ対策の失敗は、結局、専門家たちがリスクを取らなかったことが原因ではなかったか。武漢で肺炎アウトブレイクが起こった時、その初動において、彼らは論拠なく甘いリスク評価をした。見通しについても、何の裏打ちもないままに楽観視した。次第にこのウイルスの性状がわかるようになっても、それらを訂正も変更もせず、誤った対策を引きずっていった。そんなミスを繰り返した2年間だった。起こってしまった事態に慌てて、ただ逐次投入していく対策では、常に後手後手に回ってしまう。それがこの敗戦の最大の原因ではなかっただろうか。
なぜ、甘い評価になるのか?どうして楽観視に流れてしまうのか?

仮に、強い政策を早い段階で一気に打ちだしていたら、各方面から強い批判を受けただろう。ちびちびと様子を見ながらやっていく調整型の方が批判は少ないのだ。日本の組織では、成功して褒められることより、 失敗して批判や非難を浴びることの方が多い。もっと言うと、この国では、何かにチャレンジして失敗するよりも、何もやらないで失敗したケースの方が圧倒的に復活できる可能性が高い。

だから、専門家たちも、わざわざリスクを取りに行きたくなかったのだろう。そんな発想から、甘いリスク評価と楽観視で、新型コロナ対策は始まったのではないか。2年前のクリスマス・イブ、まさにこの表参道で私が田代氏からのメールを受けた、その直後から—。

日本の社会や組織で生き残ることとは、リスクを取らずにいることなのだろう。だが、今回の新型コロナ対策では、どんなに批判を受けようとも、厳しい態度で突き進まなければいけなかったはずだ。これは国民の生命と生活に甚大な危害が加わる、緊急事態なのだ。実際、東日本大震災の犠牲者数に匹敵するほどの国民が亡くなった。医療崩壊も起こり、自宅で亡くなる人も出た。長い自粛によって、国民の生活も経済も壊れた。

この失敗を繰り返してはならない。そのために必要なのは、新型ウイルス発生時か、きちんと最悪の事態を想定し、リスクを取って、医療と経済を守り抜ける環境を作ることだ。医療確保やPCR検査の準備態勢、保健所機能の拡充等を進めることはもちろんであるが、"リスクを取った人聞が非難されない"という国民理解を醸成することも必要だろう。

そして何より、きちんとしたルール作りだ。「新型インフルエンザ等対策特別措置法」は感染症の危機管理、安全保障問題としての立法であった。それを躊躇(ためら)いなく動かせる、ルール作りが必要だろう。ウイルスが来てから整備していたのでは追いつかない。このままではいずれ起こる次のパンデミック時はもたない。

田村氏も田代氏も私も、人の死というものに対して、敏感だったのだと思う。ただ、この感覚は個人差が大きい。何割減らせたからOK−−そんな考え方をする専門家もいるのが現実だ。「ロックダウンしか言わない。医療って言葉が出ない。ああ、この人たちはもう諦めたんだなって、思った。ならば、僕は医療を拡充しようと思った!」そんな田村氏の必死な声が甦る。あの頃、尾身先生は毎日、西村康稔経済再生・コロナ対策担当大臣とは電話していたという。岡部先生は総理と話していた。でも、お二人とも厚労省出身なのだ。ならば、田村厚労大臣が目指すコロナ対策・政策を内閣官房や官邸ヘ橋渡しをする、厚労省のパイプ役でもあるべきではなかったのか?その役を十分に果たさなかったのは、国民に対する職務放棄ではないか、 と私は訝しむ。権力の中枢に寄って行くことで、ご自身のリスクを回避したということだったのだろうか?

尾身先生は私には優しい人だ。でも、先生方は間違えていると思う。尾身先生も阿部先生もリスクヘッジの向く対象が間違っている。お二人は「私」を優先した。しかし、新型コロナ対策で国の舵取りを担うという、最重要の「公」の役職を引き受けたのだ。ならば、「私」より「公」を優先すべきだ。「公」のためには「私」をなげうってでも闘うべきだ。「公」を取れないのなら、そのポジションを受けるべきではなかった。

尾身先生は、岡部先生に押し出されるような形でマスコミに出て、矢面に立つこともあった。だから、「尾身の乱」という言葉も生まれたのだろう。でも一番大事なことは、この新型コロナに関して、どんな情報を岡部先生がこれまでの「総理」に説明していたかだ。それは新型コロナ対策の「国家の意思決定」に大きな影響を与えたはずだ。そして、2020年1月に「指定感染症2類相当」として、「新感染症」としなかった経緯(どんな情報をもとに、いつどのような会議で決められたのか)をきちんと検証・公表すべきである。間違いはすべて、ここから始まったのだから。

また、当初から繰り返し私が訴えてきたように、コロナウイルスをコントロールできた国ほど、経済へのダメージは少ない。ウイルスを早期に封じ込めて広げない、それが国民の生活や経済を守ることだ。だが、日本はその道を取らなかった。

私が闘ってきたこの2年は徒労だったのだろうか?感染者を減らすために強い意見を言うと非難され、人に指をさされ、うずくまった日々もあった。それでも、流行を抑え、人命と社会を守ることが役目であると、 コロナ対策の基本を言い続けてきた。権力やマスコミから何を言われようと、SNSでどんなに叩かれようと、自分の意志は曲げなかった。このようにしか、私はできなかった。

「先生はおっかながりなんだよ。日本人が死ぬことを、とっても怖がっているんだ。だから、いつも闘っていたんだよね。でも、コロナと闘っていたのではなかった。いつも何かと闘っていたんだ。ときには田村大臣とも闘っていたんですよ。気づいていないかもしれないけれど」

親友の言葉が蘇ってくる。

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