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18世紀の天然痘流行の惨事を繰り返した日本のコロナ対策 [メディア・出版・アート]

今年2月の記事「『自宅療養』という名で医療を絶たれた人が3万人超、すぐに対策を」で、小説「天に星 地に花」の疱瘡(天然痘)流行のエピソードのことを書きましたが*、作家は史実に取材したものと思います。その部分を描いた箇所を紹介します。まさに家庭内感染、「在宅死」、放置死です。(213ページ終わりの方から)
庄十郎はその葛団子から箸をつける。千代も、 真っ先にそれが食べたかったのだろう。 椀を手にして口に入れる。
「おいしか」
千代が言った。 庄十郎も全く同感だった。 葛団子がつるりと喉を通り、 甘味が口一杯に広がり、 いつまでも残った。
「庄十、お前は寝とったので知らんと思うが、 吹上村の庄屋、 大谷殿が亡くならっしゃった。その他にも吹上村で十一人が死んだ。 そのうちの三人は子供じゃった」
父が老庄屋の名を口にした。「他の村でも四、五人ずつ、死者を出した」
「みんな花立山で死んだとですか」
庄十郎はやっとの思いで訊いた。
「山に追いやられた者もおるし、村はずれの小屋に移されて死んだ者もおる。大谷殿は、納屋の屋根裏で亡くなった。自分でそこに籠ったらしか。山ん中で病が癒えて、村に戻った者もおる。よう生き延びたもんじゃ。ろくな食い物もなかったろうに」
父が一言い、赤飯を口に入れる。葛団子を食べ終えた庄十郎は、赤飯に手を伸ばす。団子だけで腹 一杯になり、 他の皿までたいらげるのは無理だった。せめて祝いの赤飯だけは腹におさめたかった。
「力武村から念仏踊りが来とったろう。 あのうち女の年増のほうが、やっぱり疱瘡で死んだらしか。念仏踊りはあちこちに招かれるけ、どっかで病を得たとじゃろ。舞台に子供たちが仰山上がったので、あれで広まったのかもしれん」
庄十郎は父の話に領く。 あの日自分が桟敷から離れて前の方に行き舞台に上がらなければ、疱瘡 にはかからなかったのかもしれない。迂闊(うかつ)さが悔やまれた。
「庄十兄ちゃんが戻ってきて、うちは嬉しか」
千代が不意に言う。 嬉しさよりも、 母を失った悲しみのほうが、 何倍も強いはずだ。悲しみを封じて、そう言ってくれる千代の心根がいじらしかった。
甚八は何も言わない。(下に画像)
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* 実はその後、夏には冬の何倍もの規模でこの惨事を繰り返しました。212r.jpg
現在の花立山
hanatateyama-SV.jpg
https://www.google.co.jp/maps/@33.4187583,130.5899847,3a,75y,57.53h,86.06t/data=!3m6!1e1!3m4!1s8jpGlQlDmxLsw509gjeigQ!2e0!7i16384!8i8192?hl=ja
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